魔女の薬は慎重に!

綿野 明

魔女の薬は慎重に!



「だーから、ムラサキヤモリの目玉はきちんと個体ごとに管理しろって言ったろう! なんでここに三つ入ってるんだい? ええ?」

「……目が三個あるやつだった」

「嘘をお言いでないよ! そんなヤモリがいたら、お前は絶対に『みてみて目が三個ある〜!』って大騒ぎするだろう! なんでもかんでも『個』で数えるんじゃないよ、この間抜け!」

「それいま関係ない――」

「いちいち口答えしない! 全く本当に使えない弟子だね、猫の手でも借りた方が百倍マシだ! いっそお前は捨ててしまって、代わりに猫を拾ってくることにしようかね。ボロボロガリガリの弱った野良猫さ。それでもお前よかずっと賢いだろうよ!」


 師匠は黒く塗られた唇をへの字に曲げて、あたしを作業部屋から放り出すと鼻息荒く目の前でバタンと扉を閉めた。鼻息が顔にかかった気がして、あたしは「うげぇ」と言いながら手で顔を拭った。さっきまでバラバラにしていたヤモリの汁が顔について、もっと顔をしかめることになった。


 魔女である師匠は、いかにも魔女っぽい見た目をしている。唇は真っ黒で、目蓋も濃い紫色に塗りたくられていて、黒く染められた爪は尖っている。長い黒髪はボサボサで腰まである。昔はものすごい美女だったと毎日のように自慢してくるが、今は頬の肉が垂れ下がっていてあまり美人には見えない。たぶん、常に口をへの字にしているからああなったんだと思う。ああいう顔をした犬は大抵よだれがだらだら出ているが、師匠は出ていないので、そこだけは良かったかもしれない。


 話が逸れたが、あたしはいますごく怒っている。確かにちょっとおおざっぱなところがあるけど、あたしだっていつも自分なりに頑張っているし、新しい魔法薬のレシピを考えるのにかけてはちょっとした才能がある。あたしは優秀な弟子なのだ。


 それを師匠は「野良猫の方がマシ」だなんて言いやがった。絶対許さない。


「……ほんとに野良猫の手を借りてみればいいんだ」


 唇を噛んであたしはつぶやいた。袖で目をこすったけど、これはちょっと眉毛のところが痒かったからで、泣いてたわけじゃない。


「絶対あたしの方が優秀だもん」





 そしてあたしは台所へ行って、鶏の肉を茹でて細かく裂いたやつを皿にたっぷり盛り付けた。それを持って外に出ると、どこからともなく野良猫が集まる集まる。師匠は「ボロボロガリガリの猫」とか言ってたが、この辺りにやせ細った野良猫なんていない。あたしが毎朝毎晩みんなに餌をやっているからだ。


「いいかいお前たち、これから師匠の手伝いをしてやるんだ」


 あたしが囁きかけると、猫たちは「ニャーン」と――返事などせず、夢中で肉を食べ続けた。「ねえ、ちょっと」と言いながら一匹の背中に触ると、そいつはこの上なく面倒そうな仕草で振り返って、あたしの手を前脚でパシンと叩いた。邪魔するな、と言いたいらしい。


 仕方ない、捕まえよう。


 あたしはひとり頷いた。食べ終わってのんびりくつろぎ始めたやつから順番にさっと後ろから抱き上げて、作業部屋の窓の隙間に放り込む。一、二、三……全部で十匹。中から師匠の叫び声が聞こえる。


「はあ? 何だいこりゃ!? ルゥ、またお前だね!!」

「猫になる猫になる……アルアサーラ・ナシャ!」


 そしてあたしは仕上げに呪文を唱えて、綺麗な栗色の毛並みの猫に変身した。変身の呪文は大得意なのだ。窓枠に飛び上がって中へ滑り込む。


 部屋の中はそりゃあもう、すごいことになっていた!


「こら、こらってば! やめな! それはお前のおやつじゃないよ!!」


 一匹の黒猫が、師匠が丁寧に捌いていたハネツキオオガエルを咥えてひらりと棚の上に飛び上がり、人間の手が届かないのを確認すると、見せつけるように端からゆっくりと食べた。師匠がそれを睨んで怒り狂っている間に、別のトラ猫がヤモリの干物を持ち去る。一際大きい白猫はマタタビの束を見つけたらしく、大喜びで全身を擦り付けて作業台の上を転がり回った。あたしは楽しくて楽しくて踊り出しそうになったが、猫がいきなりダンスを始めたら不自然なので我慢した。


 笑い声が漏れないように息を止めると、あたしは仕上げをしようと部屋の奥で煮えている大鍋に忍び寄った。作りかけのそれは、どこかのお嬢さんが依頼したとかいう惚れ薬だ。


(キノコを入れてやろう。しゃっくりが止まらなくなるやつ。そしたら師匠は大恥かいて、やっぱり猫じゃダメだ、頼むからあたしに戻ってきてくれって言い出すわ)


 あたしはキョロキョロと荒れ狂った部屋を見回して、床の隅に目当てのそれが落ちていることに気づいた。さっと駆け寄って拾おうとしたが、そうだ、今は手が使えない。何かを捕まえたり引っ掻いたりするのには便利な前脚だが、物を持ち上げるのには向いていないのだ。


 親猫が子猫を運んでいる姿を思い出しながら、首を伸ばしてぱくんと咥えてみる。牙が引っかかるからか、ほとんど顎に力を入れなくてもスッと持ち上がった。なるほど、これなら子猫くらい簡単に運べるかもしれない。


 キノコを咥えたまま、全身に力を入れて作業台の上まで跳び――


「お戻り!!」


 空中で首根っこを掴まれてぶら下げられ、口からキノコをむしり取られた。


「人間にお戻り、ルゥ!!」

「ナェ?」


 すごい形相で怒鳴られて変な声が出た。やばい、バレてる。そうか、毛の色も変えなきゃいけなかったんだ。


「ニャーァ、ゥ」


 首を傾げて猫らしく鳴いてみた。違いますよ、あたしは猫です。


「シャナ・ラーサアルア」

「あ、やばい」


 変身解除の呪文だ、と思った時には既に人間に戻っていた。どうにか逃げ出せないかと必死に考えを巡らせていると、師匠はあたしの両肩をがっしり掴んで激しく前後に揺さぶった。やばい、相当怒ってる。


「どこも苦しくないかい! 痛みや、痺れはないかい! どうなんだいルゥ!!」

「へ?」


 あたしはきょとんとなって首を捻った。別に、どこも怪我してない。


「なんとも、ありませんけど」

「ほんとだね?」

「うん」


 あたしが頷くと、師匠は腰でも抜けたようにぐちゃぐちゃになった床に座り込んだ。


「どうしたんですか、師匠」

「シャックリタケの胞子は、猫にゃ猛毒なんだよ……」

「はあ」

「『はあ』じゃないよ、間抜け! 調薬は魔法のなかでも特別繊細で緻密で危険な作業だって何度も教えたろう。それを口に入れるなんて! さあ、なんともないならさっさとこいつらを追い出して部屋を掃除しな、この馬鹿弟子!!」

「なんであたしが……野良猫の方がいいって言ったの師匠じゃん」


 唇を尖らせると、師匠はいつになく青ざめさせていた顔色をみるみる真っ赤にして、垂れた頬を震わせながら貴重なハネツキガエルがどうのと怒鳴り散らし始めた。


 あたしはなんでか、ちょっと安心した。





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