第187話 グッバイ、イエローブリックロード 後

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 エリザベートは、マリアが屋敷の外側を通ってこちらに来るのを、横目で見ていた。彼女は燃えた屋敷のすぐ近くにパラソルのついたテーブルと椅子を持ってこさせ、パースペクティブに紅茶を淹れさせている(コンスタンスが下手なのと、この占星術師の手が器用だからだ)。屋敷には既に何十人もの作業員が入ってきており、屋敷内の燃え残りを外に出して、難しい顔で財産目録と出てきた燃え残りを見くらべる執事にいちいち確認している。保険適用内のものと適用外のものを分けるためだそうだ。その他にも、財産を出し終わったところから順番に、何本もの太い紐やら馬やら牛やらを使って屋敷を壊しているようだ。


 エリザベートがいるのは、具体的には警備兵の訓練場と近い、唯一燃えなかった庭園の一角で、彼女の他にはパースペクティブとコンスタンスだけだった。


「ここにいましたか」


 作業中も構わず屋敷の脇を抜けて庭園のエリザベートの前までやってきたマリアは、そう言って小さな紙袋をエリザベートに渡した。彼女にはお使いを頼んでいたのだ。途中いいことでもあったのか、少し機嫌がよさそうにしている。


「そう言ったでしょう」


 エリザベートは紙袋から包装された菓子を出すと、自分と正面に座って足をぶらぶらさせていたコンスタンスに渡して小皿にとりわけさせた。


「屋敷とは言いましたが、今は別の屋敷に住んでいるでしょう?」


「あそこは別邸。屋敷じゃないわ」


「なるほど。それは正しいですね」マリアはそう言って話をうち切った。「それはそれとして、どうしてここでお茶なんてしようと思ったんです? 労働者たちが汗水たらしているのを見ながら優雅にケーキを食べたかったとか、そんな感じですか?」


「ああなんか、安心する。それ」


 曇天の空から不意に差し込んだ光に顔を顰めながら、エリザベートが言った。なかなかきつい皮肉だが、エリザベートには心地よかった。しばらく彼女の皮肉を聞いていなかった気がしていたからだ。いつも食い足りないというか、怪我も治ってきて、頭も冴えてきたのだろう。


 マリアにとっては思ってもない反応だったのか、そうそうに眉を曲げてそっぽを向いてしまった。


 エリザベートはパースペクティブから紅茶を受け取り、一口飲んでからテーブルに乗せた。


「ま、少しはそういうのもあるかな。実際、労働してる人を見ながら飲むといつもよりおいしい気がするもの」


「深堀りはしませんよ」


「なに。あんたから言い出したんでしょうに」


 軽く叱ってみせたあと、エリザベートはマリアにも椅子を勧めた。実際にはそれは、屋敷のどこかにあった焦げた椅子だったが、マリアは一瞬訝し気な表情をしただけで、文句も言わずそこに腰を下ろした。


 パースペクティブは三人分の紅茶を淹れると、自分にもお茶を注いで、エリザベートに断りをいれて一人離れに戻って行った。彼女は最近ますます魔術にハマっていて、ほとんど離れから出てこないようだ。クリスタルやジュスティーヌからは別邸に移るよう再三言われているにも拘わらず、引っ越すと物を置いている場所がわからなくなるからと、一人で離れに住み込んでいる。おかげで無駄に使用人を雇っているぐらいだ。優秀じゃなければとっくに解雇されているに違いない。


 労働者たちは彼らを無視していた。雇い主の娘というのも、彼らにはあまり意味がないらしい。来たときからまったく興味がない風であった。


「終わりを祝してってわけじゃないけど、なにかここが完全に取り壊される前に一回ね、なにかしたかったのよ」


 エリザベートが言った。


 彼女は色々思い出しているらしく、渋面をつくって紅茶を飲んだ。


「これ食べてもいいですか」


 コンスタンスが言った。エリザベートがなにも言わず手でゴーのサインを出すと、彼女は少し恥ずかしそうに固めたジャムを練り込んだクッキーを片手で食べ始めた。


「それでその理由なんだけど」エリザベートは紅茶を飲んでそう付け加えた。「私多分、この屋敷が嫌いなんだよ。でも愛着はあるの。そのどっちもなのかなって、そう思う」


「私は好きでしたよ」マリアは紅茶にもお菓子にも手をつけず、ただ話していた。「廊下の長い屋敷って好きなんです。遠巻きに掃除をしているところを見ていたいもので」


「メード服が好きなだけじゃないの、あんた。確か前にメードとも付き合ってたんでしょう」


「メードじゃなくて庭の手入れ係ですけどね。少し髪にウェーブがかかっていて、抱きしめるといつも金木犀の香りがする子でした。」


「それ香水でしょ」エリザベートはマリアが過去の恋愛話を始める前にそう言って話題を戻した。「あんたの昔の話なんていいの。コンスタンス、あんたもこんな話聞く必要ないからね。そんなことどうだっていいんだから。私は恋愛なんてどうだっていいの。今は自由に暮らしていたい」


「ああ、シャルル王子との婚約を破棄したんでしたね。少し意外でした。ご両親がお認めになるとは」


「言わないで出したのよ」


 マリアは今度は露骨に驚いた顔をした。エリザベートがシャルル王子と婚約破棄したのは、貴族の間ではすでにかなり広まっている話だったからだ。


「そうよ。まだ正式に婚約破棄をしたわけじゃないの。もしかしたらお父さまやお母さまからこっぴどく叱られるかもね」


「確実にお呼び出しになるでしょう。考え直すまで部屋に軟禁されるんじゃないですか」


「だから」エリザベートは脅迫するようにイントネーションを強くして言った。「その時が来たら、今度はちゃんと味方してよね」


 死んだりせずにね。エリザベートは心でそう付け加えてエリザベートの肩を拳で軽く叩いた。


 マリアは皮肉っぽく笑って言った。


「ええ。それはもう」


 エリザベートは逆に、柔らかい笑顔で返した。きっと本当に喜んでいたからだ。そして、アイシングがたっぷり塗られたクッキーを手に取り、口に入れた。


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 十数年間生きてみて、わかったことがいくつかある。人は完璧じゃない。特に私は。欠点だらけだし、そのためにひどいことも沢山してきた。完璧じゃないことを隠そうとすると、いつも傷が広がる。開き直って正面から傷をつくったほうが、軽症ですむこともよくあることだ。私は今回のことでそれを学んだ。クソみたいな自尊心を捨てるつもりはないけれど、少なくとも向き合うつもりだ。

 

 ああ、でもだからといって私は、自分の経験をただの寓話とか、教訓話にして落とし込みたくはないし、むしろそういうものは散漫であれば散漫であるほどいいと思っている。そうじゃなきゃ教訓に広がりはない。一つのことを学ぶのに、いちいち針を突き立てるんじゃ面倒だ。


 だからこれは、単に時間の流れの一つだと解釈するのが正しい。私がこれから今までのことを参考にしてなにかを上手く行かせたり上手く行かせなかったりするのは、ただの偶然だし、起こった結果は全部ただの模様に過ぎない。それでいい。


 だいたい反省とかクソッタレだ。私は私として生きていきたい。反省しなきゃとかそういうんじゃなく、自分の内側からそういうのが湧き上がってくるのを待ちたい。多分、湧き上がってくると思うから。


 湧き上がって来てくれなかったらすごく困るんだけど。


 でも、私はそういう自分を信じている。アイリーンが優しいと言ってくれたことを信じていて、マリアやコンスタンスやクレアやジュスティーヌが助けようとしてくれた私を信じている。


 その夜エリザベートは別邸の自室に戻った後、自分の部屋に荷物が届いていることに気が付いた。メードが置いたにしてはおかしい位置にあった。ベッドの上に鎮座していたのだ。エリザベートはそれを開いて、中を覗き、手に持って取り出してみた。


 それは見覚えのある金魚鉢で、中に見覚えのある水の塊が入っていた。エリザベートがそれを月にかざすと、存在を主張するように水の塊は小さく跳ねて、エリザベートの頬に飛び散った。


 忘れてないって。ただ言ってなかっただけ。



 (巻き戻り令嬢のやり直し~わたしは反省など致しません!~ 終わり)

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巻き戻り令嬢のやり直し~わたしは反省など致しません!~ 柏木祥子 @shoko_kashiwagi_penname

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