第186話 グッバイ、イエローブリックロード 中
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聖ロマーニアスの王城の五階からは、紅茶のカップを持った城主が、街を見下ろしていた。
後ろにはこの国の政治家や貴族、騎士など彼に忠誠を誓うものたちが数人、立っている。
「アドニス・ケインズの処遇など、事後処理が完了したと報告を受けました」
「街の復興も予定より早く進んでいます。この分であれば来月には学院を再開することもできるかと」
「うん、そうか。これで概ね私の思惑は軌道に乗せられたわけだ」
「おめでとうございます。難局を乗り切りましたね」
臣下たちの中から巨躯の騎士――シャルル王子のお付きの騎士であったエドマンド・リーヴァーが前に出て、彼に祝詞を送った。城主はローズヒップの紅茶で口を湿らすと、臣下たちを振り返り、
「なに、難局だったのはことが明らかになるまでだ。そこからはただ既定路線を進んでいただけに過ぎないよ」
と、そう謙遜した。
「それでも、お見事でした」
フェリックス王は笑顔で演奏を終えた指揮者のようにお辞儀をすると、テーブルの端に腰を下ろした。王のために用意された椅子などにはあまり興味がないらしい。臣下のうちまた一人が、難しい顔でフェリックス王の前に進み出た。
「ですが、グザヴィエ・マルカイツに恩寵を与えたのは、少し甘かったのではないですか? お陰で有能な駒を失ってしまった」
「わかっていないなお前は。私が恩寵を与えたのはあの男ではなくエリザベート・マルカイツのほうだ。そして彼女は賭けに勝った。どのみちグザヴィエはもう大した厄介でもない。それでも保守派の連中はやつを頼るだろう。それは利用できる」
「つまりそれも、思惑通りであると? そう仰りたいのですか?」
「どちらにしても損はしない選択肢を選んだということさ。それにギルダー・グライドのような人材は探せばいるだろうが、エリザベートのような経験をしたものは希少だよ。あれこそ国の財産と言えるだろう」
「確か、殿下との婚約を破棄されたと聞きましたが」
「別に息子の婚約者でいる必要はない。むしろその肩書は邪魔だ。父親とのつながりも必要ないしな……だが、確かに息子は今落ち込んでいるだろう。仕事を回してやれ。忙殺されるぐらいにな。やりがいのある仕事があれば元気になるさ」
フェリックス王は机の上に乗せられた手紙の束を見やった。それは大陸中から届いた、シャルル王子に対する婚約の手紙だった。西の強国、東の芸術の国、臨海の貿易国、カダルーバまで、国内を含んだ多様な国の王族や貴族たちが自分の娘をシャルル王子と結婚させたがっている。
「できる嫁をあてがってやるのも、親の仕事だ」
父親と対照的に、シャルル・フュルスト・ロマーニアンは城内の執務室で一人、考え込んでいた。
果たして今回のことで、自分はなにをを失ったのだろう? と。普通に考えればそれは、婚約者との婚約、騎士、そして信頼していた父の暗い側面など、思いつくものはたくさんある。けれどエドマンドははじめから父の忠臣で、父ははじめからああいう人間だった。そしてエリザベート、彼女は……。
シャルル王子はエリザベートの手紙を手に取った。少し端がよれている。受け取ってから何度も、何度も読み返したからだ。
エリザベートからの婚約破棄は、直接、本人の口から伝えられた。そして後で正式な手紙が来た。硬い正式な手紙と、エリザベートの柔らかい文体の、本来の彼女の姿を伝えた手紙。
そこには突然の手紙の謝罪と、これまで婚約していたときにやったことに対する謝罪、そして彼女の今の生活について記してあった。マリアとの他愛のない会話についてや、コンスタンスがどんなやらかしをしたか。ジュスティーヌと紅茶を選んだこと。不自由なく暮らしているという報告。
婚約している間、何度となく手紙を受け取った。けれど婚約破棄を伝えるその手紙に浮かぶエリザベートは、今までみたどの彼女とも違っていた。手紙は楽しみだった。それは嘘じゃない。でも自分は今まで、エリザベートがもっと守られるべきとしか考えていなかったのだ。それが今になって、彼女ともっと話をしたいと思うようになっていた。
シャルルは手紙を何度も撫でた。そういったことを話せる相手はもういない。シャルルは孤独だった。
――でもそれは初めからだ。僕は初めから、なにも持っていなかったんだ。
国のこと、結婚のこと、自分のこと、これからのことをこんなにも不安に思うなんて、とシャルルは考えた。
不意に、以前父から言われた言葉を思い出した。
「お前は学生なんだから、学生らしいこともしろ」
エリザベートとまた話をしたいと言ったらそれは学生らしいことに入るんだろうか? シャルルはフェリックス王の命令で大量の仕事を持ってきた執事が現れるまで、そのことについてじっくり考えた。
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