五章 終わりの後の後
第185話 グッバイ、イエローブリックロード 前
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聖ロマーニアス王国を襲った未曽有のクーデターは、国軍の勝利で決着を見た。古代兵器まで持ち出した反乱軍たちはそのほとんどが戦死するか、捕虜となり、彼らを主導したとされる貴族や、商売人たちは残らず憲兵隊によって捕縛され、早々に刑務所で永久に幽閉されることが決まった。
この決定には、国内外から賞賛の声が相次いだ。フェリックス王は自国に刃を突き立てたものにさえ温情をかけるのだと。一方で一部からは、やはりあの王は甘すぎるという声があり、国政に限りなく近いものの中から反乱を起こしたものが出たことから、政治不安と外交不安の声もあった。さらに一部の声では、幽閉された貴族たちは全員既に死んでいるとのことだった。
クーデター終結直後から関与を疑われていたカダルーバは、聞き取り調査の結果、潔白とわかり、かえって向こうからは復興支援の申し出があった。
彼は終結から三日後の国民演説で、このようにスピーチをした。
「我々を襲った大きな悲劇は、私に大きな教訓を残した。今回のクーデターに参加した人々はみな聖ロマーニアスの国民で、この国に不満を持っていたものたちだ。手段は誤っていたのかもしれないが、彼らなりの想いがあったはずだ。私はこの場で誓おう。この国を立て直して見せる。あなたたち一人ひとりの生活を、きっと今よりもよいものにしてみせよう。そのための準備は出来た。そのために大きな犠牲を払ってしまったが、犠牲になった人々のために、私は成したい」
王国の運営に詳しい人物に言わせれば、これからこの国は、フェリックス王の思い描く通りの姿になるだろうということだった。フェリックス王は捕縛した貴族たちの財産を残らず没収し、破壊された街の復興と、家を失ったものたちへの支援に回した。これにはいくらか貴族たちからの反発もあったが、みな小物ばかりだった。フェリックス王と敵対する貴族の重鎮は、財産を没収されて刑務所に幽閉されるか、黙して何も語らなかった。
詳しい人間が見れば、クーデターで貴族の間に起こったことは、すべてフェリックス王の利になったという。彼らが性急な手段にでたお陰でフェリックス王は自分の周りから理想に合わないものを排除し、彼の目指す民主的な社会に近づいた。外交的な不安についても、あのバリスタ部隊が古代兵器をあっさり打倒したことで、結局、聖ロマーニアスの正規軍が持つ軍事力を周辺諸国へアピールする結果となったと、そう解釈するものがいた。
三週間のときが経っていた。街の中心部に簡単な慰霊碑が設置され、人々がそこに集まり、亡くなったものたちを偲んで鎮魂歌を歌っている。主要な道路からは瓦礫がどかされて、馬車が通ることのできるだけのスペースがつくられている。子供たちがはしゃぎながら道路わきの瓦礫のうえを走りまわるのを、クレア・ハーストは見送った。
彼女はメード服のうえに外套を羽織っていた。このところ曇り続きで、肌寒い日が続いていた。彼女は食料品を詰めたバスケットを片手に、主人の元へ帰る最中だった。
クレアは軽く咳をして、瓦礫を避けて歩いた。表通りを歩くとき彼女は、いつも軽い罪悪感にかられた。
クレアはスラム街にあるダルタニャン家の王都邸ではなく、その近くのアパートメントに入って行った。
三階の角の部屋。鍵を開けて入ると、窓際で主人であるアイリーン・ダルタニャンが眼鏡をかけて読書をしていた。
アイリーンはクレアに気が付くと、眼鏡を外して小さなテーブルに置き、本に指を挟んで逆さにした。クレアが外套を脱いでダルタニャン家の人々と同じポールハンガーに引っかけ、バスケットを食卓の真ん中に置くところを一部始終、見ていた。
「お疲れ様。あなたは休んで」
アイリーンはクレアがフリーになると、そう言って立ち上がった。
「いえ、そういうわけには」
クレアが言った。
「そう? ありがとう。でもバスケットはいいから、こっちに来て、話し相手にでもなって」
アイリーンは本を閉じて脇にどかすと、自分の正面にある椅子をクレアに勧めた。
アイリーンの住まいは、こぶりなアパートメントの一室だった。部屋はリビングを含めてたった三部屋しかない。大きめの部屋をアイリーンの父が使い、残りの一つをアイリーンが使っている。クレアはアイリーンが設定した就業時間を過ぎると、自分に用意された別の、ここより更に狭い部屋へ帰ることになっている。
貧乏貴族の一部はあのクーデターで家を失い、税金でケンドリック・クラブに部屋を割り当てられていた。しかし、ダルタニャン家はケンドリック・クラブではなく元の家と近い場所に仮の住まいを置くことにした。父の仕事など色々な事情はあったが、一番の理由は城の近くに住みたくないからだった。
クレアは恐る恐る、椅子に腰を下ろした。アイリーンは遠い目でアパートメントの外をじっと見ていた。
「そういえば、あなたに訊きたいことがあったんだった」
アイリーンが不意にそう言った。
「なんですか?」
アイリーンはクレアの方を向いた。
「私のところに残るので、本当によかったの?」
アイリーンが言っているのは、エリザベートのことだ。
クレアは寂し気に、しかし迷いなく答えた。
「いいんです。お嬢さまのメードじゃなくても、お嬢さまと関わることは出来ますから」
「でも、あんなに恋しがっていたのに」
「いいんです。今度からは私から、声をかけて、友人になれればと思っています。それに私にとっては、アイリーン、あなたも私のお嬢さまなんですから」
アイリーンはすると、クレアが考えていた以上に嬉しそうに、「そっか」と言うと、椅子の背にもたれかかった。
そこから話は、クレアの去就からエリザベートの話に変わった。
「そういえば彼女、婚約を破棄したそうね。自分から、シャルル王子には相応しくないからと言って」
「そうなんですか?」
「知らなかったの? あなたの方が詳しいかと」
「初めて知りました。ついさっきマリアと会ったのに彼女、なにも言わなかった…‥」
クレアは少し不貞腐れたような顔になり、自分の頬を撫でた。そして思い出したようにバスケットの蓋を開けると、中から一輪の花を取り出した。
「それは?」
「マリアと一緒にいたときに、彼女があなたにと、道端の花売りの女の子から買ってくれました」
それは小さな、名も知らぬ白い花だった。貴族の庭園に咲いているようなものではなく、草原に何本か固まって咲いているような、素朴で、可愛らしい花だった。
「彼女、大きな花は邪魔になるだろうからと、バスケットに入る花を選んでくれたんです。今、水にさしてみますね」
アイリーンはその花を指して言った。
「それ多分、あなたにじゃない?」
クレアがびんに水を汲む手を止める。指の間から水がびんの脇をたれ、数滴が床に落ちていった。
クレアは驚き、顔を赤らめた。
「そんな」
「きっとそうよ」
クレアは頬をますます顔を赤らめて俯いた。あの騎士が自分にそんなことをしたのかと思うと、その花を持っているだけで頭が沸騰しそうなほど恥ずかしかった。
「そうなのでしょうか……」
「きっとそう」
アイリーンは楽しそうに、姉妹に対するようにクレアをからかった。不安や、クーデターが残した傷跡が、少しでも和らいでくれればと願っていた。クレアのことを想い、そして、シャルル王子のことを想った。
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