清水の舞台の桜風吹けば いでそよ人を忘れやはする

 年が明け、冬の寒さが一番厳しい時期。

 はるこは清水寺に一人足を運んだ。

 なぜなら今日は明朝から雪が降っていたから。


 白い息を吐きながら坂を登る。


 去年の春はどれほどそれに嫌気がさしたことか。

 去年の初夏はどれほど心が弾んだことか。

 去年の秋はどれほど美しい景色が目に入ったことか。

 今年はただ雪が降っていることしか思うことはない。


 小町とは結局、雪を眺めることもなかった。

 ホワイトクリスマスなどになることはなく、もう二度とホワイトクリスマスなど迎えることなどないだろう。


 クリスマスはもう終わったのだ。

 冬になり四季も終わる。


 清水寺は、薄らと雪が積もっており、白銀とまではいかないが美しいものだった。


 「小町さんとも見たかったな。」


 だが、それはもうできないだろう。

 悲しくも思ったが、もう涙も枯れ果てた。なぜなら、冬は木々も枯れる季節。


 あの後、二人はお互いの連絡先を消してしまった。

 そんなに好きならば、連絡先を残して話だけでもすればいい。

 しかし、二人はそういったことはしたくなかった。


 清水寺で逢いましょう。


 二人の間柄はそれだけでよかったから。

 連絡だけ取りあってしまえば、それこそ二人の関係はなくなってしまうのではないか。


 どちらかが提案するでもなく、そっと二人は連絡先を消した。


 「きっと小町さんのことやから、薄いコートでやって来て寒がるんやろうな。」


 とはいえ、もう小町が何を着ていたかなんて朧げだ。

 ただ、彼女から貰ったハンカチだけは大事にしているので、それが唯一小町の持ち物で覚えている。


 「もう帰ろ。もう二度と自分から進んで清水寺に来ることなんてないやろう。」


 桜の中で出会った小町は美しい幻想になる。思い出とは幻想なのだ。

 色づく季節に会えてよかったとはるこは思う。季節ごとに、彼女と会うごとに色づいた京都は忘れることはないだろう。

 幻想とは思い出。美しく残る儚い想い。

 一人白の世界を見て、全ての色が出揃ったはるこは色鉛筆に似た蓋を閉じたのだった。



 春。

 はるこは高校三年生になった。

 

 当たり前である。

 春がまた巡るのだから、時も進む。


 桜が舞う景色をはるこはぼうっと見つめた。

 はるこの学園に続く坂道は桜の並木になっており、風が吹けば世界は桜色に染まる。空も地面も。


 そんな景色の中を歩いていると、どういうわけかまた清水寺に行きたくなった。

 もう行かないと決めていたし、彼女もいない。


 けれど、また春が来たのだから。

 せっかくまた桜が綺麗に咲いているのだから。

 以前の色とは違うかもしれないが。


 はるこはそう思って五条の坂を登ったのだった。


 そして清水の舞台へとやってくると、京都の街を見下ろした。


 京都。

 清水寺。

 春。


 そんなことを思っていると、一陣の風が吹き、その風と共に桜が舞い散る。


 さくら、さくら。東山も京都タワーも。

 卯月の空は見わたす限り・・・さくら、さくら。


 「でも、この色は去年と違うんや。だって・・・。もういない。もう待つ意味もないんやから。」


 「・・・貴女、ずっとそうして待っていてくれたの?」


 聞き覚えのある声がする。

 はるこは震えながら振り返った。こんなに春の日差しは暖かいというのに、震えが止まらない。


 「お待たせ、はるこ。」

 「逢えた・・・。また逢えた・・・。」


 そこには、あの時出逢った美しい少女が立っていた。

 ずっと一緒に季節を過ごした美しい少女。


 そう、橘小町が立っていたのだ。


 「どうして、ここに・・・きはったん・・・ですか?」

 「どうしても何も、 “清水寺で逢いましょう” の合言葉を忘れたの? あれからずっとそればかりを想っていた。逢える確証はないのにね。馬鹿みたいだけど、来てしまったわ。はるこがこの合言葉を覚えていると信じて。」

 「小町さん・・・っっ!!」


 はるこは思い切り小町の胸へと飛び込んだ。

 小町ははるこを受け止めると、彼女をぎゅうっと抱きしめる。


 「ごめんなさい。父を説得するのに思った以上、時間がかかってしまったわ。」

 「説得・・・?」

 「ええ、日本の大学に通うことをね。あと、京都で一人暮らしをすることを。」


 はるこはそれを聞いて驚くばかり。

 しかし、一番驚いたことといえば。

 はるこは涙を拭きながら小町に尋ねる。


 「小町さん・・・一人で生活なんてできはるんですか? 食事は? 洗濯は?」

 「はるこ、馬鹿にしないで。使用人は三人くらい連れて来たから。大丈夫よ。」

 「・・・・・・。」

 「何よ・・・?」

 「いえ、そういう小町さんが好きやなぁって思うただけです。」

 「そうやろ?わたしもそうおもうんや。そうおもってくれるはるこもすきや。」

 「・・・だいぶ上手くなりましたね。」

 「すきなばしょのことばやから。はるこのつかいよることばやから。」


 そう言い合うと二人は笑った。


 はるこは、すこし小町から離れるとまた涙ぐんで彼女に言う。


 「季節が終わったから、もう逢えんと思うとりました。私たちの色が終わったから。」


 すると小町は、はるこの頭を撫でて応えた。


 「私もそう思ってた。でも、私って馬鹿ね。季節って終わるわけはないのよ。季節って巡るものでしょ? 春はまた巡る。色を変えながらまた春は巡っていくの。」

 「・・・春は・・・巡る。」

 「ええ、そう。」


 小町は清水の舞台から、桜舞う京都の街を指差す。

 春の光に包まれてとびきりの美しい笑顔で。


 「春はまた巡る。色を変えながら。その度に私の中の色は増える。だから、私は何度でも言いましょう。」

 「小町さん・・・?」

 「季節が巡るたびに。何度でも言いましょう。あなたとわたしの合言葉。清水寺で逢いましょう。」


 小町ははるこの手を取るとぎゅっと強く握った。しかし、それはどこか優しく。

 そして桜に負けない美しい姿で、はるこを誘うのだ。

 はるこの涙など桜吹雪と一緒に飛んでいき、彼女もまた美しく微笑み返した。


 「小町さん。私も何度でも言いましょう。あなたとわたしの合言葉。清水寺で逢いましょう。ずっと、ずっと。」


 春は巡る。

 季節は巡る。

 京都の四季はその度に色を変える。

 二人の見る色は逢うたびに増えていく。

 春が巡らないことなどはない。

 季節が巡らないことなどはない。


 二人の間にさようならの言葉などはない。

 二人の間にある言葉はこれだけ。


 はること小町の合言葉。


 清水寺で逢いましょう。


 彼女たちは何度でも言うことでしょう。

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清水寺で逢いましょう 夏目綾 @bestia_0305

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