不調法な手を取って

いいの すけこ

荒野に咲く

 まるで緑に沈むかのような屋敷は、好き勝手生い茂る植物にのまれかけていた。

 外壁はずいぶんと擦り切れているけれど、それでも堅牢な石造りの家は、魔法使いの家だという。

 まだこの家が新しかった頃は、当時の主――先代のことである――が社交的だったこともあって開かれた場所であった。

 広い庭に面した硝子張りのサンルームは、まさしく主の開放的な性格を表していたと言える。

 けれどそれも昔のこと。

 今となっては、人を拒む閉じた場所であった。先代お気に入りのサンルームは天井までびっしりと蔦で覆われている上に、風雨にさらされ薄汚れている。加えて、入り口の門扉から家までは距離があり、草をかき分け踏み分け辿り着かねばならない。

 

 「先代の時代には、もう少し人の出入りがあったものを」

 そうこぼすのは、現在の主にとってただ一人の――いや、人ではなく猫なのだが――同居人。家に引きこもる現主人に呆れつつも、今のところは傍にいる。

 それでも他人を寄せ付けず、独り部屋にこもる人間とずっと一緒なのは気づまりなのか、猫はたびたびふらりと外に出ていった。

 そうして。

 ある時猫は、ひとりの少女を連れてきた。

 正確には、猫を追いかけて少女が敷地に入り込んできたのだけれど。

 ともかくも、それはそれは久しぶりに。

 この閉ざされた家に、人を招き入れることになったのだった。



 ぼんやり曇った窓、絡んだ蔦。

 それでも南に面したこの部屋には、蔦の葉と窓の曇りを透かして光が注いでくる。猫は硝子張りの意味がないと嘆くが、直接的な光より柔らかでいいんじゃないだろうか。

 それに部屋の隅、サンルーム用の硝子扉の周りは、蔦がすっかり取り払われていた。

 ついこの間、この部屋に強引に押しかけてきた少女。

 彼女が扉の周りだけでもと、蔦を剥いでしまったのだ。

 家の主である男が止めるのも構わず、力任せに蔦を引きちぎっていった少女。容赦なく蔦を引っ張ってはむしり取るものだから、一緒に硝子が割れるかと思うほど、荒っぽかった。

 

「こんにちは! お邪魔します、ヒースさん、ウィニーちゃん!」

 そこだけ特に明るくなった空間に、勢いよく声と人影が飛び込んでくる。

「よーお。相変わらず元気だね、デイジー嬢ちゃんは」

 机から少女の足元に飛び降りて、使い魔――というと否定するが――の白猫ウィニーが出迎える。

 少女デイジーの額から頬にかけては、痛々しい縫合痕が目立つ。白い顔はそれでも子どもらしく無邪気に、満面の笑みを浮かべた。

「死んでも元気なのが取り柄だから!」

 洒落にもならんと、家の主であるヒースは息を吐いた。 



「ひゃ!」

 小さな悲鳴とともに、どさどさと何か崩れた音がする。

 もうもうと上がる埃は陽光にちらちら光り、どこか幻想的ですらあったが。羽はたきを握るデイジーの足元は、書架から落下した書籍に埋まっている。

「またか」

「ごめんなさい、またです」

 掃除を開始して一発目には、机の筆記具をぶちまけ。

 机にさわるなと遠ざけたら、今度は応接卓の上の花瓶を割った。

 長らく空で無意味な置物と可していた花瓶には、デイジーが庭から摘んできたスイセンが飾ってあった。けれどなんの気遣いもなしに摘んできたらしく、折れてしまった花は日を置かずして枯れる始末。

 デイジーはとにかく雑だった。

 最初はまだ子どもだ、十一、二歳の小娘ならそんなものかもしれないと思ったが。

 そういえばデイジーは、自分より遥かに年上だったとヒースは思い至る。

「そんなに不調法だと、腕がもげるぞ」

「大丈夫です。お父様が綺麗に繋いでくれましたから!」

 父親。

 五十年以上も前に亡くなった、死霊術師ネクロマンサーだったという。

 腕まくりをした少女の細腕には、顔と同じく縫合の痕。

 初めて握手した時の、冷たさを今でも覚えている。

 死んでも元気と標榜する少女、その正体は。

 血の通わぬ死人形、屍人ゾンビであった。


「まったく、掃除なんてさせるんじゃなかった」

 初めて家に訪ねて来た時、デイジーはサンルームの扉を強引に開いて、近くに積んであった荷物を崩してしまった。もともと物の多い、整頓のできていない部屋だったこともあって、その惨状を見たデイジーは掃除を申し出たのだ。

「猫の手も借りたいと、俺にいやみったらしく言ったのはヒースだろう?」

「屍人の手を借りたいとは言ってない」

 ウィニーの嫌味返しに、ヒースはむっつりとした表情で言い捨てた。

 懸命に掃除に励むデイジーだが、部屋をますます荒らすのではないかとヒースははらはらしっぱなしだ。

「運動不足のひきこもりには、ありがたいことじゃないか」

「……閉じこもるには、やっぱり家が荒れてるくらいで丁度良かったな。人が寄り付かない」

「この、荒地に独りきりの臆病者めが」

 Heath荒野に引っ掛けて、人を寄せ付けぬヒースを白猫は非難する。

 もしも荒地に一人きりなら。

 時折そんな風に想像して、ヒースは孤独に身を浸すのだった。



「わあ!」

 ヒースとウィニーが睨み合っていると、突如デイジーが歓声を上げた。

「綺麗な鳥!」

 本棚と本棚の間、人一人立てるくらいの空間に、デイジーは鳥籠を見つける。真鍮の鳥籠は少女の目線より少し高いところに、鈎付きの支柱を支えに吊り下がっていた。

 籠の中には、虹色の羽根が美しい小鳥が一匹。

「お前、何を勝手に」

 デイジーの手には、紺色のベルベットが握られている。普段はその布が鳥籠を覆っていた。

「これは本物ですか」

「作り物だ。いいから覆いを戻せ」

 精巧なそれは、鳥の羽根を鮮やかに染めて土台に張り合わせた、まがい物だ。硝子でできた瞳が美しい。

「つくりもの」

 聞くなり、デイジーは籠の中に手を差し入れた。ヒースが止めるのも構わず、そのまま小鳥をつかまえる。

 籠から手を引き抜く時、鳥を握ったデイジーの手に、わずかに力がこもったように見えた。

 ぱきん、と。

 デイジーの小さな手の中で、乾いた音がした。 

「あ……」

 鳥の羽根が、もげ落ちていた。

 折り畳んだ形のまま、右の翼がごっそりと体から剥がれ落ちている。

 ヒースは思わず声を上げかけた。けれど何とかそれは飲み込んで、代わりに大きくため息を吐く。

「もういい、どこにも触るな」

「作り物、なら。大丈夫だと思ったんです」

 恐る恐る、デイジーは手の中の鳥をヒースに差し出した。

 受け取って、ヒースは背を向ける。

「……ごめんなさい」

「まだ猫の手の方が、ましだったな」

 言い過ぎた、と思う。

 だが、もういい。

 あんまりに独りで過ごしてきたから、ものの言い方も関わり方もわからない。


「お前に貸してやる手なんぞ、ないわ!」

 ふしゃあと威嚇の鳴き声とともに、脳天に鋭い一撃を食らう。わざわざ高いところから飛び降りたのか、ヒースの頭をはたいたウィニーは荒々しく床に着地した。

「痛いだろうが!」

「痛くしたんだこの馬鹿! 人づきあいが下手くそなのは仕方ないにしても、そんな言い方したらデイジーが可哀想だろうが」

「ウィニーちゃん、良いの。だって、私がすぐにものを壊すから」

 叩かれた衝撃に振り返ったら、泣きそうな顔で頭を振るデイジーが視界に入った。ばつの悪さに、目をそらしてぼそぼそという。

「……こいつが不調法なのがいけないんだろうが。いくら何でも、ものの扱いが雑だ。屍人ってのはそういうもんか? 無神経すぎる」

「そうだ。デイジーは、無神経だ」

 ヒースが口にした非難を、ウィニーは咎めなかった。真剣な表情で繰り返す。


「屍人の体には、血も神経も通っていない。痛いも、熱いも冷たいも。ものの感触もろくにわからないんだ」

 思い出す。

 小さくて白い、冷たい手。

「……力の加減が、できないのか?」 

 デイジーは黙ってうつむく。申し訳なさそうに身をすくませた。

「俺らみたいに、感覚で加減するのは難しいだろうな。手が触れるもの、届くもの一つ一つを確認して取り扱うんだ。うまくやるのは、大変だろうよ」

 思わず己の額を抑える。

 指が額に触れる感触、伝わる熱。うなだれた頭を支える手。

 こんな何気ない動作でも、デイジーとヒースとでは、全く違う部分を働かせているのだろう。

「そんなこと、わからなかった」

「そうだろうよ。お前はすぐに、遠ざけるから」

 辛辣な猫のもの言いに、ヒースは言い返す言葉が見つからない。

「デイジーは、俺を撫でる時にはずいぶんと気を使ってくれたぜ。生きているものは、取り返しがつかないから。お手も、そっと、そおっと、だ」

「……昔、鳥さんとお友達になろうとしたときには、潰してしまったの。可哀想なことをしてしまったわ」

 ああそれで。作り物の鳥だからと、手を伸ばしたのか。

「本当は、ヒースさんと握手をするのだって、怖かった。だけど、本当に久しぶりに、お友達ができると思ったのよ。お友達に、なりたかったんだもの」

 初めて逢った時、笑顔で伸ばされた手が。

 そんなにも覚悟をもって、差し伸べられたものだったなんて。

(俺は、本当に、臆病だ)


「……臆病者に、借してやる手はないが」

 足元で、ウィニーがお手をするように前足を持ち上げる。

「勇気ある人には、いつだって差し出す手はあるんだぜ」

 その言葉に、デイジーはゆっくりとしゃがみこんだ。

 少女はそっと猫の手を取って、握手をする。

 その光景が、ヒースの胸を緩やかに締め付けた。

 良心や罪悪感、独りきりの心に、まだあるもの。

「おいヒースよ、なにをぼさっと見ている。お前もやるんだよ」

「は?」

 詰まる胸を抑えていたら、ウィニーが見上げながら言ってきた。ヒースを見つめる、もう一人分の瞳。

 初めての時は、向こうから差し出された。

 自分も冷たい態度を取ったことを、謝るべきだろうと思う。

 けれどそれよりも、まずは相応しい言葉を。

「……これからも、よろしく」

 ぎこちない動作で差し出した手は、冷たいけれど柔らかな手に触れる。

 やっぱり雪解けの春は、おとずれていたのだ。

「こちらこそ。これからも、仲良くしてください」

 握り返してくる感触は、ヒースの手をそっと優しく包み込んだ。

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