私と、猫と、また明日

杵島 灯

第1話 私と、猫と、また明日

 

 彼氏と別れた。

 この一年間、あいつは二股をかけてたそうだ。


 大学生のときに付き合って今年で三年。……に、なるはずだったのにね。


 でも確かに、新卒で入った会社は覚えることがいっぱいで、最初のうち私はほとんど連絡もできなかった。

 近頃はなんとか時間が取れるようになったけど、ここんとこは向こうがなんやかんや理由をつけて会うのを断ってたもんね。


 今思えば怪しかったけど、でも私だって会うのが残念っていう気持ちより「家で寝てられる、良かったー」なんて気持ちの方が勝ってた。

 もうとっくに、あいつのことは二の次になってたのかもしれない。


 なーんて思うんだけど。

 でもいざ別れてしまうと、心にぽっかり穴が開いた気がしちゃうのは何でだろう。


 そんなことを考える自分に少し腹が立って。

 静かなアパートの部屋で妙なことを考えるのも嫌になって。


 休日の今日もいつもと同じように寝てるつもりだったけど、予定を変えて大掃除をしようと決めた。


「さあて、いっちょやるか!」


 気合を入れた私は、大きくカーテンを開いて張り切って始めた……つもりだったんだけど、いきなり動きが止まってしまった。

 あいつと一緒に出掛けた時に買ったバッグが目に入ってしまったから。


 開始して即、消沈するとは、我ながら情けなさ過ぎるのは分かってる。

 でも、あのバッグを持って出かけた時の楽しかった思い出が頭をよぎっちゃうんだよね。開けたカーテンから差し込む日差しに輝くバッグチャームは、まるで楽しかった日々の象徴みたい。


「……やっぱり、掃除はまた今度にしようかな……」


 そう呟いた途端、私の後ろで大きな音がした。

 振り返ると、実家から出る時に一緒に連れて来たキジトラ猫・ミルクがタンスの上から小物入れを落としていた。


「あーっ! こら!」


 私の上げた声にひるむことなく、タンスから飛び降りたミルクは散らばった小物で遊ぼうとする。

 誤飲でもしたら大変、と私は慌てて片付けに取り掛かった。



   *   *   *



 結局あれから、私は夜まで掃除していた。

 あいつとの思い出の品を見るたびに動きは止まっちゃうんだけど、そんなときに限ってミルクが何かしでかすせいで、思いの底に沈みこんでしまうことがなかったから。


 物が減ったからかな。今の私はとっても晴れやかな気分。

 すっきりした部屋を見回して、最後に隅っこにある猫ベッドへ視線を移す。


 私の掃除が終わると同時にそこへおさまったミルクは今、チョコレート色の肉球を見せて眠っていた。


 今日一日のミルクの行動に、きっと深い意味なんてない。私がバタバタしてるんで一緒に動いてただけだと思う。猫ってそういうところがあるよね。忙しい時に限って、余計なことをしたりするの。


 ――でも。


 今回、わたしにとってこの『ミルクの手』は、一歩を踏み出す切っ掛けとしてとっても重要な手だった。

 この子の手がなかったら私は朝の段階でカーテンを閉めて、物と思い出の多い部屋でまたいつもと同じように寝てしまってたはず。


「ありがとね」


 私が囁いた途端、ミルクは「プピー」という寝息をたてた。

 それがまるで返事のようで、私は声を立てないようにして笑う。

 笑った後で玄関を振り返って、ちょっとだけ顔をしかめた。


「明日は早く起きなきゃいけないなあ……」


 いくつもあるこのゴミ袋を出すときは、さすがにミルクの手を借りられないからね。

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私と、猫と、また明日 杵島 灯 @Ak_kishi001

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