【KAC20229】あるねこのおもてなし

すきま讚魚

サラドはお嫌いですか

 ぼくのご主人はいつもいつもお忙しそうである。

「料理人は、目配りとほんのひと手間を惜しまないかどうかが大切なんだ」と独り言のように目の前をよこぎるぼくに向かってしゃべっている。

 そうやって厨房でコトコト、タタンときれいな所作で包丁をあつかうご主人をよこめに、カランコロンと鳴るベルのおとにひと鳴きへんじをしてから、お客さまのおむかえにあがるのだ。


 ぼくがまだ子猫のころ、ご主人はヨーロッパへ料理のしゅぎょうに出てきていて、そこでぼくを見かけて連れかえった。ご主人はたいそうきんべんで、ぼくを膝にのせているときすら本をよんで、なにやらノートに書きうつしていた。

 ご主人はよくぼくのことを「かしこいなぁ」とほめては、ぼくのぶあつい褐色の毛をきもちよさそうに撫でてらした。ぼくはかしこいので、正直なところあまりおなかのあたりを撫でさせるのはプライドがちょっとムムゥとなるのだけど、甘んじてうけいれてあげることにした。


 たくさんのお店でしゅぎょうしたご主人は、とうとう自分の店をもつことになった。山奥の、小さな小屋。そこにこじんまりとした料理屋をオープンさせたのだ。

 とびらには銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって

『どうぞどなたもおはいりください』

 と書かれたふだがかかっている。


 ご主人はそこで、はきものも買えないような子どもたちや、病気のおじさん、じぶんの分のご飯はいつもがまんして髪をきちんとする暇もないような女のひとにも、料理をふるまった。

 みな、うまそうに食べるので、ぼくはとても誇らしいきもちでいた。そりゃそうだ、ご主人のうでは一流なのだもの。

 決してぜいたくとはいえなくとも、じゅうぶんご主人はうれしそうだった。笑顔で帰ったお客さまは、またきてくれるときは笑顔だ。それはご主人の「ひと手間」という魔法がなせたものなのかもしれない。


 こじんまりとした店はいつもニンゲンたちでいっぱいになった。

 それはもうてんてこまいというものである。ぼくも窓際でのっそりとばかりやってはいられなくなった。


「ああ、猫の手も借りられたらなぁ」


 ご主人がそう云うので、ぼくはかしこいから手を貸してあげることにしたのだ。


 お客さまのおむかえ、仕入れのメモを首からさげた小箱にいれ、ふもとの店に注文にいく。そうすれば、夕刻にはやさいやぎゅうにゅうがたくさん届けられている。ぼくはかしこくて、それでいてちょっぴり強いから。鳥やけものを狩ってくることもあった。

 ご主人はぼくをなでながら「いいこだ。けれど約束だよ、ひな鳥や子どもをとってきてはいけないよ。たしかに肉は柔らかいけれど、子どもをとるとみんないなくなってしまうのだから」と云った。よくわからなかったけど、みんないなくなってしまうと困ってしまうのだろうと思って、ぼくはなっとくしてあげた。


 お店ははんじょうして、すこしうわさになって、それは街の方まで届いたらしかった。たくさんのお手紙がご主人を『しょうたい』したらしいけれど、ご主人は「でもお店を開けなきゃだものなぁ」とていねいにお断りのおへんじを書いていた。


 あるとき、この山奥にいかにも金持ちそうな男がふたり、猟銃をかついでやってきた。道にまよい、おなかをすかせた彼らは「金なら出そう、このテーブルに一番先に食事を出してくれないだろうか」と物腰ていねいに見せかけてすごんだのだ。

 ぼくはなんだかこいつらがとてもすきじゃなかった。


 ご主人はにこやかに「ご注文順にお出し致します、しばしお待ちください」と返したのに、やつらはとても不服そうでがたがたと椅子をならす。


 しんせんなやさいを盛り付けたお皿をのせたおぼんをぼくが背に乗せてはこぶと、男たちはものめずらしい視線を投げてよこした。そうさ、ぼくはかしこいからね。


「おぼんからテーブルに運ぶのはご自分でってことかい、そりゃあ不親切だ」

「だけども、こんなおおきな猫が食事をはこぶだなんて、斬新じゃないか」

「そうか、斬新か。そりゃあいい」


 次に男たちは、こんな葉っぱだけを食わせるのかとご主人を呼びつけた。


「おや、サラドはお嫌いですか。でしたらこちらはいかがでしょう」


 ご主人はそう云うとすすっとやさいをお皿のすみによせて、そこにローストビーフを盛り付けていった。そこにかけたのはご主人が長年かけてつくった特製ソース。男たちはその味に夢中になったのだ。

 うまいうまいと平らげ、奴らは「また来る」と云って多めのお金を置いていった。ご主人はていねいにごあいさつをしながらも、困ったような顔をしていた。



 男たちはすぐにまたやってきた。

「金はある」なんて云って、仲間を連れてきて自慢げにローストビーフをたのむ。仲間たちはいたくこの味を気にいって、また別々に来るようになった。

 奴らは「猟をたしなむ」と云った。つまり、食べないのに撃った数を競ったり、撃つことをたのしむらしい。なんだかぼくはふゆかいだった。

 男たちがよく来るようになって、店がいっぱいになると、ふもとの人たちがごはんをなかなか食べられない。ご主人の頭にはいつのまにか白髪がふえ、ぼくもだいぶとしをとっていた。


「こんな小さなボロ小屋たたんで、街でおおきな店をださないか」

 あるとき男のひとりがこう云ってきた。

「立派な西洋風の屋敷を専用に用意しよう。玄関は白い煉瓦で組んで、硝子の開き戸と金文字でうんと立派な見た目にして」

 ご主人はていねいにお断りをした。この山の小屋でほそぼそとやっていきたいのです、と。


 男はなんどもやってきた。

 やがて、なかなか首を縦にふらないご主人にしびれをきらし、男は仲間を連れてきてはふもとの人々に嫌がらせをするようになった。


 山でたくさんの狩りをして、いきものたちはどんどん減っていった。


 やさいはなかなか手に入らなくなり、お肉をとってこようにも何も見つけられなくなってしまった。


 そうしてだいぶくたびれたお店のなかに、あるときまた男たちがやってきた。

「金儲けの話をしてやったのに」

 そう男は憤慨した。しかしご主人はしごくていねいに、まっとうな態度でお断りをした。

「それなら、このソースのレシピをよこせ」

 男は仲間をもっと連れてきていた。ご主人がそれでも断ると、ごつんと何かでその頭を殴りつけたのだ。


 ご主人はどたりとたおれ、それきり何もはなすことはなかった。


「おい、レシピを探せ。ついでにこの小屋は燃やしておこう」

「飼い猫も殺しておけ、ばけねこにでもなられてはかなわん」


 ぼくはご主人の元へかけた。ご主人、にげよう、あぶないよう。

 だけどもご主人は真っ赤な何かをこぼしながら、いっこうに起き上がる気配がない。

 ご主人、ご主人——。


「ここのレシピで街におおきなレストランを出すぞ」

「条件をたくさんつけて、選りすぐりの金持ちしか入れないような店がいいな」

「はは、レストランなのに店側の方がつける注文が多くなってしまうなぁ」


 ぺろりと舐めた、その真っ赤な液体は。

 まるで芳醇な、しょっぱくて酸っぱい、ご主人がバルサミコと呼んでいたソースのもとのような味がした。






 そのむかし、とある山に狩りをしに行くと出ていった男たちが行方不明になったらしい。

 男たちは皆金持ちで、何か失踪するようなことをしでかした者もいなかったそうだ。


 そもそもその山はいったい全体、すごくしからぬ雰囲気の山で。鳥も獣の類は一疋もいなくなっていた場所だと云う。



 どうどうと吹く風の中。

 だれもいない山奥に、一軒の立派な西洋造りの家がある。

 玄関は白い煉瓦で組んで、硝子の大きな開き戸があり、実に立派なもので。



 ……そこには金色の文字で、こう書いてあるそうです。


 『どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません』



 その西洋料理店レストランの名は。


 山猫軒、と云うのだとか——。



 

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