猫又の娘

石田宏暁

猫の手を借りた結果

 我輩は猫又である。名前は……もうない。大地が真っ赤に燃えていた。


「シャアアアアアアアアアアアアア――」


 その背丈の五倍はあろう魔物の姿に、村の住人たちの目は釘付けになった。冷たい北の風が吹きすさび、響く雷鳴をも飲み込む恐ろしい魔物の咆哮が、村中を恐怖に包んでいた。怯まずに向かい合うは、ひとりの若き女剣士だった。


「シャアアアアアアアアアアアアア――」

 

 その瞬間、どの剣より素早い斬撃が魔物に切りかかった。回転した剣は水車のように、黒い身体を引き裂いた。広い胸からは血がしたたり、暴れる鉤爪が暴風を巻き起こした。


 舞い上がった女剣士は空中で器用に向きを変え、しっかりと足から着地する。村人たちの注目を浴びるなか、その女剣士は背後にむけて燃えさかる剣に溜めを作った。人々の祈りを捧げる歓声が大地に響き渡る。


「「「おおおおおっ!! いけーっ!!」」」


「第三の術、火車の術ファイアードライヴ」


 燃え盛る炎が竜巻のように辺りの木々を巻き込んだ。人々はむせかえるほどの熱気を含んだ空気を吸い込み、魔物を見上げた。


          ※

          ※

          ※


 このを拾ったのは六年前、魔物が割拠するリーン大陸から谷を越えた小さな農村だった。捨てられた猫又より惨めな生き物など、この世にいないと思っていた。捨てられた赤ん坊をみるまで。


 廃屋の軒下に赤ん坊を引きずり込み、温め、盗んだ果物やヤギの乳を与えた。赤ん坊は小さな手を伸ばすと、我輩の肉球を優しくつかんだ。


「きやっ、きゃっ」


 赤ん坊に名前は無かったが、キャトリンと呼ぶことにした。我輩の髭を引っ張ったり、二股にわれた尻尾をつかむたびに、きゃっきゃと笑うからだ。


 育てるのは大変だった。いかに百年も無駄に生きた我輩だろうと、人間の赤子の世話などしたことがなかったのだから。


「ぷくーっ、きゃっ、きゃっ」


 村人に変化へんげした我輩は、幾度と無くこの子供に栄養のある食べ物をくれないかと、村を駆け回った。だが、この娘には僅かな妖力があった。


鬼娘おにごじゃないか、気味が悪い。せっかく母親が捨てた鬼娘をあんたが、育てるってのか? 出ていきな、反吐へどがでる』


『魔物の血が混じってるなら、どうせ長くは生きられない。さっさと始末してやれよ。出来ないっていうなら、俺が代わってやるぜ』


 我輩は森や川を駆け回り、赤ん坊の食べられる物を集めた。毎日、毎日、日が暮れるまで。木の実や果物をすり潰して食べさせた。どうしても足りないものは村から盗んだ。


 キャトリンが四歳になると川での魚とりを教えた。猫又妖術その一、『水車の術』を見せてやった。流石に百年も生きていると、このちっぽけな脳みそと身体でも、色々と会得しているのだ。


 吾輩が川に飛び込むと、川岸に魚が三匹、四匹と放り出される。二股の尻尾をスクリューのように回転させながら、長い爪で魚を引っ掛けるのだ。


「きゃっ、きゃっ、おとさま、おさかー、いっぱい! いっぱい!」


「アハハハ。どうだ、吾輩も中々やるであろう」


 木登りを覚えた五歳のころには、猫又妖術その二、『風車の術』を教えてやった。こいつを会得すれば、高い木の上から落ちても、ちゃんと足から着地出来る。


「ちゅごーい、おとさま、ちょごーい!」


「ワハハハ。ほーれ、くるりと回ってピタッと着地じゃ」


 どうしても焼き魚を食わせてやりたかった吾輩は、六歳のキャトリンに、猫又妖術その三『火車の術』を伝授することにした。これには少し妖力の仕込みがいるが、滑車を後ろに出来る限り引っ張り、一気に摩擦を起こして放出するイメージが大切なのじゃ。


「んまーい、おとさま、おさかな、んまーい!」


「アハハハ。ちょっと火車の術はコツがいるからのぉ、毛が焦げてしまったわい。これを覚えたら……まあ、三つの妖術を完全にマスターするのは人間のお前には無理かもしれんが」


「えー、おとさま、ちゃんと教えてよねっ」


 猫又に伝わる三つの妖術を完全に習得すれば、秘術猫の目〈見破る〉や変化の術〈猫かぶり〉や強奪の術〈ネコババ〉なども使えるようになる。我輩もうまく使えないけど。


「アハハハ。キャトリンは勉強が好きじゃなぁ、じゃあ特訓じゃぞ」


「うん! あたちがんばる!」


 七歳になる前に、学校へ行かせなければいけないと思った。猫又のちょっとした念動力など教えたところで、キャトリンは人間なのだ。人間の住む世界でしっかりと生きていかねばならないからだ。


 吾輩はお得意の変化へんげの術を使い村人になりすますと、こっそりと村に忍び込んだ。何度でも頭を下げて頼めば、村の連中も気が変わると思っていた。だが、そこで人間たちが話しているのを聞いてしまったのだ。


『なあ、あの薄汚い化け猫が何か企んでるのを知ってるか。こんどは鬼娘おにごを学校に入れたいとか言ってるらしいぜ』


『冗談じゃない。猫又が育てている子供なんて、絶対に悪さをするに決まってるよ。あの下手くそな変化へんげの術で、人間に化けてるつもりなんだから』


『ああ、何回も村に泥棒に入りやがって、今度見つけたら絞め殺してやるさ』


『たかだか百年生きた化け猫が、人間様を騙そうなんて、もう百年はやいって』


『アハハハ、本当に馬鹿な野郎だな。娘を利用して、村の物をかすめとる気とは』


『……』


 我輩は勘違いしていたのだ。キャトリンのせいではなかった。村人が赤ん坊を受け入れなかったのは、すべて我輩のせいだった。


「……」


 我輩はキャトリンの親になる資格も、親の代わりになる資格もなかった。あの娘が愛おしいばかりに、ずっと人として生きる邪魔をしていたのだ。だから吾輩は一世一代の妖術を使うことに決めた。


「いいかい、キャトリン」村外れの廃屋で吾輩は言った。「明日、この村に魔物が現れる。吾輩は、もう歳のせいで戦うことが出来ない」


「おとさま。まだ元気よね?」


「いいや、妖力が尽きかけておる。そこで、キャトリン。お前が村を守るのじゃ。猫又妖術は使えるな。一の術から三の術まで、この剣を持って順番に撃ち込めば、どんな恐ろしい魔物でも倒せるはずじゃ」


「そーなの?」


「そうじゃい、危なかったら吾輩が助けにはいってやるが、まずは一人で戦うのじゃ。いいな……わかったな。そうすれば村の人とも仲良くなれるはずじゃ」


「う、うん。あたし、やってみる。そしたら村の人と仲良くなれるのね」


「ああ、なれるとも――」


 キャトリンは魔物に化けた吾輩を打ち砕く。多くの村人たちはその姿をみて、きっと彼女をこの村の仲間へと迎え入れるだろう。吾輩は大芝居をうつつもりだった。


 我輩が死んでも、この芝居をやりとおすと決意を固めていた。たとえ、この身が塵と化してもやりとげてみせるのだ。


         ※

         ※

         ※


 村の人々には六歳のキャトリンが少し立派な女剣士に見えているはずだろう。この戦いが終われば、それも彼女の变化へんげの術、つまりは実力だと知るはずだ。


「シャアアアアアアアアアアアア――!」


 幸せだった日々が蘇っては消えていく。楽しかったキャトリンとの思い出、少しずつ成長し互いに笑いあった懐かしい日々。第一の猫又妖術、『水車の術』は見事だった。教えたとおり腕力に頼らず、妖術を上手く剣に乗せている。

 

 空中での動きは『風車の術』だ。その俊敏な動きは吾輩との〈かくれんぼ〉や、〈追いかけっこ〉で充分にマスターできたようだ。それでいい、それでいいのだ。そこで最終奥義『火車の術』を撃ち込め。さあ、教えたとおり思い切り後ろに滑車を引くのだ。


「シャアアアアアアアアアアアアアアアア――……!!」


 な、なぜ撃ち込まない。いや、火車の術は放たれた。吾輩の背後に――。鮮烈な炎が嵐のように燃え広がり、吾輩の背後に蠢く何かを一掃したように見えた。妖力の尽きかけた吾輩は、そのまま地面に倒れ伏した。


「…………」


「……」


 誰かが吾輩の顔を覗き込むのが見えた。弱りきっていて足の裏側には血が滲んでいるのが分かった。全身には包帯が巻かれている。


 ポタポタと水滴が落ちていた。キャトリンの膝の上で、泣いている彼女の膝で、じっとしていることしか出来なかった。


「どういうことだ。泣いているのか?」


「ぐすっ……あたしが、あたしが、おとさんに本気で撃ち込むわけないじゃない」


「吾輩の变化へんげが、ばれていたのか!?」


「どんな化け物に变化してたって……ぐすっ、分かるわ。だって、おとさんだもん」


「はは……そ、そうだったのか」


 キャトリンは村の防壁を『火車の術』で根こそぎ薙ぎ払っていた。燃えた木々の匂いがたちこめていた。まるで偏見に満ちたこの世界の壁を打ち砕いてくれたように見えた。


「っすん……おとさん。あたし嬉しかったよ。でももう、こんなことしないって約束して……ぐすっ」


「キャトリン」


「あたし学校なんか行かなくていいからさ、ずっと一緒にいようよ。どっちみち、この村にはいらんないでしょ。色んな街にいって魔物を退治したり、美味しいもの食べたり、冒険したり。あたしがもっと強くなったら、学校のほうから来てくださいっていうと思うんだぁ」


「それもそうだな」


「うん、大忙しだよ。手伝ってくれるでしょ」


「はは……猫の手でよけりゃ借すさ」


「あははっ。じゃあ、出発しよっ!」


 村人たちの姿が見えなかった。まさか六歳のキャトリンが秘術〈見破り〉や〈ネコババ〉や〈猫かぶり〉や〈猫足〉まで習得していたとは、我輩が知るはずもなかった。






                END





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猫又の娘 石田宏暁 @nashida

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