猫の手を借り猫に手を貸す

借りて良い猫の手かは考えよう

 何故こんなことになってしまったのだ。いや、いい。みなまで言うな。原因はわかっている。だが、これは一体誰得なのだ?


 大学4年目の春、生来の怠惰な性格が災いして、俺は非常に追い詰められていた。


 単位が絶望的に足りない。


 しかし、3年間ためにためた怠惰のツケは、俺の肉体一つでは受け止めきれなかった。


 大学生に課される重大ミッションの一つ、必修科目。決められた授業の単位を取得しないと卒業できない最重要項目だが、俺はそれが3科目も足りていない。しかも、その単位を取得するための授業のうち2つが同じ時間で被っている。


 通常なら1年時からコツコツと単位をとり、4年になるころにはほとんど授業はなく、就活に力を入れるのが普通である。だから、仮に授業が被ったとしても、片方は2年の時に単位取ったからいいや、と回避できるのだ。そうして単位を取得していく。


 しかし、足りていないものは足りていない。


 おそらく、大学に入ったからといって怠けに怠け、バイト三昧でろくに授業も受けない、俺のような人間の為にあるようなミッションなのだな、と今理解する。簡単には学士の称号は得られないか。


 そこで、俺は密かに噂に聞いていた『学園快活生活応援部』という世にも怪しい団体から秘密アイテムを借りて、被った授業を同時に受ける方法を見つけた。


 そのアイテムを使えば、晴れて単位取得で卒業だ。


 これであと半年間の授業をなんとか乗り越えれば良いだけと思っていた。いたのだが、これはちょっと聞いてなかったな。


 まさか、自分に猫耳が生えるとは。


 いったい誰が陰キャ男子大学生の猫耳姿なんて見たいのだ?今朝鏡を見たとき、自分自身でも吐き気をもよおしたのに。


 とにかくこの最悪な状況の説明をしてもらおうと、俺はまた『学園快活生活応援部』のドアを叩いた。


 しかし暗いなここ。部室棟の中にあるのに、この一角だけ何故か薄暗い。隣のアニメ研究会の方がまだ活気があるぞ。混ざりたいとは思わないが。


「おや、真崎まさきくん。やはり来ましたね。猫耳は生えましたか?」


「貴様、やはり知っていてこれを貸したな」


 ゴンゴン、とノックすると、ドアを開けて出てきたのはこの部の部長を名乗る小柄な男、猫田ねこた。名前の通り猫背で、いつもぼさぼさのくせ毛をほったらかしにしている怪しげな奴だ。


 今にも朽ち果てそうな木製のドアをギィィ、と音をたてて開けると、どうぞ、と中へ誘われる。夕方なのに電気を点けていないせいで薄暗い部室内にオレンジの夕日が差し込んでいて、まぶしくて部屋の奥が見えない。


「ええ、それ、役に立ったでしょう?」


「ああ。こんなもんが生えなければな」


 かぶっていたニット帽を取ると、灰色の猫耳が姿を現す。それを見て、猫田が目を細めていやらしく笑った。


「真崎君は灰猫さんでしたか」


「気色の悪い言い方をするな」


「まあ、これからですから本番は」


「意味わからんことを言っていないで戻せ、今すぐ戻せ」


「あなたが望んだことでしょう?『猫の手くん』を使った代償ですよ」


 急に幼児向けおもちゃのような単語が出たせいで、一瞬気が抜けそうになる。


 そう、俺が猫田に借りた秘密アイテムの名は『猫の手くん』。猫の手も借りたい、ということで、どうしても授業に出れないときに代わりに出席確認の返事をしてくれるアイテムである。


 見た目とサイズはまんま猫の手。それに持ち手が付いた猫の手棒みたいな見慣れない物だ。しかも手首の部分が動くという、陰キャ男子大学生には絶対にいらないかわいい機能付き。


 これがどうやって返事をするのだ、と半信半疑で講義室の隅の開いている席に置いてその場を去ったのだが、後日同講義に出席していた友人に確認すると、確かに俺はそこにいたという。


 どういうカラクリかは不明だが、この『猫の手くん』のおかげで、取得しなくてはならない単位の1つはどうやら大丈夫そうだ、などと思っていたのに。


「こんなもんが生えるなんて聞いてないぞ」


「そんなこと言うなら最初から真面目に授業出なさいよ」


「ぐっ…」


 正論すぎてぐうの音もでない。そもそも俺が最初から真面目に授業に出るような人間であるなら、こんな怪しさしかない団体の手など借りない。


「それ、使えば使うほど猫化が進みます」


「なんだと」


「もうおわかりですね?半年の授業が終わるころには、あなたは立派な猫ちゃんです」


「お前が猫ちゃんとか言うな寒気がする」


「文字通り猫の手を借りたわけですから、戻してほしいならそれ相応の対価が必要ですよ、真崎君」


「何が望みだ…」


 猫田が片手を口元に持っていき、猫のように丸めた手で空中を一度かく。夕日を背負って影が落ちた顔は、不気味な化け猫のようだった。


「私に、手を貸してくれれば良いのです」




 1週間後、俺は先週と同じ授業を受けている。もちろん、ニット帽は被ったまま。この授業の先生が服装に寛容な人で本当に良かった。おぞましいものが頭に生えている間は、絶対に帽子は取れないからな。


 あれから、『猫の手くん』は一度も使っていない。


 その代わりに、猫田を使っている。いや、猫田が俺を使っている、というほうが正しいか。


 あのとき言われた俺が猫化を回避し人間に戻る対価は、猫田が俺の代わりに授業に出ることだった。思ったより簡単な条件だなと思っていたら、目の前で猫田が俺そっくりに化けたからそりゃあもうみっともなく奇声を上げるくらいには驚いた。


 もっと驚いたのは、俺の奇声を聞きつけて様子を見に来たアニ研部員をごまかそうと猫田に背を向けた一瞬で、また元のぼさぼさ頭の猫背男に戻っていたことだ。


 どうやら猫田は人間ではないらしい。


 本人曰く化け猫とのことだが、妖怪や霊の類がいるいない関係なしに、こいつならそうかも、と合点がいった。


 ともかく、猫田は俺に化けたまま授業に出たいらしい。


 なんでも、以前から受けたい授業だったが自分の所属する学部では選択できない授業だったからだとか。あの妖怪男が受けたかった授業が俺の必修科目だなんて、どう考えても怪しい。こうなることを予測していたみたいだ。


 少々気味が悪いが、俺としては単位が取れるなら怪しげなアイテムでも怪しげな化け猫男でも大して変わりはないので、言われるまま片方の授業を任せている。


 違う授業とはいえ同じ時間に同じ人間が2人存在していることになるが、不思議なことに今のところばれていない。人間は思ったより他人に興味がないらしい。


 ところで、未だ俺の頭に生える灰色の耳だが、半年間の授業が終わった時点でもとに戻してくれるらしい。


 猫化の進行は止まったが、これではバイトも就活もできないと嘆く俺に、猫田はまた不気味な笑みを浮かべて言った。


「これが猫の手を借りた結果なのですよ」


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫の手を借り猫に手を貸す @kura_18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ