猫を借りる
染井雪乃
猫を借りる
美しい猫を借り受けた。
「遠野、被写体になるのは初めてだよな」
「
被写体になることに慣れていなくてもいい、新作を着こなせるモデルが欲しいと凪があちこちに声をかけた結果、目をかけている後輩デザイナー、遠野鋼が素材だけはいいからと兄を紹介してもらった。
鋼は知らないが、要と凪は高校の同級生で、冷ややかな空気が流れる程度の仲だ。しかし、遠野要の素材はいいし、凪の事情も知っているのなら、やりやすい。
「なるほどね。それじゃあ、メイクも初めて?」
いつも要に対してきつい凪が優しく問いかけたことに、要は少しばかり驚く。仕事なんだから当然だろうと思うが、凪は作った表情を崩さない。
顔の判別がつかない要にも、表情はわかるらしいから。
「いや、鋼に何度か」
「肌荒れとかもない?」
「特に。でも、何使ってたかは知らない」
「だろうね。鋼君に聞いておいてよかった」
事前に鋼から聞いておいた情報を元に、凪は要の顔にメイクを施していく。鋼に勧められた洗顔料をそのまま使っているだけで、特別なケアは何もしていないらしいが、要の肌はよい状態だった。
鋼の腕がいいか、要の素材がいいのか、果たしてその両方か、よくわからない。凪はこの時間だけの美しい人形を仕上げていく。
普段なら相手を傷つける言葉の応酬となるところを、要は人形に徹していたし、凪はその人形を丁寧に扱った。
「糸川が俺に丁寧にメイクするのとか、違和感しかないな」
「今日の遠野は人形だからね。喋らなくていいよ」
小さな嫌味に笑顔で返し、凪は撮影の準備の整ったスタジオへと要を誘導した。
結果として、撮影も、新作の売上も、上々だった。要は凪の新作を着こなしてみせたし、撮影における指示にも的確に従った。凪の前では無表情ばかりの要だが、やろうと思えばさまざまに表情を作れるらしい。
鋼に出来上がった写真を送ると、凪の新作を褒める言葉が返ってきた。
猫の手も借りたいと鋼にぼやいたけれど、猫の手以上の成果をもたらしてくれた。
それにしても、と思う。
「遠野、こんなに顔がいいのに、自分では格好いいもかわいいもわからないのか」
要の相貌失認を、鋼は知らないようだった。撮影の帰りにそのことを聞いてみると、要は平然と言った。
「あいつに、相貌失認なんか理解できると思うか?」
残酷で、優しい言い方だった。
凪の片耳が聴こえないことを知っても鋼は態度を変えないのだから、要の相貌失認を知ってもいつも通りなのだろう。それでも、要は鋼と一線を引く。
格好いいもかわいいもわからない遠野要は、美しい人形の役目を見事に果たした。
(了)
猫を借りる 染井雪乃 @yukino_somei
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