🐈‍ KAC20229【猫の手を借りた結果】

霧野

猫の手を借りた結果


 ついふらりと、神社へでも立ち寄ってみたくなったのだった。


 年度末、仕事が立て込んでオフィスは殺伐としている。私自身もあれこれ追い立てられるように忙しく、ここ数日は昼休憩もままならない。

 それでつい、いつもの定食屋への脇道にある小さな神社に寄り道しようと思いついたのだ。神頼みも悪くない。

 通い慣れた道を外れ、細い路地に入る。ここらは古くからの住宅街で道が入り組んでいるが、進むべき方向は大体の見当がつく。たまには少し遠回りして、散歩するのもいいだろう。昼間の住宅街なんか歩くのは、久しぶりだ。昼食どきだからか人気ひとけもなく、とても静かだ。


 ふと、道端の小さな祠が目についた。神社まではもうすぐのはずだが……面倒だし、ここでもいいか。


 小ぶりの鳥居の向こうに、これまた小さな賽銭箱。その奥に祀られているのは、奇妙な形をした石だった。


 賽銭箱に小銭を落とし、手を合わせる。


(どうか、仕事が無事に片付きますように。神様、何卒、お力をお貸しください)



「お貸ししますよ」


 いきなり背後から声をかけられ、飛び上がった。振り向くと、革のトランクケースを捧げ持った初老の男が微笑みを浮かべている。


「ああ、びっくりした。心臓が飛び出すかと思いましたよ」

「驚かせてしまってすみません。お困りのようでしたから、つい、声をかけてしまいました」

「いや、別にそこまでは…」

「そうですか。『お力をお貸しください』と聞こえたような気がしたのですが、空耳だったかな……」


 心の声が、漏れていたのだろうか。もしかしたら、お祈りを口に出して言ってしまったのかもしれない。



「孫の手、熊の手、仏の手。カメの手、猫の手、杓子の手……あなた、だいぶお忙しそうですから、猫の手なんかいかがですか?」


「はぁ?」


 初老の男は半歩にじり寄り、トランクケースの蓋に手をかける。私は半歩後退りしたが、背中に硬く冷たい壁を感じた。どうやら塀に追い詰められてしまったようだ。神社まで行くのを億劫がったことを、私は少し後悔した。


「これも何かのご縁です。お安くしておきますよ。仏の手とカメの手は生物なまものなのでお買い取りのみですが、それ以外はレンタルもできます」


 男がトランクケースを開けると、中には様々な『手』が並べられていた。


「なっ……なんだこれ!」

「何って」


 初老の男はしょぼしょぼと目をしばたかせ、品物を一つ一つ指差す。


「孫の手。背中が痒い時に使います。熊手は、物をかき集めたりする時に」

「それはわかるよ! この、気味悪い形の……」

「ああ、これは仏手柑ぶっしゅかん。仏様の手のようでしょう。香りの良い果実で、血流や冷えの改善、胃腸の働きを整える効能もあります。その隣はカメの手ですね。美味しい出汁が取れますし、身も食べられます。それから……」


 薄手のコートの懐に手を突っ込み、取り出したのは……


「にゃあ」


 手のひらに収まるくらい小さな、子猫だった。茶白の縞々、うす緑色の目にピンクの鼻。そしてこちらも、ピンクの肉球。


「お忙しい方には、こちらをおすすめします。よく言うでしょう? 猫の手も借りたい、って」



 ……なるほど、猫に癒されてリフレッシュ。仕事効率アップ、ってことか。


「お試しレンタルもご利用できますよ。どうです? 試しに、3時間」



 ……うん。いいかもしれない。こんな可愛らしい子猫ちゃん、飼うのは大変そうだけど3時間一緒に過ごすくらいなら……


「借ります!」


 私は元気に答えた。今、私に最も必要なのは、これだ。子猫ちゃんによる、癒し。職場に連れて行けば、みんなも喜ぶかもしれない。



「契約成立ですね。では、お貸ししましょう。はい!」


 その瞬間、私の右手は猫の手になっていた。手首から先が、白いふわふわの毛に覆われた、猫の手。もちろん肉球もある。


「なんだ、これは!!」


 思わず大声を上げると、目の前の子猫ちゃんが「ふギャッ!」と鳴いて毛を逆立てる。一方、私のふわふわ右手からは猫の爪がニョキッと飛び出した。


「お約束の通り、3時間。猫の手をお貸しします。あなたの右手は、ほら。ここに」


 初老の男が子猫を万歳させると、私の右手が小さくなって子猫の右手にくっついていた。その光景は非常にグロテスクだが、どこか滑稽でもあった。

 言葉を失い、いたずらに口をぱくぱくさせるだけの私に、初老の男は微笑みかける。


「ほら、触ってみてごらんなさい。癒されますよ。柔らかな毛並みの、まんまるおてて。肉球はぷにぷにで、押すとキュッと爪が出ます。あ、その爪は梱包を解いたりするときにも便利です。カッターがわりに」


 試しに、左手で猫の右手に触れてみる。


「こ、これは………たしかに……」


 感触を確かめるように、にぎにぎしてみる。かっ、かわいい!




 人の拳大の、猫の手。


 借りた結果は、悪くない。けど……利き手はやめておくんだった……





──────────



「…って話は、どうかな?」


 俺が話し終えると、姉は盛大なため息をついた。


「悠人、あんたねぇ………この忙しい時間帯に、何言ってんのよ」

「イヤだから、今度の『かくよむ』のお題…」

「そんなこと知らないよ。こっちはそれこそ猫の手も借りたいくらい忙しんだから、あんたもボーッと食ってないで手伝いな!」



 ……全く、まーたヒスってる。朝っぱらからカリカリして、やんなっちゃうよ。


 反撃するのも面倒なので急いで目玉焼きを頬張り、ウインナーも口に突っ込む。



「大体なんなのよ。そんな怪しいおっさんが話しかけてきたら、普通にダッシュで逃げるわ」


 ……それ言ったら、お話にならないじゃん。それに主人公は冷静な判断力を失うくらい疲れていたって設定も……



「猫の手レンタルって、レンタル料は? タダなの? 延滞料金の設定は? 返却時に利息の支払いは発生するの? しないの?」


 ……細けえ………さすがはお客さま問い合わせセンター窓口勤務。つーか、結構ちゃんと聞いてくれてるじゃん……



 俺は目玉焼きとウインナーをもぐもぐしながら、姉のマシンガントークを聴いていた。そして次々に脳内で物語に変更を加えていく。

 レンタル料は……何か別のものを『貸す』ことでチャラにするってのは、どうだろう。例えば、『手を貸す』……は猫の『手』とカブるか。じゃあ…『耳を貸す』『肩を貸す』あたり。『知恵を貸す』なんてのもアリかな。そしたら子猫が「アタチは賢いからお前なんかの浅知恵は必要ないニャ!(猫声)」なんて……ふひっ。ふふふ……



「待って。猫か。その手があったか!」


 ガタン! と音を立てて、姉が立ち上がった。立ったまま、マグカップを掴んで温くなったカフェオレを一気飲みする。


「猫カフェよ。猫カフェに誘ってみる。自然と距離も近づくし、動物好きもアピールできるし! 動物好きの女子ってポイント高いよね?!」


 姉の気迫に押され、俺は何度も頷いた。片想い中の岩本さんを誘う気なんだろう。ねーちゃん、アグレッシブだな……


「こないだ侍らせてた美女たちはただの知り合いだったんだし、まだ脈あるよね!」

 

 姉の気迫に押され、俺は再び頷いた。この間偶然を装って出かけた先で、岩本さんと一緒にいた二人の美女。『侍らせてた』って言うけど、あれはどっちかって言うと岩本さんが『絡まれてた』みたいに俺には見えたけどな。

 だが、この状態で姉の言葉を否定できる弟は、世の中に存在するのだろうか。姉というのは古今東西、横暴なものだ。それに、どう答えようが弟の否定的意見など耳にすら入っていないはずだ。



「よっしゃ! お礼にこれ、あげるね! 残すなよ!」


 皿に残っていたトマトを俺の皿に放り込むと、姉はフォークを投げ捨てて勇ましくダイニングを飛び出して行った。


「何がお礼だよ。自分が嫌いなだけじゃん……」


 仕方なくトマトを齧る。俺だって別に、特別好きなわけじゃないのに。


 俺がトマトを咀嚼している間に姉は、ドドドドと階段を駆け上がりガタガタバタバタ騒いだ挙句にまた、ドドドドと階段を駆け下り、ダイニングの入り口で急ブレーキをかけた。


「猫の手借りて、岩本さん、ゲットだぜ!!」


 そう叫ぶと、疾風のように出勤して行った。



「ねーちゃん、ご機嫌だな……でも『猫の手を借りる』って、そういう意味じゃねーから」


 朝からぐったり疲れて、俺は残りのカフェオレをゆっくり飲みながら小説の続きを考えたのだった。




 🐈‍⬛ 🐈‍⬛ 🐈‍⬛




「……岩本さん、猫アレルギーだった」



 帰宅して開口一番、姉の言葉に俺は文字通りお茶を吹いた。


「でもね!! フクロウカフェに行く約束した!」



 ……そうなんだ。よかったね。と相槌を打つ間もなく、姉は鼻歌まじりで自室に引っ込んで行った。とことんマイペースな人だ。しかも、なんで律儀に俺に報告してくるんだろう。まぁいいけど。



( みお姉の場合は、『猫の手を借りようとした結果、フクロウカフェに行くことになった』ってことかぁ )


 モニターにかかったお茶を丁寧に拭き取り、大幅な変更を加えた全文を改めて見直す。



『猫の手を借りた結果、返済に失敗して両手が猫になってしまったおっさんの哀歌エレジー




──────────



( これで、よし。猫の手のお題、そこそこ上手く書けたかなぁ。明日こそ、誰か読んでくれるといいな) 


 タグに「KAC20229」と入力し忘れているなどとは夢にも思わず、飯田橋 悠人こと『神楽坂@リュート』は公開ボタンを押した。






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