芸能パパラッチの実態

穂村ミシイ

フリー記者 成田


「没だな。こんなの一ページにもならないよ。」


 太々しく椅子に座り、渡した写真に目を通した編集長がため息混じりの声を吐いた。


「はぁ!? これ撮るのにどれだけ苦労したと思ってるんだ。十分なネタだろ?」

「成田君さ、いつも言ってるでしょ。大して売れてもないアイドルのデート写真なんて誰も興味ないんだって。」


 週刊誌のオフィスいっぱいに響くフリー記者の成田と編集長の声。その様子は今に始まった事ではない。周りの人間は「今日もやってるな」と心に思うだけ。二人の会話をBGM代わりに自身の仕事を片付けている。


「だったら、どんな写真だったら言い値で買ってくれるんだよ?」

「そうだなー……。堂坂ライカのネタならどんな物でも買ってやるよ。」


 『堂坂ライカ』その名前にオフィスは一瞬、固まった。それは編集長と話している成田も同様。


「堂坂ライカ、だと……?」

「そうだ。今話題沸騰中、芸能界を爆速で駆け上がっているあの、堂坂ライカだよ。」


 補足の説明をすると、元々アイドルグループに所属していた王道清純派のアイドル。今年に入ってそのアイドルグループが解散。その後はソロ活動をしており歌手や女優、バラエティー番組にも出演し、爆発的人気に火がついた。今やテレビで見ない日はない程に出まくっている。

 彼女のファンは業界にも多く、出演者キラーの呼び声も高い。誰に聞いても良い噂しかなく、悪い所を言う者は一人もいない。彼女は正真正銘、真っ白な人間なのだ。


「でもアイツは、」

「きな臭いだろ。誰もが彼女を応援している。タレコミ、悪口が一切ない。そんな事有り得ないだろ。」

「まあ、確かに。」

「ウチの記者がどんなにライカの周りを張っても一切何も出てこなかった。そこでお前だ。」


 編集長は机を力強く叩くと成田を指刺して下卑た笑みを浮かべた。編集長の言うどんなネタでも良いは、正確にはどんなネタでも良いわけじゃない。編集長のご所望なのは彼女の黒い噂とそれを証明する写真という事だ。


 俺たちは世間の皆様の大好きなゴシップで飯を食う人間だ。業界の皆様にはハイエナやら害虫やら散々な言われようだがな。そんなわけで今をときめく芸能人はその身辺に相当に気を張っているもの。おいそれとボロを出すわけが無いのだ。つまり、これは相当デカい山。こんな物に時間を割くならそれ相応の報酬が無ければやってられない。


「……いくらだ?」

「言い値で買うよ。黒が濃いほど報酬は弾む。」


――よし、言質は取った。


 成田はその言葉を待っていたと言わんばかり、編集長にも負けないドス黒い笑みを浮かべた。

 無理もない。彼は少し前から堂坂ライカに目をつけていた。


「分かった。やってやるよ!」


 こうして成田は堂坂ライカの身辺を探り始めて早一週間が経っていた。今のところ成果はゼロ。今月の家賃、水道代、光熱費諸々はこの仕事に掛かっている。どんな手を使ってでも、堂坂ライカの黒い写真を撮らなければならない。成田は物凄く焦っていた。


 既に三日は風呂に入っておらず、飯はコンビニの菓子パンのみ。堂坂ライカを一日中ビッタリとマークしているのだが、本当に隙がない。


「クソっ!!」


 こうなったらデートに見えそうな写真でも、加工出来そうな写真さえ撮れればなんだっていい。読者が食いつく写真が作れればそれでいい、のに……。


 堂坂ライカの移動を尾行し、自宅マンションの窓を覗ける場所で張り込む。


「こんだけやってなんで一枚も撮れないっ!!」


 何故だ……。

 移動は常に女性マネージャーが張り付き、一人で外を歩く事はまずない。食事会にも参加しているようだが、きな臭い感じを演出できる写真は中々撮れない。自宅の窓もカーテンがピッチリと締められ、ガードが固い。


「クソ、クソクソクソォォオーー!!」


 成田が怒鳴るのも仕方がない。彼はこの仕事に全てを賭けていたのだから。それなのにどれだけ張り付いても写真が撮れないまま。これでは拉致が開かない。


――もっと情報が必要だな……。


 あいつを頼るしか、方法はないんだけど。


「問題は、金だよな〜。」


 成果ゼロで早一ヶ月が経過した頃、成田は限界を感じていた。闇金から借りた百万円を手に、彼が向かったのはオンボロ団地の一室。そのドアを変わったリズムでノックした。


「…………件名。」 

「堂坂ライカ。」


 ギィっと錆の鈍い音を立てながら開いたドアからは、一人の小太り男が現れた。素早く室内に案内された成田は慣れた口調で会話を始めた。


「二百だ。」

「いや、五十万で勘弁してくれよ。俺とお前の仲だろ?」

「ふざけんな。お前との間には金の関係しかない。」


 小太りの男は成田の最後の切り札で、情報家のテル。腕がいいのは確かだが、報酬として破格の値段を提示してくるので有名。しかし、彼の情報に嘘は無く信頼できる。どうしても堂坂ライカの黒い噂を入手したいところだ。


「堂坂ライカなんて大物のネタ、相当な額じゃなきゃ売らないね。」


 二百万から一円も譲る気はない。そう言い切るテルにこれ以上の交渉の余地はなさそうだ。


「はぁー。前金で百万払う。残りはそのネタで写真が売れた時に払わせてくれ。」

「……まあ、それならいいだろう。」


 成田は闇金で借りた百万円を後ろ髪引かれながらもテルに手渡した。これを渡した以上、もう後戻りは出来ない。絶対にネタにしてやる。


「今年に入ってからの人気は枕営業の賜物だ。毎晩、お偉いさんのホテルに通っている。彼氏も同じマンション内にいるって話だ。」

「やっぱり真っ白な人間なんていないよな〜。お偉いさんの名前は……?」

「テレビ関係者ほとんどと寝てるって話だぞ。」

「マジか!?」


――これは、最高の飯が食えるぞ!!


「あとこれはおまけだがな、堂坂ライカだが、大分昔からストーカーに悩まされている。」

「ストーカー……。」


 なるほど、道理であんなにも普段からガードが固いのか。だが、この一ヶ月の間で堂坂ライカの周りを付け狙うストーカーは見ていない。


「ありがとさん。これで俺の勝ちが決定だ!」

「ちゃんの残りの金払いにこいよ。」


 成田は早々にテルの部屋から飛び出して今後の算段を立てた。そこからの行動の速さは流石だった。お偉いさん方に聞き込みという名の揺りや脅迫行為、使っていただろうホテルを特定して張り込んだり。

 成田は自身の持てる人脈を総動員して堂坂ライカの写真を撮ろうとした、のに……。


「なんでだっ!!?」


 堂坂ライカの黒い写真は一枚も撮れなかった……。


 関係があったお偉いさんは誰一人口を割らない。ホテルにすら現れない。堂坂ライカ自身もまるでこちらの様子をどこかで見ていると思えるほどに隙がなく写真がとれない。


「写真の一枚も撮れないなんて今まで一度だってないぞ。おかしいっ、どう考えてもおかしい!!」


 発狂、狂乱、呻き声、奇声。頭を掻きむしる度に不毛が舞い散る。成田は崖っぷちにぶら下がっている状況だった。

 家賃は二ヶ月滞納しており、来月払えなかったら家を追い出される。水道は既に使えない。闇金を借りたせいでヤクザからも追われている。


――もう、後がないのに……!!


『久しぶりだな、調子はどうだ?』


 なけなしの小銭で公衆電話から掛けた相手は編集長。いつも通り人を見下す腐った声が耳に届いた。


「堂坂ライカの情報を売る。」

『写真は?』

「…………。」

『写真が無くて情報だけって、そんなのお話にならないよ。成田君〜。』

「信頼できる筋からの情報だ! 写真ならお前のとこの記者が撮ればいいだろ。言い値で買え!」

『ハハッ。馬鹿だろ。写真全てなんだよ。情報なんてどうだっていい。この世はそれで通ってる、知ってるだろ?』


 興奮状態の成田と冷静な編集長。

 どちらが勝つかなんて目に見えていた。


『写真が無いなら君の人生と同じ、これで終わりだ。』

「ちょっと待てよ!!」

『じゃあ、成田君。バイバーイ』


 電話が切れた後、成田が何処へ行ったのか誰も知らない。神隠しにあった様に世界から消えた。

 彼の生死なんて誰も気にする人がいないのだから、この世はいつも通り平和に回っている。


「これで君を害する人間が一人消えたよ、ライカちゃん。」

「わぁ〜、ライカ嬉しいー!!」


 あるマンションの1203号室。そこから聞こえる二人の会話は男と女の甘い声。


「成田のカメラに盗聴器と発信機を仕込んでおいたんだ。そのおかげでライカちゃんに教えてあげられたの。僕、偉いでしょ?」

「偉い偉い。編集長さんは本当にすごぉ〜い人なんだね。ライカ大好きだよ。」


 編集長こと、井口トオルは成田と話していた時の威厳や下卑た笑みは全く無い。純真無垢な少年みたく真っ白な笑みを浮かべ、美少女に頭を撫でてもらった事を心から喜んでいる様にみえる。


「今日だってライカちゃんのお部屋で大人しく待ってたんだからね。」

「ふふ、何回も家の鍵変えてるのにいつもお家の中で待っててくれるんだもん。ライカ、ビックリだよ!」


――いつもありがとぉ〜。ストーカーさん


「貴方は私だけの変態ヒーローだよ。」

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