私だけの英雄

棚霧書生

私だけの英雄

 俺と恭平を車に乗せてくれたその人は柔和な笑顔が似合う優しい男の人だった。

「本当に助かりました。今日は車中泊するしかないって覚悟してたんで」

 俺は運転席でハンドルを握っている星野さんに改めて礼を言う。車窓を流れていく景色は緑、緑、緑ばかりで、こんな山中で俺たちが乗ってきた車がエンストしたときは絶望した。星野さんが車で通りかかって、俺たちを拾ってくれたことにとても感謝している。

「村に帰るついでだから気にしないで。村長さんにはさっき電話をしておいたので、滝沢くんたちの泊まる場所は心配いらないと思います。けど、万が一決まらなければ僕のとこに泊まっても大丈夫ですからね」

「なにからなにまで、ありがとうございます! この恩は必ず返します! ほら、恭平もちゃんとお礼言えって」

「……ありがとうございます」

「あぁ、いいのいいの、具合が悪いんでしょう。もう少しかかるから寝てなさい」

 気分が悪いらしい恭平は後部座席で横になっている。俺がルームミラーで恭平の姿を見ると目をつぶって眉を寄せていた。普段は車酔いはする方じゃないから、慣れない旅に疲れたのかもしれない。恭平は図太そうに見えて案外繊細なところがあるから。

 村に到着した俺たちは星野さんの案内で村長の邸宅に向かった。夏の間は民泊として空き部屋を開放しているという村長宅は、旅館というほど大きくはないが、俺たち二人を泊めることくらいなんてことはないようだった。

 村長さんは急な来訪者である俺と恭平を歓迎してくれた。

「なにもないとこだが、今の期間は村の集会所で村の人が描いた絵や書道の展示をやっている。よかったら見ていってくれよ」

 俺はお言葉に甘えて集会所の展示を見に行くことにした。具合の悪い恭平は動きたくないと言ったので、村長さんに貸し与えられた部屋で寝ている。

 集会所に飾られた村の人たちの作品の数々は上手いものも下手ものもある。その中で特に俺の眼を惹いたのは、ある壺の絵だった。

「なんだろ、普通の壺の絵なのに……」

 怖い。自分でもどうしてそう感じるのかわからないけれど。俺は壺の絵を描いた作者の名前を見て、少し驚く。星野。絵の下に貼ってある、小さい紙片にはそう表示してあった。そして、壺の絵には妙な題名がつけられている。

「私だけの英雄?」

 壺の絵でどうして英雄なんて立派な言葉が出てきたのか。謎は深まるばかりだ。まあ、世の中いろんな人がいるから、壺に英雄を感じる人もいるんだなと俺は適当に理由をつけ次の絵の鑑賞に移ろうとした、しかし、それはできなかった。俺は部屋の一番奥の角にあの絵のモデルとなったであろう壺が鎮座しているのを見つけてしまった。

 俺は惹き寄せられるように壺に近づく。壺は綺麗に拭き上げられていて、塵ひとつついていない。俺のへその辺りまで高さがあり大人でも中に入れそうなほど大きい壺で、蓋がついている。俺は見えない力に引っ張られるようにゆっくり手を伸ばし蓋の取手を掴んだ。

「あけたらダメだよお兄ちゃん!」

「え?」

 すんでのところで俺は壺の蓋を開けなかった。下を見ると俺の足に子どもがすがりついていた。村の子どもだろうか。小学一年か二年生くらいに見えるその男の子は大きな眼でじっと俺を見上げてきている。

 俺は屈んで男の子と目線を合わせ、尋ねる。

「こんにちは。俺は村の外から来た、たきざわさとるって言います。どうして、壺の蓋を開けちゃダメなの? よかったら教えてもらえる?」

「……そのつぼは、おばけがはいってるんだ」

 男の子はおずおずとしながらも話してくれる。

「お化け?」

「そうだよ! にんげんをたべちゃうおばけ!」

 子どもが大きな壺に悪戯しようとして、倒しでもしたら大変なことになるから、大人たちがそういう話を吹き込んでいるのだろうか。子どもがひとりで川に近づかないように河童の話をするように、子どもたちを危険から遠ざけるためのそういった話はたくさん存在している。

「それにね、ぼく知ってるんだ! そのつぼは、ほしのセンセイが……」とそこまで男の子が言ったところで「先生が、どうかしましたか?」と男の低い声が割り込んでくる。

 俺と男の子は一斉に声のした方に振り向く。そこには星野さんがいた。俺たちを村長さんに引き合わせたあと、星野さんは仕事があるといって別れたのだが、随分と早い再会になった。

 男の子は、星野さんを見た瞬間に一目散に集会所の外へ駆けていった。まるで怖いものから逃げるように。

「すみませんね、滝沢くん。彼は僕の教え子なんですが少々落ち着きがなくて」

「いえ全然、気にしてないです」

「それならよかった。彼からなにか聞きましたか?」

 その質問は、どこか針のような鋭さをもっていて俺をチクリと刺すような感じがした。俺に聞かれたくないことでもあったのだろうか。

「……この壺は人を食べてしまうとか怪談チックな話を少しだけ」

 星野さんは、そうですかそれならいいんです、とつぶやき人好きのする笑みを浮かべる。

「ちょっと、すみません。場所を代わってもらえますか」

「あ、はい」

 俺が壺の前から退くと星野さんは持ってきていた布巾で壺の表面を拭き始める。その壺が星野さんにとって、とても大事なもののように、愛おしそうに、撫でる。

「あの……星野さんって絵を描かれるんですね、さっきこの壺がモチーフの絵を見ました」

「ふふ、下手の横好きでしょう」

「いえ、そんな。無機物が題材なのにすごく……迫力がありました」

「この壺自体に迫力がありますからねぇ」

 星野さんは嬉しそうに語る。本当に壺が好きなようだった。俺はふと絵の題名を思い出す。

「私だけの英雄っていうタイトルはどういう意図でつけたんですか? 壺の絵につけるにしてはちょっと変わってますよね」

 星野さんが壺を拭いていた手を止める。俺の顔を見て、ふふふと笑うと壺を拭く作業を再開して、その片手間に解説を始める。

「そのままの意味です。僕以外の人にはただの壺でも、僕にとっては英雄と呼ぶに値する素晴らしい壺なんです。実は僕、昔はいじめられっ子でして、毎日泣いていたんです。だけど、この壺を磨くようになってからピタリといじめが止みまして、それからずっとこの壺に感謝して生きてるんですよ」

 星野さんはきっとおまじないとかを信じやすいタイプなんだろうなと俺は思った。いじめが止んだ時期と壺を磨いたタイミングは偶然重なっただけだろう。でも、壺を磨くことをずっと続けている。ちょっと変な人だ。


「ってことがあってさ、俺にはわかんねぇと思ったよね」

「そうか」

「てか、恭平は体調どうよ? 明日の朝に出発できそ?」

 村長宅に戻ってきて、飯と風呂も済ませ布団でゴロゴロしながら昼間あったことを恭平に話す。

「どんな壺なのか俺も見たかったな」

「スマホで写真撮ったから見る? 興味あるなら明日の朝、もう一回集会所に行ってもいいし……って、あれ!?」

「デカい声出すなよ……」

「ないッ、俺のスマホがないッ!?」

「ポケットじゃないか? もっとよく探せ」

 俺はあちこちをひっくり返してスマホを探したが、見つからない。ないないと騒ぐ俺がウザかったのか、恭平は呆れたように「最後に使ったのはいつだ?」と聞いてくる。

「集会所で写真撮ったときまでは確かに手元にあった……」


 俺は恭平を連れて、集会所まで来ていた。外は真っ暗で、虫の声だけがよく聞こえる。恭平は村長さんに借りた懐中電灯で俺の手元を照らし、一方俺はこれまた借りた鍵で集会所の扉を開けにかかる。

「また頭が痛くなってきた……。早くしろ、悟」

「わかってる、この鍵、超固いんだよ! ぜってぇ、錆びてる!」

 苦戦しつつも俺はようやく鍵を開けることができた。扉が徐々に開く。懐中電灯の光が部屋の中に届き、俺たちはそこにあったものをはっきりと見てしまう。

 壺。部屋の隅に置かれていたはずの壺がなぜか扉を開けてすぐ目の前にある。ただの陶器を前にしているだけなのになぜか寒気がしてきて、俺はその場から一歩も動けなくなってしまう。それは恭平も一緒だったのだろう、二人して無言で突っ立っていた。まるで蛇に睨まれた蛙みたいに。どれくらいの間そうしていたのか、長くも感じたがわずか数秒だった気もする、奇妙な時間の流れ。

 壺を照らし出していた光がふいにぐらついた。

「恭平!?」

 恭平は持っていた懐中電灯を地面に取り落とす。さらには姿勢を保てずに地面に膝を打ちつけると、両手で頭を抱えて呻き始めた。

「頭がッ、割れそうだ……!」

「ええ!? ……に、逃げよう! 恭平、立って!」

 俺は取り落とされた懐中電灯を拾い上げる。その瞬間、俺は決定的な怪異を見る羽目になった。一本の手、血色が悪くミイラのように干からびた手が壺からはみ出している。

「ぎゃあああ!?」

 俺は悲鳴をあげて後ろにひっくり返る。尻を地面につけたままずりずりと後ろに下がり、トン、と背中がなにかとぶつかった。

「あっ、あああぁ……」

 恭平は視界に見えてる。じゃあ、俺の後ろに今いるのは誰?

「こんな夜更けにどうしました滝沢くん?」

「ほ、星野さんっ……」

「お友達もそんなところで寝ていては風邪を引いてしまいますよ」

 星野さんが言った通り、恭平は地面で伸びている。痛みで気絶してしまったのだろう。

「さあ、村長の家に戻りますよ」

 星野さんは集会所の扉を閉め、鍵をかける。俺は恐ろしくて星野さんに声をかけることができなかった。

「ああそうだ、これ滝沢くんのではないですか。集会所の床に落ちていたんです」

 星野さんが渡してきたのは俺のスマホだった。星野さんは昼間と同じ笑みで変わらない優しさで俺に接してくる。それがとんでもなく不気味だった。


 俺と恭平は村から出たあと、図書館で調べ物をした。新聞記事から星野さんのいたあの村では二十年ほど前、児童連続失踪事件が起こっていたことがわかった。

「だから、“私だけの英雄”なのか……」

 俺はひとり、どうしようもなく悲しい気持ちになった。

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私だけの英雄 棚霧書生 @katagiri_8

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