もしもヒーローが社会進出をしたら

古博かん

それは一通の(とても質量の重い)ファンレターから始まった

 ——拝啓 ヒーローA様

 先日は、危ないところをナイスなタイミングで助けていただきありがとうございました。おかげさまで無事に日常を取り戻すことができ、今こうして重ねてのお礼状をしたためるに至る次第です。あれからというもの、こうして日々生きていることに感謝をしつつ、颯爽とピンチに現れた貴方様の後ろ姿が度々思い出され励まされる気持ちです。あの時は大変怖い思いをしましたし、最悪の事態をも覚悟いたしました。しかしながら無事に助かったのだと頭では理解しているつもりでしたが、一時は業務のために席に着くことさえ恐ろしく、これをトラウマと呼ぶのでしょうか、思い詰めて退職も脳裏をよぎりましたが、こうして変わらずに窓口業務に従事できる喜びを噛み締めております。(中略)日々地球の平和のために奮闘される貴方様の今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げますとともに、これからもどうぞ叶いますならば私だけのヒーローでいていただけましたら幸いに存じます。かしこ——


「へえ、これが今朝ポストに投函されていたと?」


 ヒーローAはどんよりとした空気に押されるように静かに頷いた。


「いや、そもそもヒーローは特定の誰かのために頑張ってるようじゃ地球の平和なんか守れんっつーの」

「ははは、みんなのヒーローだからねえ」

「笑い事じゃねえわ」


 遡ること数日前、三億円を強奪しようとした時代錯誤な強盗犯をお縄にする過程で、うっかりと人質になってしまった銀行窓口の(少し大きな)お姉さんを(流れで)助けたヒーローAなのだが、「せめてお名前を、どうぞ御礼をさせてください」とすがるお姉さんへの応対もそこそこに、その後、立て込んでいた別案件三件分を馬車ウマのごとくこなして帰社したところ、一通目のお礼状が届いていた。


 その時は特段何も思わず「人に感謝されると頑張りが報われる気がする」くらいに思っていたのだが、定時間際に追加でメッセージカード付きの花束が名指して届けられて「え……」となり、翌日出社すると「ヒーローAさん宛に届いてますよ」と受付嬢から再び手紙を一通渡され、外回りをこなして昼に一度戻ってくると、さらに追加の手紙が卓上に届けられており、しかもなんだか厚みが増していた。


 午後の業務で管轄地区のパトロールに出かけて、リードに繋がれた飼い犬同士の喧嘩の仲裁をし、ついでに奥様方の旦那の愚痴を聞き、赤信号の横断歩道を渡ろうとしていたご年配を止め、公園の入り口でコンタクトレンズを落としたご婦人とともに地面に這いつくばって落ちたレンズを探し、公園内でボッチになってしまっていた園児の相手をして砂場で一緒に遊び、お帰りの時間で迎えを見届けてから帰社すると、またしてもお礼状が一通届いていた。


 しかも、なんか、さらに分厚くて——重量感が増している。

 ゴクリと固唾を飲んで開封すると、そこには件のお姉さんからの少々恨み節の効いた事件解決の感謝が綴られていた。

 しかも、興信所でも使っているのかというヒーローAの日々の活動が仔細に語られた上で褒めちぎるという、じわじわと腹の底が縮むような文章だ。


 そして今朝、とうとう自宅の郵便ポストに新たな一通が追加されていた。

 精神衛生上よろしくないという理由でヘビー級上げて上げて褒めちぎる下りを(中略)で割愛した。


 同僚、念力操作系ヒーローKは手紙から感じる只事ならぬ気配に、爽やかな苦笑いを浮かべていた。


「そもそも、マント付き全身真っ青ピタピタヒーロースーツでフルフェイスマスク姿のどこに、ここまで入れ込むファン要素があるんだよ……! ぶっちゃけ恥ずかしいわ、こっちは!」


「あーあ、言っちゃった」


 わっと頭を抱えて腹の底からの本音を吐き出したヒーローAは、七〇年代のアメリカならウケたであろうヒーロースーツを充てがわれた時点で今生を諦めたクチの体育会系ヒーローだ。

 フルフェイスヒーローマスクの呪いにより、ヒーローAの顔面はもはやマスクと癒着している。ある意味、素顔がバレることだけは皆無という安心感が唯一ヒーローをヒーローたらしめているのである。


「何だ、朝から辛気臭い」


 極限まで気配を消して出社していた闇落ち系ダークヒーローCが、重低音イケボイスで一言を吐きながらカツンと最後の一歩だけ靴音を響かせた。


「おや、ダークさん。おはようございます。珍しいなあ、定時出社なんて」


 ヒーローKが声をかけると、ダークヒーローCは「ふん」と鼻でせせら笑った。

 法の正義が通用しないアングラ界リベンジのカリスマとして君臨するダークヒーローCのファンは桁違いに多い。

 卓上に山と盛られたファンレターの数々は、質、量ともヒーローAを圧倒するのだが、ダークヒーローCはその一切に興味を示さず、食べ物系は事務の女性陣に丸投げし、生活必需品系は掃除のおばちゃんたちに丸投げし、相当容姿に自信のある自分売り込みお姉様方のお誘い系は上司に丸投げするというスタイルで順当に出世街道を進んでいる。


 そして自らは、明らかに腕のなるリベンジ案件(垂れ込み情報)を効率よく消化していくコスパ重視の営業スタイルを貫いている。


「どうやら、今回のお相手様は時間に正確な方だったようで?」


 脳裏に何かをキャッチした様子でヒーローKは含みのある微笑を浮かべている。それを斜め下から見上げて察したヒーローAは苦々しい表情で舌打ちしたが、フルフェイスマスクのおかげでいつでも見た目だけはヒーロー然だ。


 垂れ込み情報(の真偽確認)狙いのワンナイトなどヒーローにとっては最悪ゴシップ以外の何ものでもないのだが、ダークヒーローCだけはその範疇にないらしい。

 その辺りは割と潔癖な性分であるヒーローAにしてみれば軽い嫌悪感を覚える程度には真っ当な恋愛観を持っている(と自負している)。


「まあ、ダークさんの本命さんは既に(この世に)いないから、その辺の感覚は崩壊してても仕方ないか」


 さらりと棘のある一言を放つヒーローKに、ダークヒーローCは眉間に明らかにヤバめの深い皺を刻む。

 片や、ストレート過ぎるぶっ込み発言にヒヤヒヤしているのが(一番真っ当な)平和主義者ヒーローAだ。

 爽やかな朝一番から暗黙の「死にたいか」「やれるもんならやってみろ」的なガンを飛ばし合うヒーローたちの間に割って入って仲裁するのはヒーローAの得意分野である。


「あー、はいはいはい。そこまでな! そこまでにしとこうな! なっ!? 」


 ヒーローが普通に社会進出し、ヒーロー職が専門職として一般企業に雇用されるこのご時世、宇宙にも地中にも歴代ヒーローたちが溢れかえって日夜業務に勤しんでいる光景は当たり前となった。

 旦那様は(元)ヒーローなんていうご家庭も国際結婚ばりに増えている。

 ヒーローと一般人との距離が限りなく近いからこそ、揉めることもあるのである。


「おや? 噂をすれば、お客さんかな」

「は?」


 ヒーローKが何かを察知したらしい。

 オブラートに包む気などさらさらない笑みを浮かべてヒーローAの肩をぽんと叩いた直後、卓上の内線電話が鳴り響く。


「はい、ヒーローAです」

「お疲れ様です。ヒーローAさんに面会ご希望の方が応接室2にお見えです」


「——は?」

「山場だねえ。行ってらっしゃい」

「え——?」

「修羅場の間違いだろう」

「——へっ !? 」


 わけも分からず応接室2に追い立てられたヒーローAは、入室前に一度深く深呼吸をしてから姿勢を正し、バーンと扉を開け放してヒーロー然と参上してみせた。


「お待たせしました! ヒーローA、あなたのために参上いたしました!」


 と言った直後に、ヒーローAは前言を即座に撤回したい気持ちに襲われた。


「私だけのヒーロー……! 会いたかった……っ!」


 お茶を出されて応接ソファに静かに座していたのは、いつぞやの本当にいつぞやの銀行窓口のお姉さんだった。

 いやいや、平日の窓口業務はどうしたと一喝したいところをグッと堪えたヒーローAは改めて名刺を一枚差し出して混じりっ気のないビジネスライクで挨拶をし直した。


「株式会社H&Rホールディングス、東海支部ヒーロー二課ヒーローAと申します」


「お名刺頂戴いたします」


 さすがは社会人生活の長そうなお姉さんも、すかさず四五度のお辞儀を返し両手でヒーローAの名刺を受け取った。

 お姉さんの周囲にはヒーローKの念力操作がなくても可視化できそうなキラキラが舞っていた。


 その後のヒーローAに待ち受けていたのは、即席お見合い的な空気と時間で、フルフェイスマスクの下では口から泡を吹いていたのだが、意を決してヒーローAは頭を下げた。


「お申し出いただいているところ大変恐縮なのですが、私の業務は特定の誰かのためではなく、広く一般の方々のお役に立つためのものです。今後も、あなたのご期待に添えることはないと存じます。その点を何卒ご理解いただきたく、正式にお断り申し上げます」


 キッパリはっきり断言したヒーローAの頭上には重々しい沈黙が降った。

 ブチギレられても厄介だが、あらぬ被害妄想で世間に有る事無い事言いふらされても致命的だ。

 ドッドッドッドと心臓がとんでもない爆音を轟かせる中、お姉さんの震える声が聞こえてきた。


「——素敵。素敵です! さすがは、わたしのヒーローA! なんて潔い断り文句! ええ、貴方様はやっぱりわたしのヒーローです! ご意志を尊重し、わたしだけのヒーローになっていただくことは断念いたします。ですが、微力ながら是非とも貴方様のお力になりたく、今後とも最善を尽くさせていただきます!」


 ヒーローAが捲し立てたのと変わらない勢いで斜め上にカッ飛んでいくお姉さんの返しに、咄嗟に言葉の出ないヒーローAの脳内は完全に流通パニックを起こしていた。

 確かに断ったよな、どう考えても断ったよなと己に言い聞かせる間にも、お姉さんは満面の笑みで席を立った。


 そうして、善意の押し売りストークが始まるのである——。

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