四畳半の救世主

かさごさか

昔の話をしよう。

 ヒーロー、英雄あるいは男主人公。スポーツ界では活躍した人のことを指す言葉。そんな味も情緒もない文章に目を通した少女、中島は国語辞典を閉じた。


 数日前から彼女が帰る家は中島家となった。母と二人暮らしになってから周囲は妙に言葉を選んでいるような気がしているものの、特に困った事にはなっていないので中島は気のせいだろうと思っている。

 帰宅後、自室に直行しランドセルを椅子の上に置く。棚から一冊のノートを引き抜いてベッドに腰を下ろした。

 母はまだ帰ってこない。家に一人きりでいるときにしか読めないノートは前の家から持ち出してきた物だった。


 中島は以前、父と暮らしていた。その家には他にも父の母親と弟も住んでおり、大人の事情はよくわからない中島も、そこが普通の家庭ではないことは幼いながらもわかっていた。父はあまり家に帰ってこない。帰宅はしているのだろうが、生活リズムが合わなくて顔を合わせることもない日が多かった。父の母、祖母は寝たきりの生活を送っており、食事や体を拭くなど中島が担っていた。口が臭いので中島は祖母のことがあまり好きではなかった。

 父の弟、叔父は部屋から滅多に出てこない。そういう人のことを『ニート』と言うらしい。

「そんなの何処で聞いたの」

「昼のテレビで言ってた」

「あぁ、あれか・・・」

 叔父は二階にある四畳半の部屋から出てこないだけで、扉を叩けば開けてくれる。父よりもだいぶ若く、青年といった風貌の彼と中島はよく話していた。父とは違っていつも家にいるし、わからないことを聞きに行けばすぐ調べてくれるし、場合によっては部屋から出ていろいろ教えてくれる。やりたいことがあれば、出来る範囲で二人で試行錯誤する日もあった。あの時作ったホットケーキは生焼けだった。

 また、彼は小説家を志しているようで、ノートに書き溜めた物語をいくつか読ませてもらった。



 母はいないし父もあまり家にいない。学校から帰ったら祖母の世話をしなければいけない、あの家での生活がちょっとだけ苦じゃなかったのは叔父のおかげだろう。中島の生活はそのように流れていた。


 そして数ヶ月前、祖母が死んだ。第一発見者は中島であった。

 通報したのは叔父であった。おそらく、よく覚えていないが彼女は叔父を頼ったのだろう。彼は珍しく部屋から出て中島の手を握り、玄関に向かった。よくわからないまま家に集まった大人たちに囲まれ、質問され、よく大人びていると評価される中島でも流石に喉が詰まる状況下で叔父は手を握っていてくれた。通報した以外に叔父が口を開くことはなかったが、彼が手を繋いでくれたおかげで中島はひどく安心したことを自覚した。父が帰ってきたのは日付が変わる頃であった。


 その後、あれよあれよという間に中島は母と暮らすことになり引っ越すことになった。

 大人の事情はよくわからない。叔父もそれに同意し深く何度も頷いていた。


「これあげる」

 そう言って叔父は一冊のノートを渡してきた。中身はいつか読んだ物語。中島がいちばん気に入っていた話を彼は覚えていたのだ。それだけで中島は十分であった。まだランドセルを背負う子どもが味わうものではないが、この時たしかに中島の胸中にはぽわぽわとしたものが満ちていた。

 それが叔父が中島の部屋を訪ねた最初で最後の日だった。


 中島は叔父から手渡された物語を読む。閉鎖的な村で男主人公が悩みもがき、自分の進むべき道を見つけ出す、未完成の物語。結末まで書かれていない所を含めて中島はこの話を気に入っている。


 彼は中島の世界を守ってくれたヒーローだ。たとえそれが引きこもりニートであったとしても。


 一人の少女がベッドに寝そべる。彼女が抱えているノートの表紙には「青崎」と記されてあった。

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四畳半の救世主 かさごさか @kasago210

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