冬すぎて春来るらし

金石みずき

隣立つ私だけのヒーローに愛ちかひつる

 私のヒーローは隣の家にいる。


 私と同じ日に同じ病院で生まれ、幼少期よりまるできょうだいのように育てられた幼馴染の七瀬春弥――ではなく、その兄の冬弥くん。

 冬弥くんは五つ年上で、幼い頃から私はまるで兄のように慕ってきた。


 カッコよくて、頼りがいがあって、背が高くって、頭が良くて、優しい笑顔がとても眩しい。

 そんな冬弥くんに恋をするのは私にとって必然だった。


「――冬弥くんっ!」

「春華」


 勝手知ったる七瀬の家。

 酒屋を営んでいる彼の家は鍵などいつも掛かっていない。

 私はいつものように店の奥に通り抜けると、遠慮もなく自宅へと上がりこんだ。


 目的はもちろん冬弥くん。

 大学四年生の冬弥くんは普段は他県に住んでいる。

 だからこうして夏休みに入り、久しぶりに冬弥くんが帰省してきたと親から聞いた私は、居てもたってもいられずにすぐに家を飛び出してきたのだ。


「……ってあれ? お客さん?」


 冬弥くんとリビングテーブルを隔てて向かい側に若い女の人が座っていた。

 綺麗な人だ。淑やかという表現がよく似合う。私の年齢では出せないであろう雰囲気を身に纏っていた。


 その人はこちらを見るなり「こんにちは」と包み込むような雰囲気でふんわりと笑った。

 私もつられて「こ、こんにちは」と上擦った声で挨拶する。

 何でもないやりとりなのに、その流麗とした所作に女の私でも思わずドキドキしてしまった。……というか、誰?


「うん。そうだ、春華にも紹介しておかないとな」


 冬弥くんが立ち上がり、女の人の横まで歩いていく。

 そして背中にそっと手を添え、こちらを向いた。


「こちら、八雲菫さん。大学の同期で、僕がお付き合いしている方。――来年、大学卒業したら結婚するから、春華も式に来てよ」

「え――」


 どうやら私は失恋したらしい。



「あー! もう!」


 私はガンッと荒々しくテーブルにジョッキを叩きつけた。

 中身は琥珀色をした炭酸水――ジンジャーエールだ。

 こんなときは大人はお酒を飲むものらしいので、気分だけでもと思ったが、あまり効果はなかった。


「荒れてんなぁ」

「だって七年だよ、七年! 一〇歳の頃から長い間募らせてた恋なんだから、こうなって当たり前でしょ!? 飲まなきゃやってらんないってーの!」


 私がジョッキを煽り、ごくごくと喉に流し込んでいく様を頬杖をついて呆れた目で見るこの男は七瀬春弥。

 まごうことなき私の幼馴染だ。


 冬弥くんから衝撃のカミングアウトを受けた私は「あ、そうなんだ」とか「わー。よかったねー、おめでとう」とか適当に返事をし、逃げるようにすごすごと春弥の部屋へと退散した。


「そんなにジュース飲んでも仕方ないだろ」

「なに? じゃああんたが店から本物持ってきてくれるってわけ?」

「俺が捕まるわ!」


 叫ぶ春弥を一睨みし、空になったジョッキをテーブルに置く。

 「おかわり」と言ったが無視された。ちくしょう。


「大体、教えてくれてもよかったんじゃないの? 春弥、知ってたんでしょ?」

「そりゃ、家族だし。それに知ったところでどうしようもないだろ、こんなこと」

「もし彼女出来たって知ってたら私だって――」

「――告白したってか?」


 意外にも春弥が真剣な表情をしていて、思わず「う……」とたじろぐ。


「すいません出来ません」

「だろ? だったら意味ねぇって」


 春弥の癖に……!


 こいつは小さな頃からずっと弟みたいな存在で、私が冬弥くんと遊んでいるときもずっと後を着いてきていた。

 冬弥くんが卒業して家を出るまで、私たちはずっと三人だった。


 もし春弥がいなかったら――と考えたけど……うん、何も変わらないな。

 むしろ春弥がいたから冬弥くんも私なんかの相手をしてくれていたのかもしれない。

 そういう意味ではむしろ感謝こそすれ、恨む対象ではない。


「あー……もう、こっから逆転はないかなぁ」

「無理だって。諦めろよ。菫さん見たろ? 春華とはタイプ真逆。兄ちゃんはああいう大人の女性が好きなわけ。ドゥーユーアンダースタン?」

「……アイアンダースタン」


 悔しいながらも認めるしかない。

 さっき見た菫さん。すごく大人っぽかった。

 大学生ってあんななの? 本当に五つしか違わないの?


 あーあ。失恋かぁ……。初めての経験だ。

 どうしていいかわからない。目端に涙が溜まり、落ちそうになる。

 テーブルに突っ伏すふりをして、そっと袖でそれを受け止めた。


 こんなときどうやって立ち直るんだろう。こんなことなら友達の恋愛相談とかもっと乗っておけばよかった。

 私には冬弥くんがいるもん。と年中脳内お花畑だった私に相談する人なんて誰もいなかったけど。


「……ねぇ、春弥。あんたは好きな人いないの?」

「は? 俺?」

「そう! いるならさっさと告白しろ! そしてフラれろ! 私と同類になれ!」


 完全な八つ当たりだった。

 もう春弥は見るからに面倒くさそうに、はぁと溜息をついた。

 ごめんて。わかってるから。面倒くさいって。今だけだから。


 ――だけど。


「……わかった」

「……え?」

「俺も告白する」

「は? え? いや、冗談だよ? 真に受けなくていいよ?」


 慌てて否定するも、目が真剣だ。何かのスイッチを入れてしまったらしい。

 やってしまった。なぜかわからないがこいつは完全にやる気になっている。


 仕方ない。見守ろう。もとはと言えば焚きつけた私の責任だ。

 成功したらそれでよし。

 失敗したら二人で慰め合おう。

 カラオケいって、甘いものでも食べて、河原で「バカヤロー!」と叫ぶのだ。……最後のは違うかな?


 ガタッと春弥が立ち上がった。

 え? 何? 行動早くない?


 ――あ、もしかして菫さん? それはやめときなって。さすがの私も容認できない。

 幼馴染兄弟が昼ドラ染みた争いをしているところに割って入る度胸はさすがにない。


「春華」

「は、はいッ!」


 立ち上がった春弥の低い声が私の名前を呼んだ。

 思わず反射的に立ち上がってしまった。


 六畳間の部屋に向かい合って立つ二人の高校生男女。

 変な構図になってしまった。


 春弥は深く息を吸い込み、吐きだした。

 顔がキリッと見たことないくらいに引き締まった。先ほどまでの呆れた表情とはちょっと違う。

 ちょっとカッコいいかも。普段からこうしてればいいのに。やっぱり冬弥くんと血の繋がった弟なんだなぁ――


「好きだ。兄ちゃんじゃなく、これからは俺を見てくれ」

「……………………はぇっ?」


 変な声が出た。

 あれ? え? 今なんて言った?


「ずっと好きだった。兄ちゃんがいるから諦めてたけど、その兄ちゃんももう結婚する。だから――」

「ちょ、ちょっと待って!」


 春弥に手を突き出して「待った」をかけたまま、もう片手で顔を覆って考える。

 えーっと……。


「春弥が、私のことを好き?」

「うん」

「いつから?」

「小学校低学年くらい」

「早っ! ――ええと、まぁいいや。それで……えっと……」

「春華が好きだから付き合ってくれ」

「だからちょっと待ってって! 今整理してるから」


 どうやら本当らしい。

 小学校低学年ってことはもう一〇年くらい? にも及ぶ恋だ。

 私より三年くらい長い。うへぇ。


「本気なの?」

「うん」

「でも私、春弥のこと好きじゃないよ?」

「わかってるよ。でも、俺は好きだから」

「だからそういうことばっか言わないで!」


 なんなんだこいつ。吹っ切れた途端に開き直りすぎだろ。

 顔に熱が上る。もうたぶん真っ赤。

 意外にも赤くない春弥が腹立たしい。


 ――ってあれ?

 春弥、こんなに背、高かったかな。

 思ってたよりもがっしりしてる。

 よく見ると精悍な顔をしてるし……っておかしいおかしい!


 でも私の中の春弥のイメージは幼いころのままで。

 こんなにちゃんとした男の子じゃなくて。


 どれだけ私は春弥のことを見てなかったのかな。


 あれ、なんかドキドキしてきた。

 ちゃんと顔、見れない。

 こんなに節操なしだったんだろうか、私。


「……春弥」

「うん」

「その……付き合うとか……すぐに返事できないけど、これからは春弥のこと、ちゃんと見るから」

「うん」

「弟みたいに、じゃなくて、ちゃんと男の子としてみるから」

「うん」

「だから、もう少しだけ待ってて?」

「わかった」



 今日は結婚式。

 参列する誰もが幸せそうに笑ってる。


 顔を上げた私の目に冬弥くんが映った。

 隣には菫さんの姿。

 そしてその隣には――四歳になる二人の子供の秋弥くん。


 そこでふと隣からの視線に気が付き、目を向けると春弥と目が合った。


「綺麗だよ」

「春弥も、かっこいいよ」


 ぶっきらぼうだった昔とは少し違い、とても柔らかく微笑みかけてくれた。


 あの春弥からの告白から七年。

 私たちは今日、夫婦になる。


 その間、春弥はずっと私だけを見てくれていた。

 私が癇癪を起こしたときだって気の済むまで黙って話を訊いてくれたし、私が落ち込んでいるときは次の日の予定なんて考えずに一晩中寄り添ってくれた。

 何度も何度も助けてくれた。

 まぎれもなく、私だけの英雄ヒーローだった。


「春弥」

「ん?」


 意味もなく名前を呼ぶと、なに? と暖かい笑顔。

 なんて愛おしいんだろう。何度だって呼びたくなる。


 私は溢れ出るこの想いがきちんと伝わるように、これからの人生における私だけの主人公ヒーローに向けて精一杯の愛情を篭めて、言った。


「大好きだよ。これからもずっと、私だけの春弥ヒーローでいてね」

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冬すぎて春来るらし 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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