旅立ちの屋上

箕田 はる

旅立ちの屋上


 恨みながら死んでやる。

 私は学校の屋上から下を睨みつけ、いじめてきた女子の顔を思い浮かべていた。

 死の間際まで憎い顔を脳裏に描かなきゃならないのはサイアクだけど、祟るためにはそうしなきゃいけないはずだ。

 ここまで私を追い詰めた彼女らは、今はこの下でのうのうと授業を受けている。私は授業に出ずにこうして、彼女たちを恨みながら十五年の生涯を終えようとしていた。

 その現実がさらに私の中で、怒りを煽り立てている。

 いっそのこと、本当に殺してから死のうかとも思った。だけど、弟にまで被害が及ぶと思えば、踏みとどまることができた。

 私がここから飛び降りれば、何人かの生徒が窓からその姿を見るかもしれない。テレビで報道され、両親や先生は私の無念を知り、私の訴えをただのおふざけだったとは言えなくなるはずだ。

 私はもう一度下を見た。体育の授業がないのか、グラウンドに生徒の姿はない。

 大きく息を吸い、私は憎き今世に別れを告げる。

「さよなら。私の人生」

 両手を広げ、上体を前に倒す。

 風が髪を揺らし、私はそのまま落ちていく――はずだったのに……

 誰かが私の胴体を掴み、そのまま後ろに引き倒された。私は悲鳴を上げながら、地べたに尻餅をつく。

 お尻を擦った痛みに顔を顰めながら、私は邪魔した人物を見上げた。

 そこにはいかにもヒョロそうな男子学生が立っていた。一昔前のような丸眼鏡にぱっつんの前髪。明らかに陰キャの部類の男子だった。

 だけどそんな男子に見覚えがなく、私は下の学年の子だろうと勝手に推測していた。

「やめた方がいい。意味ないから」

 男の子がぽつりと言った。遠慮がちながらも、そのことに確信を持っているような言い方だった。

「関係ないじゃん。ほっといてよ」

 私は強い口調で言い返す。せっかくの決意が彼のせいで台無しになった怒りは大きい。

「死んで呪うなんて無理だから。僕の二の舞になるだけだ」

 言うなりその男子は、屋上の縁に立つ。それから私が止める間も無く、その子は落ちていった。

 私は絶句して、這ったまま下を覗き込んだ。だけどそこには、予想していた男子の倒れた姿はなかった。

「ね? 意味ないでしょ」

 すぐ後ろで声がして、私は悲鳴を上げて振り返る。

 その男子が、さっきと同じ姿で立っていたのだ。

「なんで……」

 私は立ち上がることも出来ないまま、彼を見つめる。

「僕もね、君と同じなんだ。人を恨みながら、ここから飛び降りたから」

 彼はそう言って、肩をすくめた。


「じゃあ、あなたもいじめに遭って、ここから飛び降りたってことなの?」

 彼の話を聞いて、私は同情を示すような低い声で言った。

 もういつだか分からないぐらい昔に、彼は同級生や先輩からひどい暴力やカツアゲにあっていたらしい。私はまだ、無視とか仲間はずれで済んでいるけれど、彼は全てにおいてダメージを受けていた。

 話を聞いただけでも、沸々と怒りが湧いてくるぐらいに。

「うん。だけど恨みを晴らすどころか、奴らは普通に卒業して、今は幸せに暮らしてるんじゃないかなぁ。僕だけがここに取り残されて、今もこうして彷徨ってる」

 俯く彼の姿に、私も同じことになっていたのだと思うとゾッとした。彼には申し訳ないけれど、ただの無駄死にだと思ったからだ。

「だから君には、そんな目にあってほしくなくて、つい……」

 それから彼は「抱きついちゃって、ごめん」と謝ってくる。

「そんなこと良いよ。ありがとう……止めてくれて」

 私のために、自分の状況を顧みても助けてくれたのだ。突発的な行動とはいえ、止めてくれなかったら私は間違いなく、彼とここで一生暮らさなきゃいけなくなっていたはずだ。

「あなたは命の恩人ね」

「そんなことないよ」

 彼は照れたように首を横に振り、それから膝を抱えた。

「君の辛い気持ち……僕にも良くわかるよ」

 しんみりとした口調の彼に、私も膝を抱えた。

 今まで仲良かったはずの友達から、ある日突然ハブられる。私の信じていた全てが裏切られたようで、足元から真っ黒い何かが這い上がってくるような不安があった。

 親に相談したけれど、時間が解決してくれるはずだと言って、まともに取り合ってはくれなかった。

 そのうち、無視だけじゃなくて、私の悪口を言ったり、根も葉もない噂を流されるようになっていた。

 男子と違う、女子特有の陰湿なイジメ。私はクラスで、どんどん孤立していった。

 私が何をしたというのか。ただ、普通に過ごしていただけなのに。

 私は隣に座る彼に、自分の置かれた状況や気持ちをポツポツと話した。

 そうしているうちに、私の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていた。今まで泣くのを我慢していたからか、それは防波堤を失った川のように止まることなく流れ続ける。

 ハンカチを取り出す余裕もなく、私の顔はぐちゃぐちゃになっていたと思う。

「私、どうしたら良いのかな」

 話の締めくくりに、私は言った。死ぬことをやめてしまった今、どうすればいいのか分からなくなっていた。

 彼はしばらく黙っていた。彼も死を選ぶ以外に選択肢がなかったから、こうなってしまっている。それでも、しばらく待っていると、彼は口を開いた。

「怒ってみたらどうかな」

「怒る?」

 想像していなかった答えに、私は目を丸くする。

「うん。僕はいじめてくる奴らに、何も言えなかったんだ。だから、嫌なことされたり、変なこと言われても、ぐっと我慢していた。だけど今考えると、怒れば良かったんだって」

「怒るって、逆上されそうじゃない? それに向こうは仲間もいるし……」

 多勢に無勢ならば、逆効果なようにも思えた。

「でも、嫌なことを嫌って言えなかったら、いつまでも今のままだよ。僕はそれで後悔してるから……」

 彼は心の底から、悔しそうな顔をした。その姿に、私まで悔しい気持ちがしていた。

「それにみんなの前で言えば、誰か一人ぐらい味方になってくるはずだ。僕だって、君の味方の一人だからね」

 そこで彼はハッとした顔をしたかと思うと、「でも死んでるんだった」と、しおらしくなってしまう。

「生きていたら、一緒に戦えてたかもしれなかったのに……」

 彼が膝に顔を埋める。それから「やっぱり僕はダメな奴なんだ」と、震えた声で言った。

「そんなことないよ。私の事を助けてくれたんだから。普通の人だって、簡単にできないと思う。あなたは私にとって、ヒーローと同じ」

 命を救われただけじゃない。彼は私の話を聞いて、私の心にも寄り添ってくれたのだから。親や先生よりも、よっぽど私にとっては強い味方だった。

「……買いかぶり過ぎだよ」

 彼の否定に、私は首を横に振る。それから彼の手に触れるために手を伸ばす。握ろうとしたけれど、想像していた通りで私の指が空を掻いた。

「見て。あなたは幽霊だから、私は触れられない。それなのに、私を助けるときは、私に触れることが出来た。それって相当、強い念がないと出来ないことだと思う。あなたが強くて優しい人だって証拠だよ」

「ありがとう」

 彼は今にも泣きそうな顔で笑う。

 それから立ち上がると、私から離れて屋上の縁に立つ。

「君に出会えて良かったよ。君こそ、僕のヒーローだ」

 彼の姿が徐々に透けていく。唐突な彼との別れに、私は驚いて固まった。

「ずっと、ここに縛られていた。だけど、やっと出られそうだよ。生まれ変わったら、今度はちゃんと生きたい」

「生きられるよ。あなたなら、もう大丈夫」

 私は彼に別れを告げるために立ち上がり、彼の前に立った。彼の姿が青い空に透けて見える。

「僕はずっと君の味方だから。傍にはいられないけれど、向こうから応援してる」

「うん。あなたの分まで、頑張るから」

 私はまるで生まれ変わったかのように、前向きな気持ちになっていた。彼に救われた命、それに彼の想いを引き継ごうと思ったからだ。

 頷いた彼が、笑顔を浮かべる。

 そしてそのまま、ゆっくりと景色に溶け込んでいった。

 遠くの方で、授業の終わりを告げるチャイムが響く。

「さよなら。私のヒーロー」

 私は背を向けて、教室へと向かった。

 

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旅立ちの屋上 箕田 はる @mita_haru

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