それこそまぼろし

Planet_Rana

★それこそまぼろし


 私だけのヒーローだなんて、夢のような話だと思った。

 それは、たぶん。


 目の前のロングソファの中腹でひっくり返ってる手すりの角度に何かしらの意味を持たせたいと思うことだとか。


 風呂場の床にあるランダムタイルのパターンを割り出そうとして無為な時間を過ごしたりだとか。


 土砂降りのバス停で濡れ鼠になってまで濁った空を見ていたくて傘をさそうとしないことだとか。


 買って開かなかった参考書を麻紐で括ろうとして取り落としたのを今更になって読みふけることだとか。


 興味も無いネオン街を点灯時間に合わせて散歩する学生と自転車とを眺めて安堵したりだとか。


 夜中になっても明かりが点いたままの家に新聞を届けるおじいさんの無心な瞳の色だとか。


 朝方になっても扉が開かない家を訝し気に思いながら通学路を行く学生だとか。


 カラスと一緒になきはじめたウグイスとヒヨドリが一斉に飛び立ったような静寂だとか。


 目が醒めて窓を開く頃には落ち着いている濃霧の残した当てつけのような湿気だとか。


 抜けたような青空にいまにも落ちるような錯覚がしてつま先立ちを自覚する瞬間だとか。


 ゴミ収集車が聞きなれた音楽とともにやってきて去っていくのを眺めながら今日出したそれがどう燃えるのだろうと想像していることだとか。


 街路樹にたかる虫を殺虫剤で落とすことだとか。


 部屋に忍び込んだ蚊を叩くことだとか。


 道を行く蟻を指差して潰すことだとか。


 ラジオから逃げてテレビから逃げてインターネットの海を泳いだところで学ぶ気がなければ何も変わらないんだと気付いていないことだとか。


 新聞から逃げて創作物から逃げて書籍から逃げて妄想の世界を羽ばたいたところで行動に起こさなければ現実は微動だにしないと思い知っていることだとか。


 朝ごはんを食べて「おいしい」の言葉を繰り返すことだとか。


 悲鳴のような声をたてて色々なものを刈り取っていく芝刈り機が空と共鳴してわんわんと響くことだとか。


 隣の家の犬の吠える声と民家を渡り歩く猫の声を聴き比べて飽き飽きすることだとか。


 見知らぬバイクと見知らぬ車とランプを回す白黒が追いかけっこをしていることだとか。


 悲鳴に耐えかねてシャットダウンしたパソコンに食指が向くことだとか。


 ガラス板一枚挟んだその先が現実だと思い知りたくないと思うことだとか。


 今日呟いたあれこれが誰かの琴線にかかることを祈ることだとか。


 昔呟いたあれこれが誰かの心を抉らないことを祈ることだとか。


 雪の日は春を望むように乾いた日は雨を望むことだとか。


 ……そういう、平和な思考回路の先にあるものだ。


 強欲で、身勝手で、それでも自分の為に生きている。


 私だけのヒーローなど「英雄像」を押し付けられることになる相手に失礼だ。

 この世に産まれた「私」が、独占していい誰かなどこの世には存在しない。


 だから。


 手甲を嵌め、グローブの感触を確かめる。

 スーツに解れ無し、各部装甲機能に異常なし。

 靴とヘルメットは軽くても丈夫なものを。


 身支度を終えてバットを持つ。

 素振りをして、リュックサックを背負って、赤々とする空の下に飛び出した。


 前方数メートル先、進行上に化け物を数体確認。


「――私は学校に行くんだ、道開けろや泥ナマコ!!」


 今日も私は、自分の為にヒーローで居る。







「――みたいな話をさ。CT撮ってる間に考えてたんだけどさ。どう思う?」

「検査の瞬間ぐらい無心でいることができないんです……?」

「いやぁ、人間って考えるのが仕事みたいなところがあるでしょ」

「自分で自分を追いつめる様な思考は『考えてる』じゃなく『脅迫してる』ですよ。で、どうだったんです。結果は」

「あいもかわらずアンノウンってところ。痛みがある以上どっかに負荷がかかってるんだろうけど、どうにか休めというのが医者からの指示ですわ」

「……」


 ずここ。と、ストロー越しにぶどうジュースが飲みこまれる。沈黙と同時に剣呑な目を向けられたこともあって、私はにこにこしていた顔をぐにぐにと元に戻した。


「そっちが気に病むことはないじゃんよ。私の敵は私の中に居て、多分一蓮托生だってだけなんだからさ。やっぱ、個人に都合のいいヒーローには、自分でなるしかないんだよ」

「……一蓮托生とまではいかないけれど。少なくとも寛解までは付き合うつもりですよ」

「?」

「なんでもないです。こっちの話」


 ジュース片手に手を振って、彼女はその場を去ってゆく。

 私だけのヒーローは霞のように掻き消えて、イマジナリーな世界へ帰ってゆく。


 私は突き当りの廊下に向かって振っていた手を下ろし、鞄を抱えて自動扉を潜った。振り返らない。


 彼女とは、それが最後の邂逅だった。それすらも、今の私は憶えていない。




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