告白

λμ

性(サガ)

 

 灰沢はいざわ主我愛しゅがあ、十七歳。あだ名はシュガー。まさか成人する前に伝説の呪文「電車なくなっちゃったね」を唱える機会が与えられるとは。

 ましてや、それを言った相手が、十年来の幼馴染である風京ふうきょう桃知ももちになろうとは。

 

 これはもしかしたら、もしかしちゃったりするんだろうか。


 幼馴染ゆえに顔良し性格良しの桃知の希少性に気づけず十年を過ごしてきたが、さすがに高二が終わり高三へ進もうかという春ともなれば分かってくる。


 この優良物件を逃してなるものかよ。


 シュガーは獣の目つきで、隣を歩く桃知を一瞥した。

 幸いにも桃知の周囲に女の影はない。いや実際にはあったのだが、どういうわけかつれない様子。ならば、この機会に理由を聞き出さなくては。


 万が一、万が一も、あるぞ。


 シュガーは内心グヘヘと笑った。どうやってこの朴念仁ぼくねんじんづらした幼馴染の本性を暴いてやろうか。どうやって誘わせようか。シュガーの妄想は次第に飛躍し、実は私にあんなことやこんなことしたいんちゃうん? と一人勝手に盛り上がり耳まで赤くし始めたときだった。


「……あのさ、オレ、シュガーに話したいことあるんだよね」


 来たやんけー!! と、シュガーは胸裏で関西弁もどきの叫びをあげた。ばっくんばっくん騒がしい心臓をなだめすかし、さも清純であるかのように足を止める。


「それって……」


 期待が口からまろびでる。シュガーの脳内では、すでに桃知はオチていた。

 桃知が振り向く。普段は少年時代のあどけなさを残す顔つきも、夜闇と月と街灯の力を借りて精悍に見えた。


「……オレ、シュガーにしか言えないと思ってさ」


 きたきたきましたきましたよ、とシュガーは先走る妄想に突き動かされて突然のキスに備えた。それと知ってか知らずか、桃知の、知らない間に大きくなった手が彼女の両肩を掴んだ。


 カマン。

 

 シュガーは目を瞑る。突き出そうになる唇。桃知が言った。


「オレ、TSケモ化百合夢系腐男子なんだ!」

「…………ん?」


 今、なんとおっしゃった?

 シュガーは閉じていた瞼を持ち上げ、桃知の真剣な顔を真正面から見つめる。


「えー……と……TS……?」

「トランスセクシャル」

「トランスセクシャル」


 言葉の意味を理解しようとシュガーはそのまま復唱した。

 トランスで、セクシャル。

 つまりは性転換。ああ、あれかとシュガーは察する。男のキャラを女にしたり、女のキャラを男にしたりする、あれだ。


「……ケモ化っていうのは……キャラに猫耳を生やしたりとかする……?」

「耳だけじゃなくて!」


 桃知は興奮した様子で言った。


「キャラごとに似合うケモノがあるのはもちろんなんだけど、体毛の色とか、毛並みとか、匂いの感じとか――」


 すごい早口で喋るじゃん。シュガーは右から左へと素通りしていく桃知の言葉を遮り尋ねる。


「百合」

「そう百合! やっぱりオスが混じると汚い感じが――」

「待って」

 

 シュガーは機械的な声音で言った。桃知が口をつぐんだ。不思議そうに目を瞬かせていた。


「……元は、男のキャラ、だよね?」

「でも今はメスケモじゃん」


 今っていつだよ。口の中でツッコミを入れつつ、重ねてシュガーは尋ねた。


「夢って?」

「作品の中にオレを入れるんだ。最高だろ? メスケモ化したオレが海斗くんと百合百合しちゃうんだ」


 海斗くん誰よ。ぐにゃりとひん曲がる夜の世界。シュガーはさらに質問する。


「腐男子……?」

「BLだよBL!!」

 

 桃知の興奮しきった叫びが深夜の街に響いた。

 そんな力強く言いなさんなや。

 シュガーは気を抜けば寄ろうとする眉を見栄と気合と恋愛感情でキープする。


「でもさっき百合って」

「それはオレと海斗くんの話だよ!」


 知らねえよ。唇の端が下がろうとした。シュガーは使命感を持って角度を維持しながら情報の整理を試みる。


「つまり……メスケモ化した海斗くんと桃知が百合百合して」

「でもオレと海斗くんじゃ釣り合わないから別れて」


 別れるんだ。夢なのに。平板化していく感情。シュガーはまだ幼く淡い恋心を抱いていたあの頃を思い出し桃知の顔に重ねる。


 どうしてこうなっちゃったんだろうね、私たち。


 そんな陳腐な台詞が脳裏を過ぎった。桃知の手が、するりとシュガーの肩から離れた。俯く顔。今にも泣き出しそうな瞳が覗き込むような上目遣いでこちらを見た。


「……変、だよな」


 変だよ。秒で思った。性癖の万魔殿パンデモニウムかよ。

 だが、元・優良物件の幼馴染は、まだ引き返せる地点にいるかもしれない。

 シュガーは天から垂らされた一筋の蜘蛛糸を探る思いで呟いた。


「変じゃないよ」


 待て。自分で自分に言った。しかし口は止まらない。


「私も、そういう妄想したことあるし」

 

 ねえよ。一度たりともしたことねえよ。シュガーの胸の内の冷静シュガーがこめかみに青筋を立てて叫んでいた。

 けれど。

 ぱっと明るくなった桃知の顔に、恋愛シュガーが飲み込まれていった。


「海斗くんって、どんなキャラ? 私も海斗くんのTSケモ化百合が見たいな」

 

 よし、よく言ったシュガー。自分で自分を褒めながら、辺りを見回す。きっとあるはず。駅前で、男女が二人で入れて、謎の海斗くんとやらを教えてもらえそうな場所が――そう。


「……あそこの漫喫、カップルシートとかあるかな?」

「シュガー……!」


 ぎゅっ、と桃知がシュガーを抱きしめた。

 なぜだろう。嬉しいのに、嬉しくない。心がまったく躍らない。

 いまだかつて、こうまで期待感に乏しいカップルシートがあっただろうか。

 手を繋いでいるのに感情が揺れない。いや、ある意味でめちゃくちゃ揺れているが、好ましい方向に揺れていない。

 二人で一緒に狭い部屋に入って、全二十五巻もある少年漫画の一冊を手に、並んで座って。


 どうしてだろう。

 なんで私は、知りたいなんて言ったんだろう。

 

「これ。これが海斗くんなんだ」

 

 シュガーは曖昧な笑みを顔に張り付け、桃知が指差す一つのコマを覗き込んだ。触れ合う肩。もはや数センチの距離しかない桃知の顔。


 なのに、まったくドキドキしない。


 耳にかかる桃地の吐息の興奮が、自分ではなく、海斗くんに向いているからだろうか。


「……これが海斗くんなんだ……」


 それは大ゴマの片隅の空き空間を埋めるように描かれた、簡略化された少年だった。コマの外、おそらくは後ろから「海斗ー」と呼びかけられて、振り向いていた。フキダシすら与えられていない。そもそも本人は喋っていない。


「連載のときは名前がなかったんだ」

「……へぇ」

「単行本化されたときに、この台詞が追加されてさ。オレ、単行本で名前が分かったとき泣いちゃったもん。ああ、君、海斗くんって言うんだねって――!」


 感極まった声だった。

 

「でも、他に登場してるシーンがなくて。これから出るかもしれないんだけど――」


 たぶん、出ねぇよ。というか完結してるから二度と出ねぇよ。

 シュガーは慈愛の笑みを浮かべて桃知を見やった。


 もう、桃知は戻れないところまで行っちゃったんだね。


 さよなら、初恋――。


 

 ――いや。

 いやいやいや。

 

 シュガーは諦念を振り払う。

 

 こんな、一コマにしか存在しないモブキャラにシュガー様が負けてなるものかよ。

 

 毒を喰らわば皿まで。

 惚れた男が性癖の沼に沈んでいるなら、共に地獄の底まで降りてやろうぞ。

 

 シュガーは言った。

 真夜中のテンションで言った。


「私が、海斗くん、ろうか」


 ビクっと桃知が震えた。生唾を飲む音がした。

 振り向けば、化け物を見るような目をしていた。


「……いや、それは、なんかちがう……」


 うるせぇ。


「演るんだよ。お前も、メスケモになるんだよ」


 二人で、真夜中の悪夢を見るんだよ。

 シュガーは逃げようとする桃知の腕を掴んだ。

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告白 λμ @ramdomyu

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