ヒーローは永遠じゃない

葵トモエ

全一話

『永遠のヒーロー』という言葉をよく聞く。自分にとって、ヒーローは特別な存在だから、それは年月を経ても色あせることはない。10代の頃読んだ漫画のヒーロー、ヒロインは、今でも心の中にあり、時々心の中から取り出してみては、その時代やそのころの自分を懐かしんだり、恥ずかしがったりする。それはそれで正しいと思う。


だが、小さな子供にとっては、ヒーローが永遠でない場合もある。そして、ヒーローがヒーローでなくなる日は、突然にやってくるのだ。大人には『その日』がわからない。だからいつものように対応していると、子供に拒否されて驚き、

「なによ、この前までこのキャラクター大好きだったじゃない!」

「○○ちゃんが好きだと思って、せっかく買ってきたのに、なんでこのおもちゃ使わないの?」

などとうっかり子供を責めてしまったりするのだ。かくいう私にも、そんな経験があった。それは、息子が4歳の頃のことだった。20年以上も前で、記憶も定かではないが、できるだけ思い出してみた。


息子は風邪を引きやすい子だった。体が弱い、というよりも気管が弱かったのだろう。風邪を引くと、すぐに咳き込み、その咳が長引く。熱を出し、一週間は寝たり起きたりの生活が続いた。近所の同世代の子供たちが元気に飛び回っているのを見て、うらやましく思ったものだ。


数日後に幼稚園の入園式を控えていた春のことだった。いつもの風邪と思っていたものが一週間以上たつのに良くならない。通院先の医師は、

「行けるかなぁ……?」

と疑問符。無理しないでやめておきなさい、ということなのだろう。だが、『母親』という生き物にとって、初めての子の、初めての集団生活の中の、その最初の日に出られない、ということはとてもショックなことであった。その大事な日に、風邪で休ませる、という失態を犯すことは、

『ママがちゃんと、健康管理してないからよね』

と言われることを覚悟しなければならなかったのだ。


だが、結局入園式には出られなかった。その後、何日か通園したが、また熱がぶり返し、幼稚園を休んだ。そして運が悪いことに、ゴールデンウィークに突入して、医者が長期の休診に入ってしまったのである。仕方なく、休日診療を受けた。その日は大雨で、当時妊娠していた私に代わって夫と義母が息子を連れて行った。慣れない医師や、慣れない薬に子供の方が拒否反応を示したのか、容態は悪化。義母までも具合が悪くなってしまった。息子の熱が40度になり、ついに総合病院に駆け込んだ。診断は肺炎。即入院であった。


入院中の息子のなぐさめに、と渡したものが、20㎝くらいの、パンダのぬいぐるみだった。安定感のある、どっしりとしたパンダではなく、くたくたの柔らかいぬいぐるみで、子供が手に持ちやすい形をしていた。動物園に行ったときに買い、その後とてもお気に入りになったものだ。彼は入院中、片時もこのぬいぐるみを離さなかったようだ。『ようだ』というのは、私は妊娠中で体調が悪く付き添いができなかったため、義父や夫や実家の母親が交代で息子の付き添いをしてくれ、その話を聞いたのだ。高熱でうなされているときも、検査に向かう時も、枕元には常に、このパンダのぬいぐるみを置いていた。


『パンダくん』と名付けられたこのくたくたパンダは、息子の一部始終を見守っていた。大人たちが何気なく、彼を元気づけるために

「ほら、パンダくんがそばにいるよ」

「パンダくんが見ているから、がんばろうね」

と声をかけているうちに、彼にとって『パンダくん』は、とても大切な友になったようだ。大人が、自分に食べさせてくれるものは、

「パンダくんも食べる」

と同じように扱うことを要求した。自分と同じ場所に座り、ご飯も一緒。付き添いの大人がいなくても、いつも傍らにいるぬいぐるみは、彼にとって苦しみを分かち合う同志であり、彼を助け、元気にするヒーローであったのだと思う。


そんなヒーローだから、退院してからも大切にされていた。やはり枕元にずっと置かれ、風邪を引くと、隣に寝かされた。ある日、熱の上がった息子が、食べたものを吐いてしまったことがあった。そして、そのために、ぬいぐるみが少し汚れてしまったのだ。こうなってしまっては仕方ないので、

「パンダくん、洗おうね。もうずいぶん使っていたから、汚れていたしね」

と言うと、息子もそれに納得した……と、私は思っていた。


確かに、入院中ずっと手に持っていたせいで、白いところは薄汚れてほんのりグレーになっていたし、ところどころ、食べかすなんかもついていたと思う。丁寧に手洗いされたぬいぐるみは、きれいなパンダになった。だが、息子がそれを今まで通りに扱うことはなくなったのだ。それまで、片時も離さなかったぬいぐるみに、見向きもしなくなった。枕元にも置かなくなった。置こうとすると、

「いい」

と拒否した。旅行に行くとき、

「パンダくん持っていく?」

と聞くと、

「いらない」

と答えた。不思議だった。あんなに好きだったのに、夜は必ず隣においていたのに。


洗濯されて、ピンチにつるされ、干された『パンダくん』は、彼のヒーローから、ただのぬいぐるみに降格してしまったのだった。大人には同じに見えるその姿は、子供にとっては天と地ほどの違いがあったのだ。それ以降、ぬいぐるみは彼の大切なものから消えた。幼稚園の生活が軌道に乗り始めると、すっかりその存在も忘れられた。たぶん大掃除の時にでも、処分されたかもしれない。だが、それは悪いことではないと思う。子供にとっては、忘れることが成長だともいえる。小さなときには、虫の声も、花の声も、人形の声も聞こえているようだが、成長すると聞こえなくなる。ヒーローも変わって当然なのだ。ただし、それは突然にやってくる。昨日までの自分と、今日の自分は違うのだ、という子供の無言の主張なのかもしれない。


息子は、というと、その後はとても頑丈になった。水泳やスポーツをやるようになって健康になった。幼い日に一緒に戦ってくれたヒーローは忘れ去られても、彼の成長に関わったことは事実なのだ。





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