神父は神を信じない

七四六明

神父は神を信じない

 教会が運営する孤児院に、その人はいた。

 顔に傷があるからと被っている仮面のせいで、子供達から怖がられているその人が。


「コラ、君達。喧嘩はやめなさい。友達に暴力なんて振るってはいけませんよ」

「……はい」

「ごめんなさい」


 院長の言葉が響いた訳ではない。ただ単に、院長の仮面が怖いだけだ。

 この孤児院に、院長を好んでいる子供はいない。

 少年エレンも、その一人。


 顔に傷があるための配慮だとしても、全面鉄仮面で覆ってしまうのは逆効果でしかない。

 子供達はもちろん、新入りの修道女も恐れているし、女の子なんて近付きもしない。院長が話している相手なんて、大抵古参の修道女か、修道士のどちらかだ。

 自分達子供を大切に扱ってくれているのはありがたいけれど、仮面の奥の表情がわからないから、エレン含めた子供達には、いつまでも拭えない恐怖があった。


「良いですか? 暴力は友達に振るっていいものではありません。振るうならば、その友達を傷付ける者達……そう、聖書の悪魔が如き者達にのみとしなさい」

「は、はい……」

「ごめんなさい……」

「院長。後は私が」

「えぇ、そうですね。では修道母マザー、よろしくお願いします」


 結局修道母マザーに任せるなら、もう彼女が院長で良いのではないか。そんな事を言う大人もいる事を、エレン含めた何人かの子供は知っている。

 女性軽視をする相手にいいようにされぬよう、院長に今の立場を任せている事も聞かされているのだが、それでもやはり、納得出来なかった。


 そう思っているのはエレンだけではなくて、ある日彼を含めた子供達数人で、こんな話になった。


「今夜教会に忍び込んでさ。院長の顔を見てやろうぜ」

「大丈夫かな……」

「大丈夫だって。別に物盗りしようってんじゃないんだから。ただ院長の顔を見るだけさ」

「でも、院長が夜は危ないから出歩かないようにって……」

「同じ敷地内なんだから、外出にもならないさ。風呂場にでも忍び込めば、きっと素顔が見られるぜ?」


 確かに、院長の顔は気になる。

 恐怖心が無くなるか否かはさておき、もしかしたら違う見方が出来るかもしれないと思うところもあって、エレンはリーダー的少年らと共に、夜の教会に忍び込んだ。


 教会にはたくさんの人が住み込みでいるはずなのに、人けがまるでない。

 夜は悪魔、亡霊の時間。神々が与えた唯一の時だからと、信徒達は夜間警備員に任せてほとんどが眠ってしまう。

 だから夜に出歩いているなんて事が知られたら――そんなスリルも合わさって、子供達は変なテンションで風呂場の見える窓を目指していた。


 だが計らずか、そこへ行くには教会が管理する墓地を通らねばならず、灯り一つない墓地はそれなりの迫力があって、墓石一つ触るのも憚られた。

 普段なら蟲の方にビクつくような子も、夜の独特な雰囲気に呑まれて、終始落ち着かない様子である。


 当然そんな雰囲気の中にいれば「ねぇ、やっぱりもうやめない?」と言い出す子もいたけれど。


「大丈夫だって。ちょっと顔見たらすぐ帰るんだからさ」


 と、リーダーは普段以上に強気で、他の子達が帰るのを許さない。

 きっと勝手に帰ったら、明日以降の対応がゴロっと変わるだろう事は目に見えているので、全員彼に付き合わざるを得ない状況だったのだ。


「着いた着いた。この上だ」

「でも届かないよ……」

「そこら辺に台になる何かないか?」

「うぅん……」


 灯りが一つもないため、よく見えない。

 そんな中、リーダーの次くらいに今回の計画に対して前向きだった子が、踏み台になりそうな物を探し始める。

 他の子は隣の袖を掴んだり、引っ付いたり。とにかく唯一の光が差し込む風呂場の窓から、離れまいとしていた。


「あったかぁ?」

「うぅん……ないなぁ」

「ねぇ、もう帰ろうよぉ……」

「何言ってるんだ。ここまで来たんだぞ?」

「でも――」

「おい!」


 帰るにも帰れず、それぞれの思惑が散り散りになりかけた時、一斉に声の方を振り返る。

 闇の中でよく見えないものの、そこには確かに人型の影があった。


「こんな時間に何をしてる、ガキ共。まさか……墓荒らしじゃあねぇだろうな」

「ち、違います、僕らは……」

「こんな夜更けに出歩いて、いけないガキ共だ……神父に言われなかったのか? 夜は悪魔達の時間。墓場は亡霊の憩い場。荒す者には子供だろうと容赦はないと……」

「ご、ごめんなさい……ただ、僕らはただ……」

「言う事を聞かない悪い子はぁ……悪魔に喰われて死んじまうぞおおおおおおおっ?!】


 声にならない悲鳴を上げて、一目散に走り出す。


 窓の前に出た事で見えた、人型の何か。

 しかし潰れた顔の半分は腐り、剥き出しの歯は砕け、だらしなく伸びた舌の先は紫。

 破けた服の下に肉はなく、剥き出しの肋骨の中で黒く爛れた心臓が鼓動を打っていた。


 全員とにかく孤児院を目指し、一目散に走る。

 が、先頭を走るリーダーが突然振り返り、エレンの事を突き飛ばした。


 時折後ろを見ていて、追い付かれると悟ったのだろう。

 自分達――いや、自分が確実に逃げられるために、一人を囮に残す事に決めたらしい。エレンだったのはたまたま、振り返った時に目の前にいたから。


「わ、悪く思うなよ!」


 他の子供達は少し動揺した様子だったが、恐怖心が勝ってしまって、結局すぐリーダーと共にその場から逃げていく。

 転んだエレンが立ち上がった時には、怪物はもう背後まで迫り来ていた。


【悪い子だぁ、悪い子だぁ……悪魔に喰われて死んじまえ】


 恐怖で竦み、声が出ない。

 立ち上がる気力はもちろん、立ち向かう気力も微塵もない。

 もうダメだと頭を抱えて丸まった時、一切光源のない暗闇に、突如として眩い光。

 すぐ近くにあるのに気付いて見てみると、十字架の柄の付いた銀剣の刃が、電撃を帯びて光っていた。


「我は祈る。我は願い奉る。銀のつるぎは他が為に。銀の盾は我が為に。光よ子に接吻せよ。さすれば子は、御身の施す艱難辛苦を乗り越え給う。闇よ子に踵を返せ。させれば子は、御身の施す逆境を退ける力を授かり給う……その剣を持って、いなさい。絶対に離しては、いけませんよ?」


 言われて、無我夢中でしがみ付く。

 やって来たのが誰かなんて確認する余裕はなく、エレンは自分と怪物の間に立ってくれる影の踵を、半分開けた目で辛うじて見つめていた。


アンデッド死に損ないめが、私の子供の前に現れるな」

【悪い子は、悪い子はぁぁ……】

「黙れ、アンデッド死人が喋るな。私の前で喋り、動き、剰え私の子を追い回すなど、到底看過出来ん」


 聞き覚えのある声だ。

 だが声音には、エレンの知る優しさは微塵もない。

 仮面の籠りもない。そのおかげで、声音に宿る感情の奥――怒りがヒシヒシと感じられる。


「仮にもここは、私が神父を務める教会だ。私が任された孤児院だ。知ってか知らずかは関係ない。いまが貴様らの時間である事も関係ない。貴様は貴様の罪故に死に絶え、死屍へと変えるのだ……懺悔しろAmen!!!」


 怪物が、奇声を上げながら飛び掛かる。

 両手に握られた十字架の銀剣が、纏う電撃で空を裂きながら交錯し、跳び込んで来る怪物の五体を十字に切断。

 更に電撃が全身を走って細断。五体を八つ裂きにされた怪物の体が、エレンの真上を通過しながら焼かれ、朝日に焼かれた吸血鬼が如く塵も残さず消えて逝った。


「大丈夫かい? エレン」

「院長、先生……?」

「立てるかな。何故ここにいるのか、言ってごらん?」

「えっと……」


 翌日。

 夜に勝手に外出し、エレンを一人置いて逃げたリーダーらは修道母マザーに説教され、朝から教会や孤児院の清掃をさせられた。


 エレンはリーダーからの報復を恐れていたけれど、院長が仮面越しに何か言うとそんな様子は全くなくなって、結局リーダー含め、他の子達からその日何も言われなかったし、何もされなかった。


 そしてエレンも夜に外出した罰として、いつもの倍の時間、祈らされていた。


「あの、院長先生……」

「昨晩の事は、他言しないように。下手に子供達を怖がらせる必要は、ありませんから、ね」

「……はい」


 監視役の神父は、エレンの頭を撫で回す。

 祈りの最中で顔を上げる事は許されなかったが、後に聞こえた声には仮面の籠りが消えていた。


「院長先生。神様って、本当はいないのかな」

「神様はいますよ。ただ、何もしてくれません。神様は生粋の傍観者です。なのでの駆除は、我々がしないといけません。ただ祈るだけ、縋るだけでは何もしていないのと同じです。信じて動く。それが肝心なのです」

「……じゃあ。じゃあ僕も、院長先生みたいになれますか!」


 そうして顔を上げた時、エレンは初めて見た。

 普段仮面の下にある、院長の優しい笑みを。


「私になる必要はありません。ただ、昨晩の君の様に困っている人がいたら、助けて上げられる。そんな大人になりなさい」

「……はい!」


 それから十数年。

 エレンは孤児院を出て、警察官になった。

 まだ小さな街の交番勤務。仕事は道案内や落とし物がメインで、あの夜の神父のような活躍はないし、そんな活躍をしなければいけない事態も望んではない。


 けれど、いつかそうした現場に出くわした時、自分も他人を護れる人間でありたいといつも思って頑張っている。

 あの夜の出来事は未だ謎が多いままだけれど、今となってはどうでもいい。

 だってそうだろう。

 もう記憶が朧気で、鮮明に憶えているのは、自分を助けるために動き、戦ってくれた神父の背中だけなのだから。

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