点と点を繋ぐには

ナナシマイ

「――それでカノ、さすがにもう決めたんでしょうね?」

「うっ……。ま、まだだよ」

 何度も繰り返したこのやり取りに目の前の少女が完璧な呆れ顔を作りながら息を吐く。その溜め息が右から、左から、そしてまた右から……といった具合に響いてくるのが邪魔に思えてきて、私は音声設定をモノラルに変更した。

 揺れることのなくなった平坦な溜め息。うるさいのは変わらないが煩わしさはぐっと減る。しかし私は、目の前の少女――リイナが一瞬だけ頬を緩めたことに気づいた。

 わぁん……わぁん……。

 再び左右に揺れ始めた彼女の溜め息。

「もう、リイナ! 意地悪しないでよ!」

 むっと睨んでみても、リイナは呆れ顔を崩さない。笑ったかのように見えた頬も嘘だったかのようだ。その表情のまま、彼女はもう一度溜め息をついた。

「はい、今日は何月何日?」

 右下に視線をやれば、視界を遮ることがないよう考慮された色でほわんと今日の日付が浮かぶ。

「三月二十一日」

「私たちが子供でいられるのはいつまで?」

「……三月三十一日」

「それまでにやらなきゃいけないことは?」

 今度は左上に目をやる。グレーアウトしたボタン。なんだか重々しい雰囲気の記号。

「ヒーローを、決める」

 渋々答えると、リイナは「よろしい」と頷いて溜め息のループ地獄から私を解放してくれた。やっぱり呆れ顔はそのままで。

「で、あと十日しかないわけだけど、どうするつもりなのかしら」

「……こんな法律、なんであるんだろうね」

 ビイィィとビープ音が鳴る。溜め息のループ地獄よりよほどうるさいそれに眉をひそめたら案の定リイナが微笑んだ。彼女の次の言葉は決まっている。

「こういうときのためでしょうね」


 女子は自分をあらゆる危険から守ってくれるヒーローを、男子は人生の先達からあらゆる知識を学ぶための師匠を、それぞれ成人するまでに決めなくてはならない。そう法律で決まっている。

 ネットの海に漂うことを考えれば、女性のほうが身体的に相性が悪くて危険も多いことはわかる。だから女性には守ってくれるヒーローが必要だし、ヒーローに選ばれることの多い男性には女性を守る術を教えてくれる師匠が必要だということも、わかる。

「なんで親じゃ駄目なのかな」

 ……なんて、リイナがいるときじゃないと言えないんだけどね。

 ビイィィともう一度ビープ音が鳴る。法律に反するような言動をしたときに鳴る警告音であり、その鳴動記録は警察が管理するデータベースへ逐一送信される。

 主語を明確にしなかったのに文脈から違反行為であると判断したのだろう。やっぱり監視システムは優秀だと思う。

 だけど今鳴ったこの音に限って言えば、警察専用のネットワークに届く前――より正確には私のパーソナルスペースを抜ける前に、記録が消去されているはずだ。ほかでもない、リイナの手によって。

「無理だからよ。愛があっても守れるとは限らない」

「それに、守れる力があっても子を守るとは限らない?」

「……そういうこと」

 彼女の声に悲哀の色が混じる。だけど表情は微笑んだままだ。リイナは素顔と実像の連携をものすごく雑にしていて、表示させる映像として拾われない表情が多い。そのためにこうして会話をしていると表情が乏しい人のように思えるが、これでも素顔を見せてくれているほうだということを私は知っている。

 リイナの腕なら実物とほとんど変わらないような実像が作れるというのに、意図がわからない。

「あれこれ言っても仕方ないわ。早く決めちゃいなさい」

「うん……」

 私がヒーローを決められない理由を知っているから、今までリイナは強く言ってこなかった。だけど、もうタイムリミットはすぐそこまで来ている。

「ユウキでいいじゃない。結婚、決まったんでしょ?」

 おめでと、と笑う(今度はちゃんと笑った)リイナに曖昧なお礼を返したとき、無意識に身じろいでしまったのか背中にカサリと紙が当たった。

 ヒヤリとする。……大丈夫、身体はブースの外だから音は聞こえてないはず。

「……カノ?」

「んっうん。普通に考えたら、それがいちばんとは思うんだけど」

「だけど?」

「ユウキとは、対等な関係でいたいっていうか……」

 結婚相手であるユウキは小さい頃からの知り合いで、私とリイナと、三人でよく遊ぶような仲だった。「だった」というのは今は仲が悪いという意味ではなくて、単純にユウキの仕事が忙しくなって会う回数が減ったというだけだ。

 今日は二人だけど、彼の時間が合えば会話に参加してくれることだってある。

「ヒーローになってもらったら、対等ではいられなくなると思うの?」

「うん、だって、守るほうの負担が大きすぎる。あんなの仕事じゃなきゃやってられないよ」

 同い年の夫婦で互いをヒーローに選ぶ人は確かに多い。だけど私にとってヒーローや師匠というのは職業としての印象が強かった。普通の人ならともかく、を守ったり教えたりするためには相応の力が必要になるからだ。そのぶん国からの補助も手厚くて、ヒーローや師匠だけで生計を立てている人も大勢いる。

 でも、そういうふうに負担を強いることを、わたしはユウキに望まない。

 それに「やってられないかな?」なんて軽く言うリイナこそ、わかっているはずだ。

「まぁ、そっか。カノ、ユウキのこと大好きだものね。彼に守られたいっていうのは、ちょっと違うわね」

「えへへ……」

 ……うん、私はユウキのことが大好きだ。結婚が決まって本当によかったと思っているし、そのことを考えるとぽかぽかと心が温かくなる。

 ――大好きなユウキに、守られたいとは思わない。

 リイナの言葉は正しくて、気恥ずかしくて、でも、間違っている。

 そんなこと、リイナにだって言うつもりはないけれど。


 ピーンポーン! ピーンポーン! ピピピピピーンポーン……。

 けたたましいチャイム音に意識が身体へ引き戻される。

 慌ててリイナとの通信を切ろうとして、上手くいかなくて、痛くて、痛くて……痛くて…………? 痛い、なんで、痛いんだろう。

 わからないまま目を開ける。そこにあったのは紙だ。

 大量の、紙。

 息はできているけど苦しい。目に飛び込んでくる文字が、苦しい。

『このアバズレ! 消えろ!』

『気持ち悪い。この街の恥だ』

『偽善者』『最低』『クズ!』

 見慣れているはずなのに、心があちこち、痛い。

 ついさっきまで温かい会話をしていたからかもしれない。私のいる場所はここなのに、変なの。

 全部システムに管理されているのだ。だから、現実に起こったことなんて誰も気にしない。こんなの、誰が助けてくれるというのだろう。ヒーローだって。

「……カノ! カノ⁉」

 ブースからリイナの声が聞こえてくる。やっぱり切れてなかったんだ。

 あとが面倒だけど、もういいや。

「“ブレーカー・トリップ”」

 ブゥンと部屋中の機器が電源を落とす。音声認識にしていてよかった。真っ暗な部屋のなかで、私は笑う。

 扉を叩く激しい音が聞こえてくるけど関係ない。ブレーカーを落としたのだから電気錠そのものが作動しないのだ。それにどれだけ屈強な人間でも、うちの扉を破れはしないはず。

「カノ! 返事をしなさい!」

 ……なんで⁉

 まったく予想していなかったところからの音にわけのわからないまま振り向く。青白くぼんやりと光ったままのブース。まるでそこだけ別の電源と繋がっているみたいに。

「どういうこと」

 思わず漏れた疑問の言葉に、いつもと同じ溜め息が返ってくる。

 ……それにしては、随分とお怒りのようだけど。

「カノの口から言わせるつもりだったけど、もういい。……今すぐ、私に助けを求めなさい」

「たっ……え、命令?」

「早く!」

「ひぃ――っ」

 ブースの画面にしか投影されないはずのものが、なぜかブースの外にいる私の目の前で像を結んでいる。リイナが、私に凄みをきかせている。

 だけど、簡単に了承できることではない。彼女の求めていることがわかるから。

「“たすけて”でも“HELP”でも、どっちでもいいわ。あなたは、私をヒーローに選びなさい」

 拒否できる言葉なんていくらでもあったはずなのに、それなのに、私の指は吸い寄せられるようにして視界の左上に見えるボタンを押していた。


 それからのことは本当にわけがわからなかった。

 ネットの海に漂っていたはずのリイナの本体がに出てきて、なにかの端末を操作したら私の家の電気制御が変わっていて。

 あれよあれよという間に物理的にも電子的にも(結局は物理か)好戦的な要塞のごとき仕組みができあがっていて。

 とりあえずわかったのは、リイナが全面的に守ってくれることになったということだ。

 リイナがヒーローとしてとんでもない資質を持っていることは知っていたけれど、予想というか、常識を遥かに上回る実力に感謝が遅れてしまったことは致し方ないだろう。

 それより、彼女はまだとんでもないものを隠していた。

 ――ピコン。

 視界の左上に見慣れぬ通知が届いた。

 ひとまず概要を見るために開く。

『リイナ・フクノ様よりヒーロー要請が届きました』

「……え?」

 目の前にいる少女を凝視する。表情からはなにも読み取れない。

「カノに、私のヒーローになって欲しいの」

「……え、リイナも決めてなかったの⁉ っていうか、私にリイナの何を守れるっていうの!」

 待ってましたと言わんばかりの笑顔。

「ヒーローを決めないのは罪よ。私が、犯罪者にならないよう守ってちょうだい」

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