首を切る二人

海沈生物

第1話

 骨を断ち、首を落とす。静かな地下室に響くのは、頭蓋骨の悲鳴である。消えかけた電球がチカチカと照らす暗闇の中には、その首がこぼした鮮血がべっとりと広がっている。

 私は膝を屈めると、床に落ちた、愛する者の首を拾い上げる。これが初めての人体切断だったので、綺麗に切ってあげることはできなかった。それでも、自分のことながら上手くできた方だと思う。彼の髪を撫でると、仄かに頬を熱くする。


「あぁ、愛しきヤコナーン。私の、。……本当にごめんなさい。殺してしまって、首を切ってしまって、ごめんなさい。けれど、信じて。私は貴方を愛していた。それだけは、この身がいずれ処刑台に上がろうとも、決して変わらない事実だから」


 冷たくなった唇と軽いキスを交わすと、両腕でギュッとその首を抱きしめる。ふさふさの天然パーマと耳たぶの柔らかさに、一層愛おしさを募らせる。このまま誰かに発見されてしまう時まで、ずっと一緒にいよう。もう一度、今度は切り口にキスをしよう。そう思って、唇を寄せた時だった。


 ドアが乱雑に開けられたかと思うと、地下室が一瞬で明るくなる。眩しさに思わず怯んでいると、そこへ髪の短く切り揃えた女兵士さんがやってきた。どこかで見たような、見ていないような。どちらにしても、こんなにも早く、私たちの逢瀬は終わってしまうのか。あまりに唐突なことで動揺する私に、女兵士さんは首元へ刃を突き立ててきた。


「やっぱり殺したんですね、ザラメさん。まぁ箱入り娘だし、思い込み激し……想像力が豊かだし、いつかはやるんじゃないかとは思っていましたが」


「えっと……どなた? ごめんなさい。兵士の皆さんって、同じ服に同じ表情ばっかりしているでしょう? だから、個人個人の見極めが付かなくて」


「いつも貴女様の強いご要望に答えて深夜三時にホットミルクを持っていったり、”一人で寝るのが怖いから”と一緒に一晩寝かせられた兵士ですよ! まったく……名前は教えたことないので、覚えてなくて当然です。ですが、せめて身辺のお世話をしていた人間の顔ぐらいは覚えていてください」


「ごめんなさい。……それで、私を見逃してくれるの?」


 私の質問を受けた女兵士さんは、なんだかよく分からないけど、突き付けていた刃を降ろしてくれた。そうしたら、今度は頭を痛そうにしはじめた。

 ちょうど懐に「舐めるだけで大丈夫!」と箱に書かれた頭痛薬を持っていたことを思い出すと、彼女へ勧めた。しかし、二つ返事で断られてしまう。お医者様から頭痛薬の服用を禁止されているのだろうか。それなら仕方ない。

 それじゃあ代わりに賄賂でも渡しそうかと一万円札を見せると、今度は頭にチョップが飛んできた。


「頭痛薬はいらないですし、そんな紙切れもいらないです」


「それじゃあ、何が欲しいの?」


「……貴女の首です」


 首、なるほど私の首。持っていたヤコナーンの首を一旦床に置くと、自分の首にペタペタと触れる。この首を、目の前にいる女兵士さんにあげる。なるほど、なるほど。


「……もしかして、私死ぬの?」


「当たり前です。というか、なんで私の実の兄を殺したというのに、生き延びられるのかと思ったんですか?」


「兄……ヤコナーンって、貴女のお兄さんだったの!?」


 衝撃の事実で動けなくなるぐらいには驚く。口をパクパクしていると、不意に女兵士さんの刃が向けられる。しかも、今回はもう首の真横へと寄せてきている。殺すつもりらしい。思わず床に置いていたヤコナーンの首を拾い上げようとしたが、女兵士さんはその首をドアの方へと蹴り飛ばしてしまう。「あぁ!」と声を漏らす私に、彼女は無言で笑みを浮かべた。


「別に、怒ってはんです。貴女が兄のことを好きなら、私はそれを陰ながら応援しようと思っていました。二人で駆け落ちをするのなら、そのお手伝いをしてあげよう。世間知らずで愚かだけど、どこか憎めない王女様の面倒を見てあげよう。それが私の大好きな人たちにとっての、最高のハッピーエンドなんだって。私にとっても、それが最善なんだって。……でも、もうそんな幻想は崩れました。兄は死んでしまいましたし、貴女は私がこの場で手を下さなかったとして、”狂人”として王に処刑されてしまうでしょう」


「えっと、兵士さん。一体何の話をしているの?」


「だからね、王女様。私に。私が、貴女の 罪を被ります。私が、”狂人”になります。そうすれば、そうしなければ、もう私の幻想は、生きる意味は、生涯は、人生は、全部、全部、意味が無くなってしまうんです!」


 女兵士さんが振り上げた刃が、私の首に触れる。血が垂れ、痛みが迸り、顔が苦痛で歪む。これが、この痛みが、ヤコナーンの味わった痛み。苦しくて、辛くて、それで。でも、これで同じなのだ。私もヤコナーンと同じになる。ヤコナーンと同じ痛みを味わい、同じ辛さを味わい、そして同じ場所で死ぬことができる。これは、なんて幸せなことなのだろうか。今日は、なんて良い日なのだろうか。


 さすがに兵士さんへ支給されている槍では、首の骨を断つのが難しかったのだろう。苦戦している彼女の姿を見かねると、もう正常に機能しなくなっている喉と指先で、テーブルの上に肉切り包丁が置かれているのを教えてあげる。すると、どうしたのだろうか。女兵士さんは突然顔を隠してしまったのかと思うと、背中を向けたまま、その場に疼くまってしまう。どうしたのか分からないけど、このままだと首を切られないまま中途半端に死んでしまう。どうにか彼女にやる気を取り戻してもらおうと喋る機能を失った喉でコポコポと言ってみると、その声にやる気を取り戻したのか、肉切り包丁をまた掴み直してくれた。


 そのまま私の首にできた切り口へ、肉切り包丁の刃の部分を当てる。三秒もしない内、骨を断ちて、首が落ちた。その瞬間の痛みを、なんとか意識を保ちながら感じる。ヨハンと同じ世界を見る。そうして、私の首は床へと落ちた。

 微かに残った意識の中、真紅に染まる床が透明の粒で光ったように見えた。



 あの人は、どうしてもダメだった。最後の最期まで、私一人へ感情を向けてくれなかった。ただ一心に感情を向けていたのは、ずっと兄だけだった。でも、だからこそ、私はそんなあの人のことが好きだったのだと思う。

 こんな処刑台の上で、大衆から野次をもらい、仕えるべき王と女王からの侮蔑の瞳を、一心に受けていたとしても。


 あの後、私は自分から二人の首を持って王の元へ歩いた。そうして、はっきりと述べたのだ。


「私が、王女ザラメと我が兄ヤコナーンを殺しました。だから、私を断罪してください」


 その言葉を聞いた王は当然激怒、女王はその事実に耐えきれず、玉座の上で気を失った。私だってそうだ。兄の首を抱いているザラメ王女を見た時、血の気が引いた。どうしてそんな惨いことをしているのに、そんな嬉しそうな表情でいるのか。私と一緒に眠った時よりも、こっそり夜中にホットミルクを持っていってあげた時よりも。今まで見た彼女の中で、最も美しかった。


 あの時の私は、言葉とは裏腹に酷く混乱していた。身体は兵士としての責務を果たすために刃を突き付けていたが、心は強い拒絶反応を示していた。きっと、違う。悪霊が化けた、あるいは私が見ている幻覚だ。私の、はそんな人じゃない。きっと、きっと。

 そう自分に言い聞かせて、なんとか平静を保っていた。しかし、無情にも彼女はいつもの愚かな一面を見せてきた。こんな切羽詰まった状況であるのに、まるでティータイムをする時のような表情を浮かべていた。


『それじゃあ、何が欲しいの?』


 あの時、あの時だ。彼女のペースに巻き込まれた時、私を、私に、彼女が私に感情を向けてくれた瞬間が存在した。やっと、私という人間に感情が向いてくれたと思った。私が彼女の見ている「世界」の中に実在していて、ちゃんと見られていた。だからこそ、怖くなった。もしもここで「何もいらない」「一緒に逃げましょう」と言ったのなら、彼女の世界から永久的に追放され、もう二度と私を認識してくれなくなるのではないか。

 だからこそ、私は言ってしまった。彼女が兄を好きな感情を、死んだ兄の状況を、利用した。その瞬間、私は全ての未来にある光を捨てた。輝かしい未来なんて、もういらない。首を切るその瞬間まで、彼女の世界に私が実在できていたのなら、それだけでいい。そう思った。思うしか、もう私にできることはなかった。

 兄の首を蹴り、意識を逸らし、少しでも私を見てもらえるようにする。演じるのだ、彼女の最期の瞬間に見てもらえる存在として。


 けれど、死んで首となった彼女の瞳は明らかに私を捉えていなかった。その柔らかな表情死に顔は、あの時の、切り落とした兄の首を見ていた視線と同じだった。私は何も果たせないまま、彼女の永遠になることはできなかった。私だけ、私だけが孤独だった。一人世界に残され、光のない現実を、息を吸う価値すらない暗闇を、まだもう少し歩かなければならなかった。


 ギロチンの真下に固定された、私の両手と首。今にも隣にある起動のレバーを、怯えた目をした兵士の同僚が引こうとしている。その兵士に対して、私はにっこりと微笑みかえす。

 もう、どうにもならないのだ。いつだって兄も王女様も私の先へと歩いていく。三人で一緒の未来、なんて思っていたのはただの幻想でしかなかった。現実はただ非情で、私が今まで見ていたものはただの幻想でしかなく、本当は私は最初からずっと一人だったのだ。王女様が”想像豊か”で”愚か”なら、私だって相当に。

 ギロチンが落ちてくる。三秒も経たずに刃は骨を断つと、私の首を落とした。

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