絶望少年の勇気

冬城ひすい@現在毎日更新中

勇気の先にあるもの

「常坂をいじめるな!!!」


正義のヒーローにもダークヒーローにもなれやしない。

ただそれでも、それは僕が初めて口にした正義の言葉だった。



♢♢♢



クラスの隅っこに空気としている僕。

誰も彼もが透明人間のように扱ってくるこの教室で、僕は孤独だった。

それは人と関わることが苦手であることも関係していたし、周囲の空気が”あいつははぶろう”という無言の圧力ができてしまっていたことも関係していると思う。


高校生の僕は入学早々にその身なりから同級生や先輩から目を付けられ、孤立していた。

特によくなかったことはクラスのリーダー格の陣場じんばが僕を最初に空気のように扱うような風潮を作ってしまったことだ。

それ以来、彼に逆らったら自分がやられるかもしれないというある種の圧力の中、多くの同級生が僕を無視する。


苦しい。悔しい。悲しい。

そんな感情は日に日に薄れ、その時を迎えた日にはただの機械に成り下がっていた。

言われたことをこなし、文句を言われないように隅で大人しく過ごすだけの木偶人形。


担任の教師が教壇に立つとお行儀よく、注目が集まる。

これがいじめの対象となっている僕が大人の誰にも気づいてもらえない要因だ。


「今日は転入生を紹介するぞ。――おいで」


衆人環視の中、開け放たれた教室の扉から入ってきたのは目を奪われるような綺麗な女の子だった。

オニキスのように黒いストレートのロングヘアに、見るものを話さない瞳。

手足もすらりと長く、男女問わず歓声が漏れる。


「喜ぶのは分かるが、まずは自己紹介を聞いてくれ。行けるかい?」


こくりとうなずいた少女は黒板に綺麗で緩急のある文字を書き連ねていく。

コトン、と白チョークが置かれるのと同時にクラス一帯を見て淡く微笑む。


「わたしの名前は常坂玲奈ときさかれな。これからよろしくね」


一瞬だけ僕と目が合ったような気がして慌てて視線を逸らす。

空気は空気らしく振る舞わなければ常坂すらもひどい目に合わされるかもしれない。


「じゃあ、常坂は窓際の一番後ろの席だな」


寝たふりを決め込む僕の隣りを差したようだった。

そして上履きと床が摩擦されるときの足音が規則正しく響き、そして。

耳元で静かにつぶやくのだ。


「よろしくね」



♢♢♢



「それでは男女混合のダブルスを行います。誰でもいいので男女のペアを組みましょう」


それは僕にとってもっとも苦痛な時間の一つだった。

いつも組んでくれる人のいない僕は先生と組むことになる。

それを陰で嘲笑っているクラスメイト達を知っている僕にとって、唇をかみしめるほどに苦しかった。


「常坂さん、オレと組もうよ!」

「ちょお前待てって! いくらクラス中心の陣場っつったって譲れない戦いがそこにある!!」


カースト上位の何人かの男子で常坂の奪い合いが始まっていた。

このままだと先生に気づかれ、注意されるのも時間の問題だ。

僕はいつもの通り、壁際によってペアが固定されるのを待っていた。

するとちょいちょい、と肩を叩くものがあった。


「……なに」

「一緒に組んでくれない?」


そこにいたのは柔らかく微笑む常坂玲奈、その人だった。

男子たちは争いに夢中になっていて、常坂がこっちに来ているのに気づいていない。


「……ごめん。僕に構わないで」

「待って! 君、悩んでるでしょ?」


その言葉に足を止めざるを得ない。

でもそれは決して彼女が踏み込んでいい領域ではなかった。


「先生、常坂さんが陣場くんとペアを組みたいそうです」

「そうなんですね。転入生の彼女にとってクラス委員の彼なら最適かもしれませんね。あそこにいますよ」

「まだ話は――」


先生にそっと腕を引かれていく常坂を尻目に僕はワックスで磨かれた床を見るのだった。



♢♢♢



「ね、ご飯食べよう?」

「ごめん、他の人と食べて」


「あ、消しゴム忘れちゃったみたい。貸してくれる?」

「僕も忘れちゃったから」


「一緒に帰らない?」

「……」


毎日毎日、休日以外は必ず一回は話しかけてくるようになってしまった。

僕はそのたびに気のない適当な返事を返していたけれど、その日は少しだけ状況が違った。


「おい、呼び出された理由は分かるよな」

「……うん」


使いつくされたネタのように校舎裏に呼び出された。

その生徒の名前は陣場。

予想通りというよりはもはや必然のような気がしてならない。


「今すぐに常坂との縁を切れ。空気が花にたかってんじゃねえよ。分かったか?」

「分かってるよ。僕は何もしない。これまでも、これからも」

「これまでと何も変わんなかった場合、お前は最悪の結果を見るだろうぜ」


そういうと取り巻きの数人を連れて帰っていく。

陣場は決して暴力を振るわない。

ただし、それは大人しく言うことを聞く姿勢を見せている間だけだ。

もし、反旗を翻そうとすればその後は想像すらしたくない。

僕は静かに正門から帰ろうとした時だった。


「ねえ、待ってよ。どうしてわたしのことを避けるの? そんなにわたしが嫌い?」

「……嫌いだよ。だから関わらないで。お願いだから」


踵を返そうと前を向いた瞬間に袖口を掴まれる。


「本当にそう思ってる人はそんな悲しそうな顔をしないよ。君は何かを隠してる。助けを求めてる。そして、それに心当たりもある。でも君は周りに求めない。どうして?」


それは彼女の洞察力の高さを象徴する発言であるのと同時に、いじめられたことのない人からの反応だった。


助けを求めない理由?

そんなの決まっているじゃないか。

助けを求めないんじゃない、求めたくても求められないんだ。


「わたしが力になるよ」


無責任な言葉のそれ。

信じることはできないけど、振り向いて視界に映った彼女の顔は本気の顔だった。

時が止まったかのように意志の強い瞳を真っ向から覗く。

違う、覗かされている。


その姿に僕は不思議と言葉を口にしていた。

希望は薄い。期待も薄い。

それでもゼロじゃない。


「なら、僕を助けてよ。この……地獄の中から手を取ってよ……!」


ワイシャツの胸元を掻きむしるように握りこむ。

心の叫びがそこにある。


「ふふ、やっと助けを求めてくれた。うん。わたしが君を救って見せるよ」


それは僕だけが見た光の光景だった。



♢♢♢



「おはよ」

「おはよう、常坂」


時は流れて冬を迎えていた。

すっかり衣替えを終えた生徒たちの装いは華やかだ。

マフラーや手袋、中にはニット帽を被っている人もいる。

そんな中で僕は一人じゃなくなっていた。


「今日はね、わたしがアップルパイを焼くんだ。だから、ぜひ君も来てよ」

「いいの? 僕が常坂の家なんかに行って……?」


可愛らしい笑顔で微笑む少女は、うん、と頷いて見せる。


空気として存在していた僕。

その面影はどこにもない。

彼女が示してくれた解決策は、彼女自身が僕の友達になるというものだった。

断っても、陣場のことを話しても、決して折れなかった。

あまつさえ「それでいじめられるなら、本当に君と同じになれるね」と冗談みたいに軽く笑って見せた。


「ずっと……こんな時間が続けばいいのにな」


それは願望であり、それを叶えるものが必ずしも神様だとは限らない。



♢♢♢



「……遅いな、常坂」


ほうっと真っ白な息を吐き出すと、ゆっくりと消えていく。

「少しやることがあるんだ」と言って出て行ったきり、待ち合わせ場所の正門に来ない。

時間は間もなく30分を迎えようとしていた。

そこで何気なく嫌な予感を覚える。

常坂は委員会にも部活にも所属していない。

それならどんなやることがあるというのだ。


「ッ!! 僕はなんて馬鹿なんだ……!!」


そんなこと決まっている。

陣場たちに呼び出されたのだ。

報復をするのなら僕にと決めつけていた自分の思考がおぞましい。

雪の降り始めた高校の敷地内を走る。

日も暮れかけで電灯が点灯し始める。

この角を曲がれば校舎裏だ。


「いやッ!! 放してよ! こんなことしてただじゃ――」

「はは、こいつ何勘違いしてんだ? なあ?」


常坂が反駁する声と共に陣場の声が取り巻きに同意を求めていると分かる。


「これから俺たちがお前に最大の屈辱を与えてやる。それはばっちりカメラで撮っておいてやるからさ、お前は何も言えないんだよ。あーあ、あいつになんか構ってやるから結局はお前が不利益を被る。世知辛いよなあ? お人よしという名の馬鹿ほど損をして、俺みたいに大衆を味方につける奴ほど得をするんだ。ああそうだ、あいつはただ単に目に留まったからちょっかい出してやったんだよ。したら大当たり。黙り込んでただの空気になってくれた。おかげで見せしめができたぜ。俺に逆らったらこうなるっていうな」

「……最っ低。あなたみたいな人は大嫌いよ」

「ははは、面白いな。ますますこれからが楽しみだ」

「んッ!? んんッ!!!!!?」


常坂の上にまたがり、コートを剥ぎ、むき出しになった足に手をかけようとしていた。

僕は正直に言って怖かった。

それでも今がやるべき時だと心が訴えかける。


「常坂をいじめるな!!!」


勇気を振り絞ったその声は思った以上に震えていて。

それでもしっかりと張り上げられたことにほっとした。


「なんだ、お前も来たのか。ならちょうど――」

「貴方達、何をしているの!!」


僕の大声を偶然聞き届けていた先生が駆け寄ってくるのが視界に映りこむ。

そして陣場とその取り巻きは即座に去っていった。


「常坂、大丈夫か!?」

「……うぅ……うぁぁぁあああああああ!! 怖かった!! 怖かったよぉおお!!」


僕の胸に身体を預け、すがるようにしがみつく。

泣き止むまで、気が済むまでそのままでいただろう。

涙でぐずぐずになった、ただそれでも愛らしい顔で言うのだ。


「助けてくれてありがとう。君は、わたしのヒーローだね」


それに対して僕は言うのだ。


「君こそ、僕のヒーローだよ」

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