イオンシネマで捕まえて

 2008年12月30日も夜の11時を回ろうとしている。紛れもない年の瀬に、ナオヤはシネコンから吐き出された。夜のショッピングモールに人の気配はなく、先ほどまでの賑わいが既に懐かしく感じられた。遥か彼方の前方に明かりが見える。あれに見えるは人の営み、スーパーマーケットなのだろう。

 巨大な空母を思わせるショッピングモールの船頭にはスーパー、船尾にはシネコンが配備されていたが、この時間まで営業を続けているのは、そのスーパーとシネコンだけとなっていた。ナオヤの目の前には生まれたての廃墟が長く展開されている。200メートル先のあの明かりの下、おそらく値引きされた惣菜はもうなくなってしまっただろう。特に購買する予定はなかったが、ナオヤの胸には少しばかり残念な気持ちが去来していた。このチャンスを逃したような感覚は、無職ゆえの貧困に由来したものだろう。

 自分以外、誰の姿も見えないショッピングモールのエスカレーターを下る。明日のこの時間なら、いつも以上の普段とは別種の賑わいが見られるのかもしれない。大晦日の日本人のテンションは異常だから。

 とはいえ、大晦日はまだ明日に控えている。レッドクリフPart I。公開から約2ヶ月が経過したこの映画を、こんな時間に観ていたのはナオヤだけだった。


 その日暮らしの綱渡りの中で映画を観る機会は失われていた。久しぶりの映画館への来訪たったが、思いがけずスクリーンはナオヤの貸切となった。慌ただしい年末にひとりぼっちの客席で、ナオヤは映画館の暖房が頼りないことを体で知った。他に観客がいれば、その寒さももう少しマシだったのかもしれないのだが…。とにかく、白い鳩が飛んでエンディングが近づくとナオヤは安堵した。風邪を引いても無職。体調管理に気をつける必要すらないにも関わらず。

 冷えた身体を温めるコーヒーを飲みたかったが、シネコンの隣のタリーズは本日の営業を終えていた。せめて缶コーヒーとナオヤは自販機を探し視線を巡らす。どうやらコカコーラ一択のようだ。

 ジョージアのカフェオレを喉に流し込む。胃が甘い熱を待って体の中から暖を取れる。本来なら缶コーヒーはJTのルーツであるべきなのだ。しかし、HTST製法は表舞台から消えている。既にJTは缶コーヒー事業から撤退していた。時代は移るし、ライフスタイルも変革する。JTの撤退が契機になったのか、ナオヤは缶コーヒーを日常的には飲まなくなった。気がつけば時代は変わっている。自分だけが取り残される形で。何もかも変わったことを、ナオヤは反芻させられる。


 まだ上映を終えていない作品があるらしく、缶コーヒーによる思考を育む時間は僅かに残されているようだ。静まり返ったショッピングモールにはゾンビが似合う。ゾンビが似合う空間でナオヤは自分もゾンビの一員だと気付く。自意識と焦燥を持て余しつつも何も実行に移すことなく、ただただ無力を実感し続ける日常。到底、雌伏とは呼べない無為な日々だ。

 せめてゾンビの中においては快活でありたい。無いものねだりをする自分に冷笑を

ナオヤは突然思い出す。あの市民ホールでの面接からどのくらい月日が過ぎたのだろうか。1年、いや3年は経っただろうか。ずいぶん昔のことのようにも思えるが、その記憶にはつい昨日のことのような手触りもある。それにしてもだ。この研修のことはすっかり忘れていた。よくここまできれいに忘れることができるなんてと感嘆するほどに。

 そして今、ナオヤは感じるはずのないカルダモンの香りを嗅いだ。もちろん蘇るのは嗅覚だけではない。ある人物の名前も同時にだった。

 袁術。字は公路。その名前が新鮮に響くのは、ナオヤの人生で2度目だった。

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