四、


「畳の上で寝るのは、久しぶりだ」

 十畳ほどの座敷に、押入れから出した夜具を下ろす。

 万葉の科白ではないが、屋根のあるところで休めるのは確かに僥倖だ。青畳の触感が懐かしくもうれしい。

「いつもはどこで寝てるの?」

 灯心皿に火をつけ終えた万葉が、興味津々といった顔でこちらを振り向いた。

「たいがいは神社の縁の下か、地蔵堂を臥所に借りる。慈悲深い住職に頼み込んで、寺の世話になることもあるな」

「寂しくない?」

「いや、もう慣れた。おれはこういう生き方が性にあっているらしくてな。ひとつところに留まっておれんのだ」

「ふうん。雲みたいだね」

 言い得て妙だな、と弥雲は笑った。「名の通りにな」

 さてそろそろ夜具に入るか、という段になって、上掛けをめくった弥雲の手がふと止まった。

「……狐には戻らんのか?」

 あからさまに困惑した顔だ。

 間に少し距離をあけ、隣に寝具を敷いていた万葉はきょとんとなる。

「なんで? ふとんで寝るならこの姿のほうがいいじゃない。白状すると、あたし、人の身でいるほうが楽なんだ。ここ最近は麓の里にはいりこんで……っとと」

 慌てて口を押さえ、のぼらせかけた言葉を飲みこむ。弥雲が訝しむより先に、万葉は言を継いだ。

「ひ、昼間足を怪我したのもそのせいなんだ。久しぶりに元の姿に戻ったら、ぜんぜん慣れなくてさ。斜面から滑り落ちちゃってあのざま。弥雲に助けてもらえなかったら、今頃は……」

 万葉はそこで再び言葉を切った。立ち上がって、奥から衝立を運んできた弥雲に、疑問を投げかける。

「何それ?」

 ふとんの間に衝立が置かれ、万葉の視界が遮られる。その向こうでごそごそと寝具に潜りこんだ気配があり、ややあってからようやく弥雲の返答があった。

「おれとて、木石ではないからな」

 その真に意味するところを理解して、人間てのは色々と厄介だね、と呟いた万葉であった。



              五、


 刻は丑三つ――俗に魑魅魍魎の類がもっとも現れやすいとされている――を過ぎたあたりか。

 奇妙な気配を感じ、弥雲はふっとまぶたを開けた。

 部屋の隅に、誰かがいる。そう思って目を凝らしてみると、わだかまる闇の中に丸みを帯びた小柄な姿がぼう、と浮かんだ。こちらに背を向け、袖で顔を隠している――どうやら、泣いているらしい――が、女だということはわかる。

(誰だ……?)

 連れだとは、弥雲は思わなかった。

 身を起こして、寝具の中から這い出す。

「どうされた?」

 背後にそっと忍び寄り、脅かさぬよう囁き声で呼びかける。

 真っ白な小袖に、これまた雪のような打掛を羽織った女の肩が、びくりと震えた。その細身は、今にも消え入りそうなほど儚い印象がある。影が薄い、というのとは違う。まるでからだ全体が透き通っているかのように、存在感が希薄なのだ。

「何を泣いておられる?」

 もう一度問うと、今度は小さく返答があった。

『……寂しいのです』

 顔をこちらに向けぬまま、女は答えた。鈴の音のような、かぼそい返答だった。

『ここにいるのは、わたくしひとり。わたくしはここで、情人の帰りをずっと待っているのです。戦にかりだされ、もう、何年も戻ってこない夫を……』

「今も待っておられるのか?」

 弥雲が問うと、女はかすかに首を上下に振る。

『この屋敷から離れることもできず……待ちつづけ、待ちわびて……』

 か細い声が、喋るうちに熱を帯びてくるようだった。待ちわびて、と呟かれたそれは苦渋に満ち、まるで呪詛のように弥雲には聞こえる。

「なにか、おれにできることはないか?」

 思わず口にしていた。

 このとき、弥雲に下心はなかった。むしろ年老いた母に対するような、どうにかしてこの女人を慰めてやりたい、という純粋な気持ちがあるだけだった。

 助力を願い出る言葉に、女はわずかに肩を揺らす。袖を下ろし、風に揺れる柳のような風情で、ゆら、と立ち上がった。

『では、慈悲を賜りください……』

 望みは何だ? と問う弥雲に女は答えた。

 ――あなたさまのお命を。

 こちらを振り向いた形相は、この世のものとは思えぬ悪鬼。

 痩せ衰えた、骨と皮だけの手をこちらに差し出す。

『身に宿る、魂の活力を』

 寂しさのあまり、鬼となった哀れな女に――



 最初に感じたのは、熱だ。

 懐が異様に熱い。ちりちりと、胸に焦がすような痛みを覚える。

「……くも、弥雲っ!」

 己の名を呼ぶ悲鳴じみた声が、遠く聞こえた。

 激しく揺さぶられるのを感じたが、全身が鉛でもつまっているかのように重い。とにかく反応しようと試みたが、うう、と口からうめきが漏れただけだった。

「早く目を覚ましてよ、とり殺されちゃう!」

 ぱん、と小気味良い音がして、両頬を張られた。痛い。

 痺れるような痛さに耐え兼ね、弥雲ははっと目を覚ました。がばりと一気に跳ね起きる。とたん、弥雲は顔をしかめた。

(何だ、この匂いは)

 腐肉と血を混ぜたような悪臭が周囲に立ち込めている。状況を悟ろうと見回した弥雲は、そのまま言葉を失った。目に飛び込んできた光景に、思考が追いつかなかったのである。

 開け放たれた障子戸。そして敷居の上に、白い着物の女が立っていた。

 その、虚ろな風情。生者ではないと、一目でわかった。

 血の気を失った肌、痩せこけた頬。大きく裂けた口からは鋭い犬歯がのぞき、瞳だけが獲物を狙う獣のようにらんらんと輝いている。骨と皮ばかりになった手には、恐ろしいほど大きな爪もあった。

 異形だが、かつて女であったことがわかる造作だけに、その姿はいっそう凄絶だった。

 ゆら、と全身から青白い陽炎のようなものを立ち上らせており、まるで夢の中で見た鬼の姿そのものだ。

「あれは……」

「鬼になった女のひとだよ」

 すぐそばから返答があった。万葉がすがりつくようにして弥雲の腕を握っている。傍らで、彼が目覚めるまで必死に呼びかけていたのだ。

「昔、ここに棲んでいた女。戦にいった旦那さんを、何年も何十年も待っていたんだけど、……旦那さんを恋い慕う気持ちが押さえられなくて、寂しさのあまり、化生あやかしに魂を売っちゃったの」

 女を見据えたまま、万葉は淡々と語る。なぜそんなことを知っているのか、疑問に思う余裕はなかった。

「女は鬼になった。鬼は、人間の生命を活力にするんだ。無賃宿を餌に、もう旅人が何人も犠牲になってるって、麓の里人たちが言ってた。……この、化け物屋敷で!」

 そのとき、ぶわ、と女の影が膨れ上がり、一息でこちらに飛び迫ってきた。

「危ない!」

 叫びざま、弥雲は万葉の小柄な体を突き飛ばす。己自身は床に身を伏せ、彼らを狙って振るわれた爪を避けた。

 畳の上を転がって女から離れ、弥雲はすぐさま態勢を整える。

 獲物を逃がした鬼が、ゆらりとこちらを向いた。全身に突き刺さるような殺気。というより鬼気か。

 背中に冷たい汗がつたう。手が無意識に左の腰のあたりをさぐろうとして、弥雲はちっと舌打った。そこへ、這うようにして万葉が寄ってくる。

「弥雲、お坊さんらしくお経を唱えるとかできないの!」

「おれはまがいもんなんだ。どうにもできんっ」

 叫び返しながら武器はないかと見回すが、あいにくなにも見つからなかった。たとえここに刀があったとしても、化け物相手では通用するまいが。

「おまえこそ、神通力でなんとかしてくれるんじゃなかったのか!」

 こんな状況下で、互いに責任を押しつけ合う二人。それを好機と見たか、鬼が再び身を浮かび上がらせた。ざわりと髪が、それ自身生きもののように蠢く。まずい、と本能が警告を発すると同時に、娘の身を引き寄せた。

「……万葉!」

 ばあん、と衝撃が障子を吹き飛ばした。壁のような空気のかたまりに体当たりされ、肺が悲鳴を上げる。腕に万葉をかばった弥雲の体が縁側を転がり、そのままどさりと庭に落ちた。

 頭上には夜天が広がっている。地上の騒動など、まるで気にもとめぬかのような静謐な月がこちらを見下ろし、嘲笑うかのようだ。

 かばわれたことで衝撃が少なかった万葉は、急いで腕の中から抜け出した。

「や、やくも……、弥雲っ! しっかりしてっ」

「大丈夫だ……」

 焦って名を呼ぶと、弥雲はうめきながらも身を起こした。幸い骨に別状はないようだが、痛々しい姿だった。衝撃に砕けた木っ端に切られたらしく、数箇所から流血している。少なくとも万葉の目には、大丈夫だと映らなかった。

 傷ついた男の身を支えながら、万葉は背後にちらりと視線を走らせる。

 そこにあったのは、一本の植木。

 夜の深闇の中で、それだけがぼうと浮かび上がっている。禍禍しい赤の光を明滅させながら、どくどくと、まるで脈打つように。

 万葉は顔を上げる。鬼となった女は、屋敷の中からこちらをじっと見つめている。追いつめた獲物をどう料理しようか、思案しているようだった。

「本当はもっと穏やかにしたかったけど……あんたはあたしの恩人に怪我させた。もう容赦しないよ」

 きりりと万葉のまなじりが吊り上がり、口の中で何事かを唱えた。耳慣れぬ音の羅列、しゅといわれるものかも知れない。

 間をおかず、ぼっと椿の花に青い火花が散った。火花は炎となり、瞬く間に燃え広がる。

 驚きに瞠目している弥雲の耳を、ぎゃあ、という甲高い悲鳴がつんざいた。振り返ると、鬼女の姿が青い炎に包まれている。

「どういうことだ……」

 弥雲は呆然としたまま、苦悶の絶叫を上げ、身をよじっている鬼の姿を見た。

「あの女の、ひととしての肉体はもうないんだ。化生となった魂が椿に宿ってるだけ」

 細腕で弥雲を支え、万葉は淡々と答える。

 その証拠に、椿の木は炎を上げているが、灰になってはいない。燃えているのは、椿を依り代とした不浄な魂だ。

「あたしの炎は浄化だよ。土地神さまからわけていただいた力だからね。熱いのは、あんたが犯した罪の熱さだ」

 厳しい声音だった。

 蒼炎に身を焼かれながら、鬼女はふらふらと身体をよろめかせる。顔を押さえ、髪を振り乱し、憎悪を宿したまなざしで、虚空を睨む。その口から、おお、と慟哭が放たれた。冬の野分か、夜半になく獣の咆哮にも似た。

『おまえさま……!』

 慟哭の合間に、女の咽喉から肉声が迸る。身を切るような、血を吐くような叫びだった。

『おまえさま……なぜ戻ってきては下さらぬ……。椿は鬼にまで身を堕とし、おまえさまの帰りを待っているのに……!』

 サビシイ、サビシイと、絶叫が夜気を震わせる。情人を恋焦がれる女の思念が突き刺さるようで、万葉は思わず身をすくませた。知らず、弥雲の袖を強く握りしめる。

「椿だと……? それが、そなたの名か?」

 女が漏らした名が、弥雲の心に引っかかった。庭に植えられた花木。赤い花弁を持つそれと、同じ。

 ――懐が、熱い。

「もしや……!」

 弥雲は突然声をあげ、黒衣の懐をさぐる。

「椿とやら、もしやこれに覚えはないか?」

 女に向けて差し出しながら、弥雲は尋ねた。男の手のひらの上に乗せられているのは、小さな櫛。それ自体が熱を持っているかのように、じんじんと熱い。

 野ざらしの屍が握っていた、あの黄楊の小物だった。

「弥雲?」

 鬼に向かって一足近づく弥雲の動作にぎょっとしながら、万葉は彼が手にする品に目を注ぐ。人間の女が、髪を梳くときに使う道具だ。確か、櫛とかいう。

表面に彫りこまれている意匠。

 そのかたち。――花だ。花の名は、椿。

「峠へ向かう途中で拾った。もはや骨となった死人が握っていたものだ。よく見てくれ」

 鬼女のうつろな目が動き、弥雲を、差し出された櫛を緩慢に眺める。視線が確かに櫛を認めると、女の顔が変わった。

 戸惑った表情がさっとかすめると同時に、青い炎の勢いがふっと衰える。

「覚えがあるのか? ならば聞いてくれ。おまえさんの情人は、近くまで戻っていたぞ。おそらく、ここへ帰るために。だが叶わず、途中で果てたのだ」

 ふら、と女がこちらに近づいた。もはや鬼ではない。怨念と憎悪を捨て、肉を失ったただの幽体だ。

 女の――椿の腕が伸ばされる。半分透き通った、血の通わない手。

「おれとしては想像するしかないが、情人の気持ちも、おそらくおまえさんと同じだったのではないのか?」

 指先が表面の椿の彫りに触れた。撫でるように、そっと。

『……、……』

 ふ、と椿の唇が動く。

 音を伴わず言葉は綴られ、やがて目を閉じた女の姿が闇の中にかき消える。昼のさなかに見た夢のようにあっけなく。幻のように静かに。

 消えゆく刹那、動いた唇は微笑みの形をしていたと、弥雲には思えた。



              六、


 名もなき小さな花が、道の端、陽だまりの中でうつらうつらと揺れている。

 眠気を誘うその動きにつられ、万葉の口から思わずあくびが出た。すると、それまでむっつりと黙り込んでいた弥雲がこちらをじろりと睨んだので、万葉は慌てて口元を押さえ、首をすくめた。

 化け物屋敷で騒動があった、翌朝のことである。

 雲水姿の男と小袖姿の娘は川沿いの道を連れ立って歩いていた。この道を行けば街道に出るはずで、街道に出てしまえば、あとはもう宿場町まで目と鼻の先だ。二人の足取りはゆっくりと緩慢で、決して急ぎ足ではなかった。それというのもここまでの道行みちゆき中、万葉はずっと歩きながらの説明に追われていたからである。

「……話はわかった」

 万葉が話し終えてからこっち、ずっと沈黙を守っていた弥雲がようやく言葉を紡いだ。つね以上に低い声音である。

「つまり。おまえさんは麓の里人があの化け物屋敷に困っていると聞いて、なんとかしようと出向いたはいいが、一人で行くのは恐ろしくておれを巻き込んだ。そういうことなんだな」

 ここまでに万葉が語ったことを、おおまかに反芻してみせる。わざわざ念を押すように言うのは、やはり怒り心頭にきているからに違いない。

「う、うん」

 しっぽを巻いて逃げ出したい気持ちではあったが、万葉はうなずいて肯定を示した。精いっぱい身を縮め、そっと上目遣いに弥雲を窺うと、彼はやはり難しい顔で黙り込んでいる。

 一方の弥雲はというと、己は怒るべきなのかそうでないのか思案している最中であった。

 昨夜、椿の亡霊が消えた後、どういうからくりなのか弥雲には想像もつかなかったのだが、屋敷は見る間に廃屋と成り果てた。二人は心身ともに疲れきっていたこともあって、とりあえず問題を先延ばしにすることに決め、半壊した藁葺き屋根の下で夜を明かしたのだ。

 空がまだ完全に明けきらぬうちに目覚めた弥雲と万葉は、椿の根元に櫛を埋めて女の供養とした。二つの魂が心安らかに眠れるよう祈祷して。

 曙光が山の端を照らし始めたころには出立し、街道に向かう途中で沈黙に耐え切れなくなった万葉がことの次第を暴露――というか自白し、すべて話終えていまに至る、というわけである。

「結局おれは、まんまとかつがれたわけだな」

 ややって、嘆息とともに吐き出された科白は、己に向けた自嘲を多大に含んでいた。

 なんのことはない、道連れにされたのは弥雲のほうであったのだ。

「そ、そうだけど……でも、全部がぜんぶ、騙りってわけじゃないんだよ」

「ほう?」

「助けてくれた弥雲に感謝してるのは本当だし、役に立ちたいと言ったのも、嘘じゃないよ」

 弥雲の当てこすりに対し、万葉は必死で弁明を試みる。

「だが、結果的におれは騙されていたんだからなあ」

「……うっ」

「怪我もしたしなあ」

「ううっ」

 弁解の余地もなく項垂れる万葉。

 ちなみに、昨夜弥雲が負った傷は万葉の〈治癒〉の力で一応の完治をみている。便利な力だな、と感心するばかりの弥雲に対し、万葉はひたすら恐縮するしかなかった。

 うつむく姿に、もう一押ししてやろうか、と意地の悪い考えが弥雲の脳裏を掠める。が結局、鷹揚にぽんと万葉の頭をたたき、怒っていないことを示してやった。

「まあ、ひとつ貸し、ということにしておくか」

 うつむいていた万葉は、驚いて彼を仰ぎ見た。弥雲の口唇が笑っているのを見、娘の表情がみるみるうちに喜色に輝く。

「許してくれるの!」

「許すも許さんもない。狐はひとを化かすもんだからな。知っていて引っかかったおれが莫迦なんだ」

「弥雲は莫迦じゃないよ!」

 嬉しげに断言し、万葉は跳ねるような足取りで弥雲を追い越した。



 川はとうとうと流れ、ときおり水面に銀のうろこを反射している。

 水気のそばの、心地よい涼やかな風を身に受けながら、万葉は大きく息を吸い込む。新鮮な空気に肺を満たし、満足げな顔で連れの男を振り向いた。

「ねえ。でも、すごい偶然だったよね。弥雲があの櫛を持ってたなんて」

 先ほどまで暗い顔をしていた娘がもう明るく笑っていることに苦笑しながら、弥雲は答えてやった。

「いや、本当のところはどうかわからん」

 万葉はきょとんとした。

「あの野ざらしが本当にあの女人の夫であったかどうか、おれにも分からん。推量でしかないのだからな。もしかすると、あの屍と鬼は何の縁もなかったのかもしれん」

「どういうこと?」

「たまたまおれが武者の屍を見つけた。たまたま屍が櫛を握っていた。たまたまその櫛に椿の彫り物が施されていた。おれたちを襲った鬼女がたまたま椿という名であった……、それだけのことかもしれん、ということだ」

「……なにそれ」

 万葉は眉をひそめ、得心がいかない様子だ。無理もない。

「だが、あの女人は納得して消えていった。そのことが大事なのではないか?」

「よく、わかんない」

 弥雲は笑みを浮かべる。

えにし、というやつだ」

 己も、屍の武者も、あの鬼の女性も、奇縁に導かれてあの場に至った。そう考えれば、狐に化かされたことにも腹は立たない。

「ああ、それならなんとなくわかるよ」

 ようやく理解が追いつき、万葉はうん、と首肯した。

「縁、かあ。悪くないね」

「そうだな。悪くない」

 万葉はくすくす笑って、その語感を確かめるように何度も縁、と口にする。

「じゃあ、あたし達が出会ったのも、きっと縁だね」

「ふむ」

「あたしが弥雲についていくのも縁」

 うっ、と詰まった。

「……やはり、ついてくるのか?」

 やや渋い顔の弥雲に、万葉は当然、ときっぱり言い切った。

「まだ恩返ししてないもん。それどころか恩が増えちゃったしね」

「土地神どのの命は良いのか?」

「大丈夫っ。ようはひとに尽くすのがあたしの課題だから。旅の先々で出会った人間に善いことをすればいいんだよ。弥雲の手助けもできて、一石二鳥だし」

 気安いことである。化け狐の手助けなど、よく考えるとぞっとしないが。

 長くなるであろう旅路に、奇妙な道連れができるのも、そう悪くないだろう。

「袖振り合うも多生の、ってね」

 と、万葉はなかなか狐らしからぬ言葉を口にした。

 目下のところ、万葉自身にも謎だったのだ。なぜ、これほどまで弥雲についていきたいと思うのか。

ただ、離れがたかったのだ、この男と。

「出会うのも縁、ともに旅するのも縁なら、行きつく先も縁だね」

 どういうことだ、と首をひねる弥雲に会心の笑みを贈って、万葉はこう締めくくった。

「くされ縁、ってやつさ」



 天かける雲を仰ぎながら、それだけは勘弁してくれ、とうなった男の声は川のせせらぎの中に消え。

 目前に広がる道は、果てもなく。地熱を集めた風が、連れ立つ旅人のあいだを通って高みへと昇っていく。

 路傍で身を揺らす花は、それもまた良かろう、と笑ったようだった。




(終)






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空に浮雲、花つばき 朝羽 @asaba202109

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