届けてくれた、その人は――。 ☆KAC20228☆

彩霞

届けてくれた、その人は――。

奈都なつ! いつまで寝ているの! 早く起きなさい!」

 階段下から、母の大きな声が聞こえた。どちらかというと叫び声に近い。

 奈都子は頭まで被っていた布団から手だけ出すと、手探りで目覚まし時計を探す。ようやくそれを手に取り自分の顔に近づけると、時計のてっぺんをポチリと押した。こうすることで液晶画面が光り、暗闇の中でも時間を確認することができる。

「えー……いま何時――」

 奈都子は閉じようとする瞼を何とか開き、液晶に映る時間を見た。表示は「7:15」である。

 彼女は1秒の間にその意味を理解すると、勢いよく布団から飛び出した。

「……やばっ!」

 高校へ向かうには、電車に乗る必要がある。そして7時40分に最寄り駅へ到着する車両に乗らなければ、1コマ目の授業に間に合わない。

(えーっと……逆算して考えると……)

 家から最寄り駅まで、全力で自転車を漕いだとしても10分はかかる。そうなると、何が何でも7時30分までに家を出なければ遅刻してしまう。

「急がなくちゃ! 急がなくちゃ!」

 奈都子はそんなことを唱えながら、顔を洗い、歯を磨き、長い髪を適当に結んで制服を着て、リュックを手に取る。そして大きい足音を立てながら階段を降り、そのまま玄関へ直行した。

「朝ご飯は?」

 母が足音に気づいて玄関に顔を出す。だが奈都子はそちらを向く余裕すらない。あと1分で7時30分になってしまう。

「ごめん! 無理! 間に合わない!」

 奈都子はシューズを履くと、玄関を飛び出した。すぐさま傍に置いてあった自転車の鍵を開け、助走をつけて自転車に跨ると、立ち漕ぎで駅まで向かうのだった。



「全く、あの子は……」

 娘を送り出した母は、疲れたように椅子に座る。

 毎日充実した日々を送っているようだが、起きる時間がどんどん遅くなっている。高校生活が楽しいのは何よりだが、朝に時間がないのは、母親として何とか改善させなくてはならないと思った。

 すると、奈都子の弟であるりょうが「母さん」と呼んだ。

「何?」

「ねーちゃん、弁当忘れてね?」

 母は奈都子がいつも座っている席を見た。そこには用意した弁当が入ったミニトートに入ったお弁当がちょこんと置き去りにされていた。

「――っ!」

 彼女は急いで、それを持って玄関を出た。


 ――弁当を持たずに出て来たことに途中で気づいて、引き返してきていないだろうか。


 ほんのわずかな期待を胸に、娘が通った方の道を眺めたが、戻ってくる気配はまるでない。

「あの子、お昼どうするんだろ……」

 高校なので購買もあるし、先生に事情を話せば近くのコンビニでお昼を買いに行くことも可能だろう。だがお小遣いの「節約」のために弁当を作っていたというのに、これでは本末転倒である。

 たかがお弁当のために届けるのも面倒だと、諦めかけたそのときだった。彼女の背に声を掛けた者がいた。

「おばさん、どうかした?」



「奈都、どうしたの?」

 登校時間にはちゃんと間に合った奈都子だったが、席に着いたあと何故かどんよりとした空気をまとっているので、友人たちは心配していた。

「お弁当……忘れた」

「なーんだ、そんなことか。購買で買ってくりゃいいじゃん」

 智子があっさりとした口調で言った。

「そうなんだけど……。でも、お昼になるとあそこ凄い争奪戦になるでしょ? 買える気がしない……」

「そのときは先生に許可取ってコンビニで買ってくるしかなくない?」

 千佳がアドバイスをする。

「そうなんだけど……」

 もちろん、それはそうなのだ。

 しかし母が用意してくれたお弁当を持ってくれさえすれば、こんなことを悩まずに済んだし、お小遣いからお金を使うこともなくて済んだのだ。

 奈都子は早起きできなかったことを後悔した。折角授業に間に合っても、忘れ物をしてしまったら、それが気になって集中できない。

 そのときである。スマホの通知に、二件のメッセージが入っていた。

 一件は母。もう一件は、近所に住む幼馴染からだった。


 ――律くんに、お弁当の配達を頼みました。ちゃんとお礼言ってね!


 ――おはよう。おばさんから聞いたかな。なっちゃんがお弁当忘れたって言うから、今から届けに行くね。授業始まる前に届けられると思うから、着いたらまた連絡する。


「……」

 奈都子は思わず、後者のメッセージを二度見した。

「どうした?」

 奈都子の先ほどの暗い表情が一変し、驚いた顔をしたので、千佳は不思議そうに尋ねた。

「お弁当……届けてもらえることになった」

「え~! よかったじゃん」

「誰? お母さん?」

「それは……」

 そのとき、スマホから新しいメッセージが届いた音が鳴った。


 ――着いた。学校の前にいる。出られる?


「……ちょっと、下に行ってくる!」

「えっ⁉」

「奈都子⁉」

 後ろで智子と千佳が声を掛けたが、奈都子は振り返ることなく急いで階段を降る。昇降口まで来ると、外履きに履き替え校門に向かって走った。

 するとそこには、自転車に跨ってスマホの画面を見る、幼馴染の姿があった。

「り、律くん!」

 声を掛けると幼馴染は顔を上げて、にこっと笑う。

「お、来た来た」

 奈都子は律の傍まで来ると、息を整えた。今日は全力で走ってばかりである。

 彼女の息が整った頃、律は弁当が入っているミニトートバックを渡した。

「ほい、お弁当」

「……ありがとう」

「寝坊して忘れたんだって?」

「うっ……」

 奈都子は顔を赤らめた。

(お母さん、何でそんな余計なこと……!)

「そうです……」

 小さくなって頷くと、律は笑った。

「そっか、そっか! ぎりぎりまで寝ていたい気持ち、よく分かるよ」

 恥ずかしいことだと思ったのに、律が自分も同じだと言ってくれると、それが和らぐような気がした。皆、似たような思いを持っていたことがあるのだと。

「でも、どうして? というか、どうやって間に合わせたの?」

「おばさんが、なっちゃんの弁当持って玄関先に出てたところに偶然居合わせたんだよ。おばさんは弁当持って途方に暮れてて、だったら俺が持って行くよって言ったんだ。間に合ったのは、途中まで姉ちゃんに自転車ごと車に乗っけてもらったから」

「お姉さんまで巻き込んで……ごめんなさい。大変だったでしょう?」

「ううん、別に。俺もこれから授業もあるし、ついで。姉ちゃんもなっちゃんのためなら良いって言ってくれたんだ。いつもなら、俺を乗せて学校に連れて行ってなんてくれないのにな」

「授業って、大学だよね?」

「うん」

 奈都子は俯いて、ぎゅっとミニトートを抱きしめた。

「……ホント、ありがとう。助かった」

 すると律は、彼女の頭をぽんぽんと軽く叩く。

 ぱっと顔を上げると、彼は笑って「それならよかった」と言った。

「じゃあ、行くな。勉強がんばれよ!」

 律はそういうと颯爽と自転車を漕いで、去っていった。



 奈都子はぼんやりと、幼馴染が行ってしまった方を眺めていたが、はっと気づいて振り向くと、そこにはにたりと笑った智子と千佳の姿があった。

「あれ⁉ ど、どうしたの⁉」

「どーしたのじゃないよ、奈都子。ねぇ、今のが幼馴染?」

「そ、そうだけど……。もしかして聞いてたの?」

「いや、離れてたからあんまり聞こえなかった。でも、じっと見てた。頭ぽんぽんって撫でられてたね」

 智子にそう言われると、奈都子は顔を赤くした。

「奈都子、なんかかわいい……」

「もしかして……」

「違うって!」 

「ふーん……」

 智子と千佳はニヤニヤして笑っている。

「それよりさ、あの幼馴染の人、格好良くなかった?」

 千佳が聞くと、智子が大きく頷いた。

「うん、格好良かった。背も高いし、モデルさんみたい。しかもなんか爽やかだった!」

「忘れたお弁当を届けてくれるとか、ヒーローだよね!」

「ねぇ、名前なんて言うの?」

「いつから幼馴染なの?」

「近所に住んでるの?」

「いくつ歳離れているの?」

 矢継ぎ早に来る質問に、奈都子は答えず、友人たちの背を押して後者へと向かう。そろそろチャイムが鳴る時間だ。

「い、いいから! ほら! 授業始まっちゃう!」

「奈都子~教えなよ~!」

「あとで! あとで教えるから! 早くしないと授業始まっちゃう!」


 それはあなたが届けてくれた特別なお弁当。

 幼馴染に恋に落ちるまで、あともう少し。


(完)

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