ただひと時の安息を

和泉鷹央

第1話

「おやすみなさい戦士たち、短い安息を」


 足元に目を落とせば、灰色の雲海を望める高山の世界。

  黒々とした岩肌は断崖絶壁を成し、その上層に薄っすらと白く冷たい雪を頂いているそんな高山地帯。

 天に目をやれば透明度の高い湖の底をひっくり返したような、蒼穹だけが視界を覆い、肌を刺すような冷たい冷気が束になって高波みたいに押し寄せてぶつかってくる生きる存在には優しくない世界。

 大人数人が横たわって寝そべることのできる程度のスペース。

 岩肌に突き出ているような崖の一部ではなく、断崖の一部を緻密な絵画のように変貌させた石の建築物の入り口。

 その片隅に魔族を阻み、寒さを阻み、暖を得ることが出来、そして不意の危険からも身を守れるようなそんな結界を張り、いっときの避難所は完成した。

 わたしはその門番であり、円形の空間を支える柱であり、仲間の癒しを司るそんな役目を担っている。


 常に死と隣り合わせで生きていかなければならないそこで彼らは眠りにつく。それでも気を抜けば永眠となりかねない状況で、彼らに長時間の安息など与えてはやれない。

 ここは魔王の住まいし城だった土地。闇が跳梁跋扈し、人や生物の存在が命をつむごうとすることを阻んできた場所。

 そんな生きとし生ける存在の対極に位置した魔族を、人類は淘汰してしまった。この世界、地上で人類が知りうる限りのありとあらゆる土地から彼らを死滅させたのが、ほんの数刻前。

 わたしの目の前には命を賭して種の存続を守り抜いた勇者たちが横たわっている。

 この戦争は正解だったのか……それとも背後の大地や壁を彩る紫色のそれは、気象の変動が激しいこの土地に永遠に影を落とし、単なる嵐や雪や雨などでは洗い流されないような雰囲気すら漂わせている。


 魔族たちが肉塊となるか、わたしたちが数体の無言の死体を晒すかの狭い戦いの小さな争いが二種族の将来を左右するなんて、後世の誰も思わないだろう。

 むしろ、歴史からは抹消されるかもしれない血生臭い事実を誰が好き好んで継承するだろうか。

 あるとすれば国の権力者や魔族を邪悪な存在として認定し迫害を正当化してきた神殿関係者だろうし、むしろ、わたしたちが戻った時、人類世界はこの結果をどう扱うのだろう。


 英雄は戦犯となり、数万、数十万の大軍をもってしても打ち破れなかった魔王をたった数人で撃破したこの偉業の原動力は、世界にとって脅威となるだろうか。

 与えられるのは栄誉や名声とは真反対の冷遇? それならまだいいかもしれない。

 今度は人類種を相手どったわたしたち勇者一行の生存戦争かもしれない。


「せめて……どこか別の世界に行ければ。いえ、魔族が棲み処としたこの場所で生きていければ。それがわたしたちの幸せになるかもしれない」


 出発したあの場所、あの国、あの土地への望郷の念と、家族や友人・知人たちへのなつかしさと……人類が魔族に対して行った冷酷さがわたしの心の中で対立して薄ら暗い鉛のような感情はさらに重さを増していく。

 だからせめて今だけは。

 戦いから解放されたこの結界の中だけは。

 ここで眠る彼らにだけは。ほんの数時間だけでもいい。

 神よ、安息を与えたまえ。

 わたしは天空を仰ぎ見ながら、そう願うのだった。

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ただひと時の安息を 和泉鷹央 @merouitadori

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