ビンビンビンゴ

猿川西瓜

お題 私だけのヒーロー

 僕は、山に逃げ込むかどうかの瀬戸際にいた。

 東の山から夜の闇が広がっていく。西の山の端は、夕陽が赤い凹凸を描いている。

 もうすぐ桜の季節だ。生き物が眠りから目覚め始める。それは逆に、僕にとっては山に逃げ込むことを難しくする。

 夜中に山へ逃げ込んだりするのは、山の獣の餌食になるか、傷を負い病を起こして死ぬか、崖から落ちて誰も助けにこないまま餓死するか、夜中に蠢く虫たちに襲われ一睡も出来ず発狂してしまうかのどれかを意味する。


 空き家の縁側の下に隠れながら、僕は息をひそめて、じっと人の気配のなくなる時を待った。

 まさかこの村が、『』を行う伝説の村だっただなんて。

 噂では聞いていたけれど、まさか本当にあったなんてという驚きと、自身がその『貫通の儀』の対象に選ばれてしまったことに、僕は激しく動揺していた。


『貫通の儀』とは、村の外から来た若い男の尻の穴に、村長がイチモツを突っ込むことによって男を清め、入村を認める儀式のことだ。

 村長は齢こそ重ねているものの、僕の腕っ節ではとうてい敵わぬほど筋骨隆々としていた。あっという間に組み伏せられてしまうだろう。

 あの時出されていたお茶を飲んでいたら終わっていた。きっとしびれ薬か何かが入っていただろう。偶然、持ってきていたペットボトルのお茶を飲んだから、難をまぬがれたのだ。


 村に到着して、車から降りると、村長一行がいきなり歓迎にやってきて、広い屋敷に案内されたはいいものの、「では『貫通の儀』の準備をしますゆえ」と、大広間に枕が二つ置かれた布団がぽつんと敷かれた部屋に通された時は足がすくんだ。

 トイレに行くことを告げると、なぜかみたいな顔をされてイチジク浣腸を手渡される始末。

「使ったらトイレポットにね」と初老の女性に言われた。その親切さには恐縮だが、僕は素早く靴を確保し、いちじく浣腸を捨てて、トイレの窓から脱出した。


 夜を迎える。街灯は少なく、足許がふわふわする。誰かの庭なのか、それともあぜ道なのか、夢中で走った。獣害対策のフェンスや罠に引っかからなかったのは奇跡といっていい。山の横腹に抱きつくように、急な坂を駆け上がった。藪と藪のすき間を縫って進み、坂を登る。5分ほど、進み続けるとかなり息が上がってくる。けもの道に近いが、どうにか人の歩いた感じのあるところにぶつかったのでそこを辿る。しかし、もうほとんど真っ暗になってきた。村の管轄外で、どこか休める広場に辿り着ければいいが、スマホを入れたカバンは屋敷に置きっぱなしだ。カバンまで回収できる余裕がなかったことを悔いた。


 時間的に4時か5時。だが、一寸先は闇とも思える暗さだ。山の暗さは、理不尽さを伴っている。必然的に速く歩くことをやめて、安全に進むことが最優先となる。幸いにも月や星の明かりがあることが、これほど頼もしいことだとは今まで思わなかった。


 あたりがすっかり闇に包まれ、もうこれ以上歩けないと思ったその時、小さな神社が目の前にあった。うち捨てられたようなその神社は、傾いた鳥居と簡素な社殿があるだけだった。賽銭箱が転がっていて、ほとんど人の手が入っていない。

 僕は神頼みというよりは、ごく自然な気持ちで、賽銭箱をもとの位置においた。落ち葉にまみれた箒があったので、拾って鳥居のまわりの枝や葉を取り除いた。それから、賽銭箱の中に、ポケットの中にたまたまあった小銭を投げ入れた。途端に、一気に身体の疲れがやってきて、僕は神社の小さな石の段に座らせてもらうことにした。


 ……。いつの間にか眠っていたのか、急な寒気を感じて、目が覚めた。

 目の前に、発光する全裸の男が立っていた。


 長身で、見とれるほどのたくましい腹筋、なぞりたくなる腰骨、そして綺麗なイチモツがぷらりと下がっていた。僕はごくりと唾を飲み込んだ。

 全裸の男は目鼻立ちの美しい品格ある顔をしていた。何が起こったのかわからず、ぼんやりと男を眺めていると、

「ビンゴ」

 と男は言って、白い八重歯を夜目にもきらりと光らせた。


「誰かがわたしの実家を綺麗に掃除してくれて、しかも最後はいつ入れられたのかもわからないお賽銭まで放り込んでくれて。どんな人間だろうと思って、現れてみたら、へぇ」

 男はずいっと顔を近付けてきて、僕のあごを持ち上げた。

「君、この村のものじゃないね」

 僕は思わず顔を赤らめて俯いた。


 僕は彼の輝く肢体をまともに見ることができず、地面を見つめながら、事情を話した。

 車で旅行するのが好きで、偶然この村にたどり着いたこと。屋敷に招かれて、荷物は置いてきたこと。『貫通の儀』で自分の貞操を守るために、命からがら逃げ出してきたこと。

「まだやってるんだ、あの儀式。いや、一時期中止されてたんだが……たぶん、今の村長がなんだろうね」

 彼は座り込んだ僕に手を伸ばし、立ち上がらせてくれた。僕は思わず大きく息を吸った。とてもいい匂いがしたからだ。

「でも、ここの村人を舐めちゃいけないよ。村長命令は絶対だから、地の果てまで追いかけてくるよ。一晩越える前に、君は貫通の儀で村長に串刺しにされるのは間違いあるまい」

 彼は楽しそうに微笑んだ。僕は呆けたように彼の姿を見ていたが、なんとか我に返って「いやいやいや、僕はいやですよ。そんな、あんな筋肉じいさんに。自分の穴に入れるものは、自分で決めたいんです」

 真っ直ぐ、僕は彼の目を見て話した。


「ビンゴゥ」


 さっきよりとてもいい発音で彼は言った。

 さっきから、ビンゴと言われるたびに、何か心の奥底を貫かれる感じがした。口から尻にかけて、ビンゴが通り抜けていくような。「ああうっ」と僕は言われるたびに唸ってしまう。

「じゃ、三つの提案をしよう。このうち、君がどれを選ぶか。それは自由だ。わかった?」


 彼はあいかわらず一糸まとわないまま、その場からふわりと浮き上がり、鳥居に着地した。今にも倒れそうな鳥居なのに、まるで羽毛でも乗ったかのように動じない。

「まず一つ目。君を白鳥にして逃してやる。どうかな? その代償として、鳥から人間に戻れるのは百年後だ。

 二つ。耳なし芳一という話を知っているよね。私の呪文を全身に描き、特別な演出をほどこすことで村長の意思をくじく。これは君の演技力が試される。大昔、この術式によって貫通の儀から逃れた男がいたとかいないとか……。

 三つ。いきなりで悪いが、私と夫婦めおとになっていただこう。君は私に対してまんざらでもなさそうだし、ようこそ、神々の国へ。現世もいいけれども、我々の世界も悪くないよ。どうかな?」


 僕は彼の歌のような言葉の話し方に聞き惚れていた。

「ご、ごめんなさい。もう一回言ってもらっていいですか……」

 おずおずと言うと、彼は肩をすくめて、「ま、三択だよ。一つは、倭建命エンドだね。白鳥となって飛び去って行く。一つは現実生還エンド。最後の一つは私と一緒に高天原エンド。魅力的だろう?」と簡潔に説明した。

 まず一つ目はない。僕が鳥になったところで、両親や友達が悲しむだけだろうし、みんなにやっぱり会いたい。最後の高天原は……僕はしばらく考えたが、首を振った。彼の……いや、神の嫁になるだなんて、こんなに光栄なことはないだろう。それに彼はとても素敵な人だ。「ビンゴ」と言われながら、日々を過ごせるのならば、僕はどんなしがらみも捨て去って、彼の胸に飛び込むだろう。

 しかし……いくら魅力的な神様であれ、その場ですぐに出会って夫婦になってしまうのは、あまりに拙速ではないだろうか。そんな尻の軽い男ではないのだ。

「僕は……現実生還エンドを選びます。そのためにはなんだってします」

 今度は聞こえないくらいの小声かつ早口で「ビンゴ」と言った。夫婦になれなかったことに「おもしれー男」とでも彼は思ったのかも知れない。僕はまたもビクンと貫かれる感覚に襲われた。


 神である彼の思いついた方策は、人間としての僕との協力によって成り立つものだった。

 僕はふんどし一丁となり、屋敷の前までゾンビのようにふらふらと歩かねばならなかった。

 そして全身に、古来より伝わる卑猥な言葉の数々を、夜に発光する不思議な染料でもって描かれた。身体中をけがらわしくされたら、さらに魚の浮き袋をふんどしの腰の紐部分からぶらさげて歩かされた。

 魚の浮き袋は、古代ではコンドーム代わりに使用されていたこともあるという。それをふんどしにたくさんぶら下げることで、であることを演出する。さらに体中のいやらしい落書きによって、これから襲い来る男の心を打ち砕くのだ。


 筋骨隆々の長老が現れ、僕に向かって「貫通ーーーーッッ!!」とカエルのように飛びかかってきた。

 が、僕のあられもない姿を見て、「あひぃー!」と絶叫し、白目を剥き、泡を吹いて倒れた。いわゆる『呪い返し』というものだろうか。長老の肉体はたちまち痩せ細り、干物のように成り果てた。

 『貫通の儀』は中止となり、その後、村の悪習にも終止符が打たれたという。


 後日、僕は何度もその村を訪れ、山に入り懸命にあの神社を探した。村人にも聞いたが、誰一人そのような神社が山の中にあることは知らないという。ただ、昔その山にいた神様を勧請して祀ったという、都市部にある大きな神社のことを教えて貰った。

 その都会の神社に僕は毎日通い詰め、清掃をし、それから賽銭箱に魚の浮き袋をひとつ引っかけて、仕事に出かけるのだった。

 いつか、彼に会えることを夢見て。


 気が付けば、数ヶ月過ぎた。喧しい蝉の声の中、深々と二礼二拍手一礼をして、いつも通り、その場を僕は立ち去ろうとした。

 ふと、横を見ると、賽銭箱の魚の浮き袋を手に取る、しなやかな白い指先があった。夏日よりまぶしいほど輝く肌をしていた。

 指先の主からは、とても、いい匂いがした。

 ハッとして僕は顔を上げる。待ちに待ったあの言葉を聞けると思って。


「ビンゴ」




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