弥五郎どんの話
日南田 ウヲ
第1話 弥五郎どんの話
「弥五郎どんの話」
大昔、日向国(ひむかのくに)の海幸の都城を囲む様に流れる川のことを里人は『大根川(でぇこんがわ)』と言っていました。その謂れは夏になると日向国(ひむかのくに)は陽が厳しく、その為必ずこの川の水は干上がり、大根を洗うための僅かな水しか流れないことから、そう謂われていました。
そしてその頃はこの稲穂実る豊かな里や田も今の様ではなく、僅かに稲穂が実るような非常に痩せた土地でした。
この国を治めるべき領主である島津も伊東も、自分の領地争いばかりに夢中で、まったくこの川の干上がりには無関心だった為、里人は自ら夏になると深い山を押し分けて、汗だくになりながら山深くの岩清水が湧き出るところまで水を汲みに行かなければなりませんでした。
それは里人にとってとても大変な山仕事になりました。
いつの頃からでしょうか、その清水が湧き出る側の洞窟に身の丈大人三人を超えるぐらいの大きな赤ら顔で髷を大きく荒縄で結った若い隼人が一人住んでいました。
その巨躯の隼人を人々は「弥五郎どん」と言いました。
里人もいつ頃からそこに巨躯の隼人が住んでいるのかは知りません。
しかしそんなことは里人にとってはどうでもよかったのかもしれません。
弥五郎どんがいつごろかそこに住んでいるのかわかりませんが、弥五郎どんは遠くから桶を担いでやって来る里人が石清水を汲んで里へ戻る時は水をたっぷり含んだ幾つもの桶を肩や頭に軽々と担いで里迄運んでくれたのです。
それだけではなく里に下りる途中で大猪の群れに遭えば、追い払ってくれたり、時には弓矢で狩った猪の肉をくれたりと里人を大事にしてくれたので、里人は領主侍の島津や伊東よりも弥五郎どんを大事にし、里に下りてくるときは必ず優しくもてなし、また山に変える時は僅かばかり米を持たせて帰らせました。
そんな日向国(ひむかのくに)の厳しい夏の日に一人の僧が現れました。その僧は都では名の有る密教僧阿闍梨で大根川(でぇこんがわ)の干上がりの噂を肥後の国で聞き、態々やって来たのでした。
僧がやって来ると里人は皆集まり、川の地相を呪う為に川側まで歩いていく僧の後をぞろぞろとついて行きました。僧は川浅に素足を入れて暫く真言を唱えると、杖で川底を突いて振り向き、里人に言いました。
「今、卑僧が水神から災いをもたらしている所以の御言(みこと)を賜ったが、尊神の御心の内ゆえ全てを語る事は出来ぬ。しかし、夏場にこの川が干上がるのはこの地を護る水神が怒って仕業しているからであって、川を干上がらせないためにはその水神を鎮め給う必要がある」
里人は僧の言葉を聞き、大変驚きました。なんせ、誰も水神を怒らせるようなことなんぞしていないからです。それで困った里人は僧に聞きました。
「何故、水神様はお怒りなのでしょうか?」
僧は杖を叩いて、指を地に川にさす。
「水神曰く、遥かな神代の頃に水神の娘がこの地で穢され、それがために長きにわたりこの地に災いをもたらしているとのことだ」
それを聞いて益々里人は驚きました。まさかこの大根川(でぇこんがわ)でそんなことがあったとは誰も知らなかったのです。それは里の長老たちの口伝にも残っていないことでした。
「どうすれば良いのでしょうか?」
里人のひとりが僧に聞くと、僧は「えぃ!」と気合の声を発して、真言呪法の印を切って言いました。
「水神は娘の穢れを清らかにする代償として人身御供を望んでいる、誰かこの川に沈んで贄になるものは居ないか?もし怒りが鎮まればこの地は日向国(ひむかのくに)一の稲穂豊かな地となり、それは遥か伊勢の地に鎮座する御神(おんみかみ)も羨むほどになるだろうと水神は里人に契しておられる」
しかしながら里人の誰も首を振りません。それもその筈です。突然、謂れも無き事を言われて、いくら水神様がお怒りになっていられると言っても、誰も御供になるようなそんな勇気はありませんでした。
僧はそんな里人の表情を見て肩をやや落としながら言いました。
「うむ、皆々の気持ちも良く分かる。それが出来ぬのも致し方ないことだ。しかしながら天の気流を見るや、やがてこの地に大きな嵐が来よう。その時に卑僧が願うのは、この里が水神の「永の怒り」である大きな渦に呑み込まれぬことだ」
僧はその言葉を残すと火の国肥後へと向かってゆきました。
その僧が去って直ぐの事でした。
空が突如曇り出し、やがて低い雲が空一面を覆い始めました。するとどうでしょう、突如大きな雨粒が降り出し、やがて風がごうとうとうねり出し、空から雷が轟音と共に鳴り響きました。
まさに大嵐です。
里は肥後の国へ去った僧が言ったように、天が突如割れた様に降り注ぐ雨と嵐に襲われたのでした。
それだけではありません。見ればあの干上がっていた大根川(でぇこんがわ)の水かさは段々と増え、黒々と龍の波打つ背鰭のように波打ち、遂に里と川にある堤を越えて今にも小さな里に濁流が溢れようとしていました。
堤を越えて荒れ狂う濁流が里に流れこんできたら、龍が暴れるかのように蜷局を巻いて、一瞬にして里は水底に消えてしまうでしょう。
これこそがあの高僧が言った水神の『永の怒り』に違いありません。余りの突然の天変気象の変わり様に里人は慌てて着の身着のまま、人残らず近くの山へと逃げ込みました。
山に逃げた里人はこの光景に驚きながらも、泣きながら手を合わせて念仏を唱え、里が無事でいるのを祈り続けていましたが遂にそれが実らず、堤の一つが穴を大きく開けて壊れてしまいました。
どばぁああん!!
激しい音がして濁流が里へと流れ込んできました。里人の声が山中で阿鼻叫喚のように響きます。
仏も神も無い、まるでこの世の地獄を見ていると誰もが思ったその時でした。
びゅうぅうん!!
なんと大きな岩が飛んできて壊れた堤の穴に落ちて濁流を塞いだのです。それも一つだけではありませんでした。
びゅうぅうんん、びゅうぅうん!!
それはいくつもいくつも空から飛んできました。
里人は突如空を飛んできた岩に驚いて、岩が飛んできた方角を見ました。
するとそこにあの『弥五郎どん』が大きな岩を手にもって立ちながら顔を満面赤くして大岩を次々と飛ばしているではないですか。
実は弥五郎どんは都の密教僧阿闍梨が来ることを知り、里に向かう途中にこの大嵐に遭遇したのでした。
そして心優しい弥五郎どんは、大根川(でぇこんがわ)の変わり様を見て、溢れる濁流で里が水没しそうになるの今こうして大岩を投げながら、堤が壊れるのを防ごうとしているのです。
それだけではありません。
他の場所の堤が大きく壊れるのを見るや、弥五郎どんは一目散に堤を走り、濁流の中へ長躰を入れて寝そべるように横倒しになりました。壊れた堤は丁度弥五郎どんの身の丈ほどでしたので大根川(でぇこんがわ)の水が入り込まないようにしようと流れを変えたのです。
里人は弥五郎どんの勇気に拍手喝采をしました。
「気ぃ張(きば)れ!!弥五郎どん!!」
里人は声を大きく上げて弥五郎どんを鼓舞します。弥五郎どんも腕を伸ばして、自らを鼓舞し四肢に力を籠めます。
しかしながら水神の怒りは恐ろしく、幾度も幾度も強い流れでまるで龍の尾鰭で弥五郎どんの躰を強打するかのように押し付けては、叩きます。
しかし弥五郎どんは長躰をめい一杯伸ばして、川水が里に入らないように歯を食いしばり、顔を真っ赤にして堤に横出しになりながらしがみつきます。その姿はまるで弥五郎どんを吞み込もうとする大きな大蛇との戦いにも見えました。
風雨は衰えることなく、弥五郎どんの長躰を襲います。それは正に荒れ狂う水神の怒れる力でした。
その力に人間がどれほど耐えれると言うのでしょうか?
最初は勇ましく里人の声に腕を伸ばして踏ん張っていた隼人の弥五郎どんも、遂に日没が近くなる頃には段々と力弱くなり、やがて大根川(でぇこんがわ)の川中で里を護るように、ぐたりと力尽きてしまいました。
するとどうでしょう、今まで怒り狂っていた大根川(でぇこんがわ)はゆるゆると水かさを減らし、やがて穏やかな川になりました。弥五郎どんが横たわり大根川(でぇこんがわ)の流れを里に引き入れなかった為、里は一軒の家も潰れず、田も残りました。
それだけではありません。弥五郎どんが力尽き、亡くなってから以後不思議なことに夏が来ても大根川(でぇこんがわ)は干上がることなく、以前の姿ではなくなり穏やかで豊かな川となって里は多くの稲穂が実る田をもつ日向国(ひむかのくに)一の豊かな地になりました。
弥五郎どんが大根川(でぇこんがわ)に命を投げ出したところはやがて自然の盛り地になり、里人はそこに弥五郎どんの魂を鎮めるための祠を立て、里を護った心優しい隼人の弥五郎どんのことを忘れない様、年に一度祭りをして長く祭祀を忘れないようにしました。
そんな幾年か過ぎた祭りの或る日、肥後へ行った密教僧阿闍梨が里を訪れました。僧は弥五郎どんのことを聞くと祭られている祠に手を合わせ、里人に言いました。
「天照の御代(みよ)の頃、この地に棲む水神の娘が化身したのは美しい鯉で、それに恋したのがこの川底に棲む土着神(かみ)であった大鯰だった。それが永の間に呪力を得て人に化身したのがこの弥五郎だった。弥五郎は水神の娘を穢したことを恥じ、娘の御神体である岩清水をこれ以上穢れないようにと幾年代何人からも護ってきたが、卑僧が水神と話をするのきっと霊感で知ったのであろう。それで弥五郎が何を卑僧に頼もうと思ったのかは、今はもう露知れずだが、しかしながらもしかすると水神の怒りを鎮める為に御供になりたかったのかもしれん。弥五郎も元はこの地に棲む土着神(かみ)であれば、自分のやった禍事で幾年も困難を極め、健気に生きねばならない里人の為に何とかしたかったという思いがあったのだろう。まさに弥五郎は土着神(かみ)ではあったろうが、人に化身した姿は心優しき隼人そのものであったなぁ」
僧はそう言うや祈りの真言呪法を唱えると、再び肥後国へと去って行きました。
その僧の姿を里人はいつまでもいつまでも弥五郎どんを護った里の堤の上で見送り、そしていつまでも弥五郎どんの祭祀を忘れることなく、この里で暮らしてゆきました。
九州南部の地に肥沃な土地という地名があります。その土地のことを『飫肥(おび)』と謂うそうですが、そこには今でも弥五郎伝説が残されており、その弥五郎どんは八幡宮の祭神様になっています。
弥五郎どん、その本当の正体は隼人であったのか、それとも古来より脈々と生きて来た人々の心に残る巨人「だいだらぼっち」のような存在だったのか、見識浅い筆者には分かりません。
しかしながら『弥五郎どん』は今確かに、この創作物語の中で生き、何事かを語っている気がしてなりません。
もし、皆さんが川の中で転がる大きな岩を見つけたら、『弥五郎どん』と呼んで下さい。
そうすればきっと必ず、あなたの心の中で「あなただけの弥五郎どん」が現れるでしょうから。
弥五郎どんの話 日南田 ウヲ @hinatauwo
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