私だけのヒーロー

惟風

私だけのヒーロー

 学校なんて、行きたくない。


 朝起きると、いつもそう思う。

 幼稚園にいた時は、ランドセルを背負って登校するの、楽しみにしてたのに。

 どうしてこんな風に思うようになっちゃったんだろう。

 先生は優しい。

 クラスにも、意地悪な子はいない。ちょっと乱暴な男子達はいるけど。女子の私には何もしてこない。

 ただ、机にじいっと座って、おべんきょうをするのが苦手だ。

 みんな下を向いて、先生が黒板にカツカツ書く音が響くあの時間。

 うまく言えないけど、その時間が寂しくて、怖い。苦しいのに、みんな黒板とノートを見てるから、気づいてもらえない。

 みんなはこんな気持ちにならないんだろうか。どうして平気なんだろう。

 苦しいまま放課後までガマンする。その繰り返し。

 もう六月なのに、まだ全然慣れない。


 今日もまた学校に行くのがイヤで、玄関でグズグズしてるとママに外に追い出された。いつまでも泣いてるんじゃないの! って毎日怒られる。

 何がイヤなのか、うまく言えなくて、いつもママをイライラさせちゃう。

 とぼとぼ集団登校の集合場所に向かう。マンションの前の小さな広場、私がいつも一番最後だ。私を待ってるせいで出発が遅れてる。

 私は歩くのも一番後ろ。

 行きたくなくて、あんまり早く歩きたくなくて、じっとつま先を見てる。


「……はよー」


 後ろから声をかけられた。振り返らなくてもわかる。マンションの裏に住んでる、同じクラスのあっくんだ。


「おはよう」


 顔をあげて私も挨拶をする。

 あっくんはその後はなんにも言わないで、私の隣に並んでくる。ホントは登校班は別だけど、あっくんは毎朝家を出るのが遅いから、そっちの登校班はとっくに行ってしまっている。

 小学校に入学してから、一ヶ月くらいしかホントの班で登校したことないんじゃないかな。

 いつの間にかこうやって一緒に行くようになってた。


 あっくんはクラスで一番身体が大きくて、しょっちゅう二年生とか三年生に間違われてる。

 ヤンチャな子達も、あっくんには乱暴なことしない。あっくんが怒ったとこは見たことないけど、たぶん、怖いから。黙ってると、怒ってるのかなって思うくらい、目つきがちょっと怖い。

 そんな見た目だけど、あっくんは体育の時以外は大人しくて、話し方もゆっくりしてて、きっと中身はのんびり屋さんだ。

 のんびり屋さんだから、朝起きるのものんびりなんだろうな。あっくんはあっくんのママに怒られたり急かされたりしないのかな。


 教室に着くまで、あっくんとはあんまり話さない。

 たまに「あそこにカラスいる」とか「雨降りそう」とか、ぽつぽつ喋ってくる。ひとりごとかもしれないけど、一応返事をする。

 私は背が低いから、そのたびに頑張って上を向いて「うん」って答える。それだけ。

 教室に着いてからは、もっと話さない。

 私は女の子の友達と、あっくんは男の子の友達と、おはようって言ってそれぞれの机に座る。

 背の高いあっくんは一番後ろの端っこの方、私は前から二番目の席。


 ある日、ママと一緒に行ったスーパーの入り口で、あっくんのママに会った。


「久しぶりい。入学式以来じゃない」


 あっくんのママもあっくんみたいに身体が大きくて、のんびりした話し方をする。


「久しぶりー! 幼稚園の時はなんだかんだでよく会ってたのにねー」


 あっくんと私は同じ幼稚園に行ってた。何回かお家に遊びに行ったこともある。


「ちょうど良かったあ! 聞きたいことがあったのよねえ」


 あっくんのママはちょっとタレ目だ。あっくんはパパ似なのかな。


「ウチの碧斗あおとね、準備とっくにできてるのに、いっつもギリギリの時間に学校行くのよ。理由がわかんなくてさあ、真緒まおちゃん同じクラスだし、何か知らないかな?」


「えーっと……わかんない」


 そう言ったけど、あれ? と私はこっそり思う。


「あっくんも学校に行くの嫌がってる感じなの?」


 ママは少しホッとした顔で聞いた。


「嫌がってる感じはしないんだけどねえ……五月くらいからかな、珍しく寝坊した日があったんだけど、それから急に」


 あっくんのママはほっぺたに手を当てて、困ったようにため息をついた。

 私は、五月のGWの後に、初めてあっくんと登校した日のことを思い出してた。ずっと休んでいたくて、いつもより泣いて、登校班にも置いていかれて、泣きながら学校に向かっていた時に、あっくんが来たんだ。


「なんかさ、碧斗があんまりにも毎日遅く行くから、いつもより怒っちゃったことがあって。その時に『待ってるの』って言ってたの。何を、って聞いても頑として言わなくて。あの子結構頑固なとこあるからさあ」


 あの時、私はあっくんと何を話したかな。

 一人で歩くのが寂しくて、「置いてかないで」って泣いてたな。


「まあ、わかんないならしょうがないかあ。もう少し様子見てみる。ありがとねえ。幼稚園から小学校に上がってガラッと環境変わったから、色々ストレスなのかな。そんな時もあるよねえ。親としてはもどかしいけどさあ。お互い、頑張ろうねえ」


 あっくんのママは、にっこりした。

 いつもお喋りなママが、「ありがとう」とだけ言った。


「お母さん! ハンカチー!」


 スーパーの隣のトイレから、あっくんが叫びながら出てきた。洗ったばかりで濡れた手をヒラヒラさせながら走ってくる。

 あっくんのママは慌ててハンカチを渡した。

 それでママ達の話は途切れちゃって、あっくんのママは「もう、恥ずかしい! それじゃまたねえ」て言いながら帰っていった。


 次の日。

 やっぱりメソメソしてる私に、ママは何か言いたそうだったけど何も言わなかった。

 あっくんは、いつもよりも慌てて走ってきた。「……はよー。」って挨拶も息が切れてた。

 しばらく歩いて、あっくんはボソッと呟いた。


「今日、いつもより早かった」


 思わず、あっくんの顔を見た。

 あっくんは空の方を向いてた。私は、よく晴れてることに初めて気づいた。


「うん」


 私は返事をして、前を向いて歩き出した。




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