意思は誰の
言うことを飲み込み繕うのは、冒したと云う罪を未だ危ぶんでいるからかもしれないが、まるでそこが大人を真似る子供のようでもあり、やはりこちらが本当なのではないかとルーメンは思った。
罪と云うからには償いもあるのだろうから此処でこうしているからには済んでいるとして、それでも時折露わになる惑いは、マルガリータの言った頼る方を信じると云うことが条件とも聞こえるのと無縁ではないように感じる、無縁どころか一体、或いは例外の無い分身とするならば、この幼き姿容に揃わぬ深い内面にそれのあるのが傷ましく、出現の並外れた不可思議はそれとして、現時点は巨視できる存在であるならそれで十分であり、けして殊更にはすまいと心に留めた。
「いたるところで正当性の無い侵略を繰り返してきたからね、史実上のことは君にそう言われても仕方はないよ」
「正当性」
「有れば侵略とは呼びはしないけど」
「じゃあ何て呼ぶのさ、まさか奪還とか言わないだろうね」
「古来誰のものでもなかったものを、そもそも奪い合うことに正当性そのものが無いと云うことかい」
「でも此処はもはや君たちの世界だし、征服者の唱えることが其処での真実にもなる、僕が何を言ったところで意味は為さないけど、問題はその真実がどう映るかさ」
「それはつまりーーー 罪、としてかい」
「気が早いね、何もすべてそう云う訳でもないけど」
「けどーーー そうとしか映らない、たとえーーー 」
「事実と一致していなくても、と云うことかい」
「君の言うのはそんな出来事の真偽のことじゃないだろう」
「勿論そうさ、この楽園に置かれただけの者とは云え、したことの修正はもはやこの世では叶わない、そうだろう、一度付いた名前は審判を以てしか削ぎ落せない」
「審判」
「―――――― 」
ルーメンが見た時、ミドラーシュはマルガリータに顔を向けてもう戻すところだった。
「御意思との関係など我々に分かろう筈もない、第一、過程なんだから、見ておられる最中に反感するなんてお門違いもいいとこさ」
「見るって、何を、私たちの何を見ようっての」
「分からない、分からないけど、少なくとも僕なんかには見えないものさ」
「そう云う言い方好きじゃないわ、見えないものは見えないんだから感じるしか仕方ないじゃない、見るなら見る、感じるなら感じる、それぞれちゃんと言葉があるんだから、それならまだ全部って言えばいいのに、あれこれ注文付けられるくらいならいっそその方が気楽と云うものよ、解かったわ、だからあなたも遠慮するのはお止めなさい」
「遠慮」
「そう、どうせ見られてるんなら気を遣ったって仕方ないじゃない、それに此処にいるんだからあなたも見られてるのは同じよ、だから遠慮はいらないわ」
「見られることに遠慮しないってどう云うことだい」
ミドラーシュはルーメンに訊いた、それに構わずマルガリータは
「わたし学校で先生にだって言いたいことは言うし、訊きたいことは訊くわ、だって私のこと年中見ていて評価なさるんだから、こっちだって遠慮なく色んなこと訊いたっていいでしょ、前に都から大司教様がお越しになって、父の御友人の司教様のお計らいで祭儀の前にお目通りさせていただいた時、わたし前々から訊こうと思ってたことを訊いたの」
そう言って瞼を広くしている。
ルーメンは何やら嫌な予感がして、それには言葉を継がずにじっと心配げにマルガリータの顔を見た。
「何を訊いたのさ」
ミドラーシュのそれを待っていた様なマルガリータの眉がゆっくりと下りるのを見て。
「マルガリータさんはねーーー そう、我々を生かしている意思と云うものは、いったいどこにあるのかを訊いたのさ」
まだその気の籠ったマルガリータの眼を、しばたたく目のルーメンが見定めながら身を入れるようにして言った、いつになく視線を離さずにされるのにマルガリータも思わず黙するより仕方なかった。
「場所かい」
「そう、僕は心にだと思うけど」
ルーメンは咄嗟にそう言い加えた。
「自分のかい」
「そうさ」
「なら、自分を生かしているのは自分の意思だと云う訳だね」
「そう云うことになる」
「君のことだから勿論驕って言うのではないだろうから伝わるけれど、生きているではなく生かしているとしているのは生かされている予感があるからだろう、ならその意思を自分に見つけるべきではないのではないかい」
「いや、そうしたいんだ、僕は」
「そうしたいーーー 生かされているのは自分による自分への意思だと云うことかい」
マルガリータを見ながらルーメンは何度か頷くと
「どうですマルガリータさん、そう、思うことにしませんか」
ミドラーシュはまだ少し要領を得ない目で二人を見比べて
「それで、その大なんとか様は何て答えたんだい」
論理を気にせずに迫ろうとするルーメンの始めて見せる言動に、マルガリータは頭があやふやになるような感じがした。
「――― そう、そうね――― 何もお答にはならなかったわ」
「何も、何処とも言わなかったと云うのかい」
「いえ、そうじゃなかった、やっぱり自分の中にあると仰ったわ、そう、つまりこころによね」
そう聞いてまた少し考えるように背をもたせると
「君たちの指導者がそう言うのならそうさ、正しいも間違いも無い、それを信じることが理性を保たせることになる、これから先それで以て生むべきものを生んでいくのだから君たちは――― 僕はそれを見ることしかできないけど」
「それでもいいじゃないか、君は此処にいて僕やマルガリータさんの理性がちゃんと働いているか評価してくれたらいいよ、僕にはそれは意味のあることさ」
「何言ってるのよ、そんなのばかり見張られるは御免よ、言っとくけどそれ一辺倒じゃないから、わたし」
よく動く形の良い眉はマルガリータの魅力の一つであることには違いないが、対峙する者がそれにいつの間にか従わせられていることも間違いない。
「それは、それは、たとえばどんな時を指して言うんだい」
ミドラーシュはその位置を確認してからそうっと訊いた。
「どんな時って」
「理性の働かない時とはどんな時かと云うことです、私も興味があります」
もはや決まった流れのように尻込み始めるようなミドラーシュに代わってルーメンが答えた。
「そんなの決まってるじゃない、理性を無視するんだから、あんまりお腹が空き過ぎて走って帰って、手も洗わずにお祈りもせずにテーブルのパンを頬張る時よ」
エピの世界 @hagiwara_asami
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