人間嫌い

「昔はそれなりにはいたんだ、意識と事情の曲折も相応にあって、順々に人間を避けて暮らすようになっていったんだろうけど、どちらがどちらに紛れているのか分からない程にまだ数が拮抗していたような古き頃には、集団の長は必ずと云っていい程其方側の年長者が務めていたらしい、つまりある意味敬われる存在として認識されていたと云うことなんだろうさ、それからに要した時間の程は分からないしノームの云う昔とはそもそもいつ頃のことかも知れないけれど、折角のその関係をその頃から態々何世代かまでを懸けて解消しようとしたらしい、世代を懸けるとはつまりは一気には出来ない、もしくはしないと云うことだけど、つまりは自分たちの持つ力で蹂躙するとか制覇してしまうと云うことではなく、少なくとも数百年を掛けて親しんだ間柄をその認識を含めて消していった、果たしてどんな具合にと云っても考えられるのはおそらく親が子に伝える内容を定めたか、或いは伝えることそのものを辞めさせていったと云うことくらいなんだろう、既に完全に表立っていたと想像されることを無いことにしてしまうなんて本当に出来るのかどうかだけど、それでも人間側からは個別にも見分けの付かない状況にまでしようとしたと云うことなんだろう、つまり人間なのかそうでないのか、そうしようとしたのは当然其方側で、その理由はどうも次第に数で差の付いて行くことへの憂慮と云うことだったようだね、さっきも少し触れたけど基本的に繁殖する比率が違い過ぎることで放っておいても差は広がり続ける、それはいずれやって来る概ね独りでいる女性に向けられる敵視のまだずっと以前の話だろうけど、直系家同士の諍いでお互い血で血を洗うような興亡まであったそうだけど、結局は血族にとっての本当の窮地が人間に目をつけられるそのことだったのだから、先人のそのたっぷりと時間を掛けた策は取り合えず間に合ったことにもなり、その時は一定の盾にはなったのかもしれない、しかし其方側の中での読み違いや隔たりの方がほころびとなって皮肉にも奇禍となる、寿命があるとは云っても急所に深手を負えば死ぬことは人間と同じ、子を連れていたとは云えメルギトゥールでさえ人間の包囲網をかわせないことだってあるからね、奴らの的にされると云うことは最早この地上を追われかねない程の襲来に合い続けるわけで、君たちはそうして一気に存続の限界まで数を減らされたんだ、隠れるより他なかったんだよ、個の力量では君たちに分のあることは人間もよく分かっている、だから負けないで済む一対百にする為に、邪悪と呼んで信仰の対敵に位置付けることで百を結束させ、同時にそれが国規模の弾圧の大義にもなった、勝者の為の敗者と云うのが覇権の論理だけど何せ隷属ではなく絶滅だからね、完全勝利するまではその矢面は変わることはない、国が違えば未だ狩りは続いていると思うべきさ、つくづく君は、本当に運がいいよ、問題が無いわけじゃないけどこの国はもうすぐ新しい信教さえ受け入れる画期的機会とその寛容を持つからね、女が一人で森や街外れに住んでるからと云って疑うどころか親切にもされる程にさ、そういう個々に尊重し合える精神風土のあると云うことは君の友達を見ればよく分かるよ」

そう言ってミドラーシュはマルガリータたちを改めて見た。

「この国には異端審問所も無ければ審問官もいない、他国に存在させている意味合いは知っているけど、寧ろ此処では遠い東国で信じられているものでさえ有難く持ち帰って理解したがるくらいだから君の言う寛容さはあるのかもしれないけれど、特にこれからは国の発展にはいろんな意味での調和が大事だとする教理のあることは間違いないよ、それはそうと、今君が言った新しい信教とは、それを受け入れるとはどう云うことだい」

椅子に座ってはいるものの、さっきから腕まくりをした両手を膝に突っ張って身を乗り出しているルーメンが抑えがたい調子で言った。

「ああ、やっぱりそこか、今訊くのかい、実は言った途端し損なったとは思ったんだ、やはり聞き捨ててはくれなかったようだね、ええと、ルーメンだったかな」

「そうさ」

「君が聞きたいのは分かるけれど、言っておいてなんだけど、どうかそこは辛抱して貰えないかな、想像することまでは縛れないけれど君たちの未来の概念にあたる出来事は伝えてはいけないんだ」

「なるほど、僕としては中味より、もうすぐとはどれほどの時間を指すのかが知りたかったのだけど、守秘なら仕方ないさ」

「物分かりが良くて助かるよルーメン、君が一体どちらなのか、どう解釈しているのかは知らないけれど、物事には大団円はあるものだよ」

鼻の下にしわを寄せて二人の短い遣り取りを聞いているマルガリータが睨むような眼を向けている、それに気付くや慌てて座り直し腕まくりも戻したルーメンの目の玉が天井を彷徨っている。

話の腰を折られてか、ミドラーシュは椅子に深く背をもたせ掛けると疲れたように口を閉じてしまった。

「ミドラーシュ、ありがとうね、それに時無しさんも」

自分の名前と礼の言葉が連続したのが不可解に思えたミドラーシュはポカンとした顔をマルゴーに向けた

「おかしな意味ではなく本当に思い残すことがないくらいにすっきりしたような気がする、あなたたちのお陰よ」

そう穏やかに言うのを聞いてミドラーシュは一瞬どの返事をしようかと迷った、どのとはつまりはその評価とも云える言葉をそのまま受け入れるかどうかと云うことではあるが。

「―――そう、なのかい――― お陰とは一定の想いは満たしたと云うことの手助けには少しはなれたと云うことなんだろうけど、しかしーーー 実際この部屋の中での状況は諸々そうとも云えないのではないのかい」

「なぜ」

「なぜって、君は本当は忘れていたかったことを、僕らが友達の目の前に引き摺り出してしまったんだからさ」

マルゴーは目を伏せて顔を小さく横に振った。

「――― 此処で生きていくには隠し通さないといけないとは確かに思っていたわ、でも自分が隠してることが一体何なのかがはっきりとは分からなかったことも確か、何を知られちゃいけないのか、何を言ってはいけないのか、そして何をそんなに恐れているのかがね、お母さんのそう云う血を受け継いでいることは知ってはいても、記憶の中のきれぎれの場面だけでは到底それらを理解するには足らなかった、それをあなたが繋いでくれて意味も教えてくれた」

「だからそれが君にとっては無意味なことなんじゃないのかい」

「無意味なんてーーー そうーーー そうかもしれない、けれど自分がそうだとしても生まれたことをそうは思いたくない、私にだってきっと何か」

「隠し通せていればそんな意味の有る無しに気を配ることもなかった筈さ、結局僕らは探さなくていいものを無理やりそうさせることにしてしまっただけだよ」

「なぜそんな言い方するの、マルゴーはあなたたちを思って言ってるのに」

マルガリータは不服にも思い遣るようにも取れる低い声で言った。

「僕たちを思う、僕たちに何を思うというんだい」

ミドラーシュはまた少し口を開けたままじっとマルガリータを見詰めた。

「――― だから、あなたたちが来たことで、いろいろ分かって、それで良かったから、感謝してると云うことよ」

「感謝――― 」

ミドラーシュはマルガリータ越しにマルゴーを覗くようにして

「分かったと云ったって、全て君たちの過去の概念の中のこと、比べれば未来程にも今に生かす材料の無い時間のことさ、仮に分からずにいたとしても今にとって損になるようなことはない筈だし、状況からは無い方が有利だったことにもなる、どう考えたってさっきまでの楽しい談笑を上回るなんてことはあり得ないだろう、それともつまり、こうなってしまった以上はそうとでも言わないと友達との関係性を繋ぎとめることが叶わない、君にとっては心境を偽ってでも彼女らの個々を尊重する気質に頼ろうと云うことの表し方なのかい、もしそうなら、感謝されるどころか僕らの訪問自身がその偽りの原因と云うことになる」

マルガリータの眉の位置が見たことがないくらいに下がっている。

「この馬鹿天使、ほんとどうしようもないんだから、そこに責任を感じる心があるんなら、なんでそんな追い詰めるような言い方するのよ」

「なんでって、そもそも彼女を追い詰めたのは人間じゃないか、僕だって気を遣って言ってるんだぞ」

此処に現れて初めて見せる桃色に上気した顔と、活舌の悪くなる程に興奮の混ざった口調でミドラーシュは応じた。

「その追い詰めるじゃないわよ、まったく、勘がいいんだか悪いんだか分からないわね」

両手を腰に当てがってマルガリータは顎をミドラーシュに向かって突き出している。

「マルゴーさんはこの店の中の出来事に何も不都合は無いと言ってるんだよ」

ルーメンが取り成すように口を添えた。

「そう言われてもね、出来事には発端があって、それは全て人間によるものじゃないか、理性の働かない人間のね、勿論君たちは別だと思ってるさ心情的には、まあそれだって今さっきそうなったばかりで、そこからそう簡単には論理的にとはならない、なりっこないんだ、何故なら君たち人間は身体も心もこれからまだまだ成長しながら変貌もする、そのことは一個人としては国の頂に座っている者であろうが農民であろうが皆同じさ、辛うじて立場の違いが程度の違いにはなるかもしれないけれど、生きる過程が完全に宥和的だったと言える者も皆無だろうし、頂きに座る者に至っては最早そうでないなら座れてはいなかっただろうしね」

ミドラーシュは思い切ったようにマルガリータの方を向くと

「君はすぐにそうやって怒る傾向があるけど、君たち人間族のこれまでを一度じっくり考えてご覧よ、同じ言葉を話しても民族の違いさえ許さない歴史なんだよ、それが種差となると見過ごしにする筈はないだろう、動物は全て縄張を争う、しかし他者を根絶やしにまでしようとするのはこの地上に人間だけさ、人間と人間で無いもの両者を分けるのがもし理性だとするなら根源的にはそれが戦争を始めさせる原因と云うことにもなるけどそんなのは捻くれた見方さ、僕に言わせればそれを人間だけにお与えになったと云うのは間違いで、人間だけにお与えにならなかったと思うくらいなのさーーーーーー 」

そこまで言うとミドラーシュは急に言葉を詰まらせて、僅かに震えるような右の指で閉じた唇を触れるようにした。

「--- そ、そんなことは、僕のそんな馬鹿々々しい話はあくまで綾さ、あくまでね、そして当然そんな文字通りでないことも見越しておられるしーーー やはり君たちにしかない理性にご期待なさったのはさっきの医学の進歩のような予見の能力としてさ、きっとーーー」

そして少し考える間を置くと声を小さくして

「でも、見ている僕たちとしては、なんだか欲望の儘の宿性じゃないのかと思うくらいなのさーーー とても不都合なんて思いやりのある話じゃないよ」

「随分と人間嫌いなのね」

ミドラーシュの最後はまるで独り言のようなのを見て、マルガリータは気を静め、何故か寧ろそれが愛おしくさえ感じた。


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