長弓の男
「あの人は、あの人の気質は、明快で、強靭、そうだろう、自身の前にも後ろにも余計な甲斐なんて置いたりはしない、信奉もない、つまり原則のみさ、そう云うことなんだよ、ただ言葉にするとちょっとねーーー 何故なのかなーーー 実際はそれで調和の取れるものじゃない、でもあの人はそんなことは気にも留めない、それどころか越えていたと僕は言いたいのさ、自然の法則にさえそぐわないと言ってもいいくらいにねーーー 飢えきって骨と皮だけになった虎の親子に自らを食わせた者が東にあったそうだけど、潔さではそれに引けを取らないほどに感じるんだ、つまりはあの人を支えているのが当然ながら諦観の羅列ではないと云うこと、そうだよ、ひょっとしたら、運命を支配しているものへの確信があって、それはつまりその源となるような経験としてあってさ、どうかな、過去には居直ったこともあったかもしれない、そうした結果としてついには見切るところまで行ったのではないかーーー 僕はやっぱり言わずにはいられないけれど、おそらくその実体験があの人を端的に強くした、だから運命に抗わせたのだろうと思うんだ」
「抗う、従ったんじゃないの、さっきまでずっとそう言ってたじゃない」
マルガリータは聞き逃さない。
「じゃあ、君にとって運命に従うとはどう云うことになるのさ」
「どうってーーー 」
投げ返された戸惑いをそのままルーメンに渡すように顔を見た。
「つまり君は、切り開くことも運命の内と解釈すると云うことだね、論決は自分次第と云うことか」
ルーメンもミドラーシュの返事を待たずに合点している。
「切り開く、かーーー鋭いようで少し弱いけど、回避や妥協も無い感じはまあいいね」
それを聞いてマルガリータは何やら面白くない顔で
「抗ったり従ったりは子供によくあることよ、普通よ普通」
そう言って澄ましている。
ミドラーシュはそんな二人を見て頬を緩ませマルゴーに
「君が知っておかねばならないのはそんな事実より動機の方さ」
「動機、それは――― そうしようとした理由のこと」
「そう、心理さーーー 百年すら生きられない人間が何かの理由で早々と寿命が尽きるとなれば確かに憐れむ気持ちにもなる、しかし血の異なる族親にしてしまうことで生かすことが救うことになるのか、たとえならなくとも生きることを優先するのが重要なのか、だとしてそれで生きることになるのか、つまりは死するも同然なのか、ならば死ぬとは生きると一体なのか、そしてそれら意図する意味に肉付けは可能なのか、いや違うな、やっぱりこんな捏ね回しでは無理だよーーー 何せあの人は疾風だからね、そしてけして平伏さない、飲むなら飲め、とね、そんな人だったーーー 左腕が途中から無かったろう、あれもそんなことの結果さ」
「やっぱり会ったことがあるのね、お母さんに」
「いや、直にはないんだ、けれど見ていた、見ることの相伴に預かっていたと云うところかなーーー あの人の生きざまを見ておられる方がいらして、時折のことではあったけど特別な興味を持っておられた、たぶん自分を生き抜こうとするさまがお気に召したのかもしれないーーー 僕はね、罪を冒したんだ、ずっと前にね、それで或るところに置かれて、その方からそれを見ることを許されてそれで見ていたんだ、そこはノームの出入りの叶う場所だったから彼らともメルギトゥールのことはよく話したし聞いた、彼らは直に見ている者もいるのだろうけど、けして悪気はないんだけれど伝わるほどに話しを誇張したりするからね、寧ろそれが彼らの愛想と云うか好意なんだーーー あれ、悪気はないなんて、僕、何言ってるんだ」
「どうしたの」
「いや、なんか、変なんだーーー まあいいけど、だから出来るだけ実際に見た最初の者の話しを聞きたくてね、それがまあ多分一番ましだろうから、そうして人柄を感じたりしていた、見る度あの人は必ずと云っていいほど貧乏だったけど、とても気位の高い美しいひとだった、君は本当によく似ているよ、だから一目で分かった」
「そう、そう云う人だったわね、でも私は似ていないわ、お母さんはこんなに身体は大きくなかったし」
「君のそこはきっと父親から貰ったんだろうさ」
「お父さんから、そう、そうなのかもね」
「本当にあの人は直系らしくない人さ」
「その、直系と云うのも、そんなに特別なことなの」
そう訊かれて、ミドラーシュはマルゴーの顔を改めて見た。
「同じことを何度も言って申し訳ないけれど、本当に自分のことを何も知らない、知らされなかったんだね、それがマルゴーの儘でいなさいと云うことなのかもしれないけど、でもそれにしたってさ、あの人は何でも徹底し過ぎだよ、本当に、少しはされる方の身になってあげればよかったのにさ――― さて、それに関してはどこから言うべきなのかな、と云っても僕だって聞きかじりだからね――― そうだなとりあえず君自身は、お母さんが本物だから直系と云うことになるんだけれど、君が特別なのはね何と云っても君のお母さんが他の種属の血を一切知らない存在であると云うことなんだ、純血として元来の属性が完全に守られていた、何世紀も前の血族全盛の頃の儘に、君の祖父と祖母の間に生まれたメルギトゥールに至るまでの系譜が完全なる魔法使いの血脈だったってことなんだ」
今更のように少女とマルゴーは咄嗟にマルガリータの方を見たが、もはや言葉に驚く時期はとっくに過ぎた様に変わらぬ心配気な表情で見返し、ルーメンもまた興味本位から見知ろうとしている様には見えなかった、少女はマルゴーと目を合わせた。
「それがどれほど稀有なことか分かるかい、最早奇跡と云ってもいいくらいなのさ、君の仲間はね驚くことに殆どが女なんだよ、男のほぼいない血族なのさ、君は会ったことがないかもしれないけど魔法の力では女に叶わないくせに希少な男が妙に威張り散らしててね、その自尊の根拠の一つなんだろうけど男だけが使える道具を伝え持っていてこれが無双と云えるものなのさ、まあそんな男女比率の不均衡が君たちの衰退した原因なのは明らかなんだから、なにも目くじら立てて禁忌などにせず、君のように人間の男との間に生まれた直系が辛うじて残るのは、寧ろ血族にとっては道だと思うんだけどね」
「--- 人間の、あいだって――― 私は――― 私の、お父さんは、人間なの」
「そうさ、それも知らなかったのかい、一緒にいたじゃないか、あの審問前に留置かれていた岩牢から君達母娘を外に連れ出した兵士がいただろう、君を馬に乗せた人間の男さ、彼が君の父親だよ」
マルゴーもマルガリータも殆ど同時に両手で顔を覆った。
何度もあの時のことは思い出した、緊迫した中にも拘わらず馬上のこちらを見上げる優しい笑顔がいつも引っ掛かっていたが、その意味が漸く解けて弾けた。
「あの男は間違いなく人間だよ契約者でもない、今でも人間が戦争で使う長尺の弓があるだろう、途轍もなく長いやつ、それの名手さ、引くだけでも大変なのに彼は遠く離れた敵の首を一撃で落とすんだよ、頭も腕も胸も全部仰け反るだけ仰け反って引いて、そこから遠くの敵に顔を向け直すんだ、人間の誰でも使える代物じゃない、その屈指の部隊を率いた男さ、あの時君達を馬に乗せて走らせたあと追ってきた者が弓を射ろうするのを立て続けに七人も打ち伏せたんだ、素手でね、戦うと云っても相手は同じ仲間だから殺さないようにしたんだろう、君たちが遠ざかるのを確認してから大人しく捕まってたけどね、あの後どうなったのかまでは聞いていないな、ほんと人間てのは薄弱なりに色んな武具の備えがあったりして厄介さ、最近はハイタカの名前を付けた火器で戦うと聞いているけどね、もはや地上での人間の覇権は止められそうにないし、そのために衰退するものが出るのも避けられそうにもないよ」
マルガリータを気にしてから少し声を小さくすると
「彼らの歴史は弱いものいじめの歴史さ、民族や宗教の違いには意味もなく徹底して拘るからね、そこが食い違うだけでもはや暗黒扱いだよ」
ミドラーシュのあとの言葉は耳に入らなかった、長い弓の男、母からではなく訪問客の女の口から聞いたことのあるその言葉が、あの日の人物と今結びついて、あの時の母の声音の意味までもが全て理解できた、腹の大きかった若い女を連れていたその年配の女は恐らくは契約者だったのだろう、はたしてその言葉をどんな意味合いで出して使ったのか、子である自分にさえ母が伏せていたことなら、やはり何かしら秘事として脅す材料にでもしたのだろうか、癒すだけならいつも傍で見ていられたが、窓まで閉じて部屋から出されたことはあの日以外にはなかったから覚えている、そしてその女とは森の家を人間に襲撃され留置された時に再び会っている。
「そうかい、あいつらを連れて来たのはあんただったか、とっくに首を刎ねられてると思ってたよ」
「よくもーーー よくも、腹の子になんて」
「おや、この私を脅してただで済むとでも思ったのかい、腹ぼて諸共消してやってもよかったんだが、覚悟に免じて帰してやったのさ、さぞ鼻を高くできたろう、さて覚悟は今もあるんだろうね」
その時の女の前に聳えるような母の凄まじさが焼き付いていた。
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