この世界に一人揺蕩う

鈴木怜

この世界に一人揺蕩う

 商店街の一角に、その店はあった。


「おっちゃーん、いるー?」

「いなかったらそれはそれで問題でしょうが」


 私がそう言って店先から入るやいなや、冴えない顔が棚の間からひょっこりと現れる。

 中古CDばかりを取り扱うここの店長だ。以前年齢を聞いたら、四十代とだけ教えてもらったことを覚えている。


「でも食べてなくて倒れてたりとかしてるかもしれないじゃん」

「そんなことはないでしょうよ」


 どうだろう。私から見ても明らかに痩せていると断言できる体なのだ。下手したら私よりも軽いかもしれない。個人経営で、忙しいのかも。


「ちゃんと食べなー? お客に心配されてちゃいけないぞ!」

「……そこまで言うのなら今後意識しましょっかね」

「なんか含みがあるね」

「食欲なんて落ちていくものだから。ま、今日もゆっくり見てってよ」


 はーい、と私は返事をしてCDたちと顔を合わせる。

 この瞬間がたまらない。まだ知らない音楽、知らない世界、想像の外からやってくるアプローチ。そんなものがCDにはひとつひとつ込められている。それを思い浮かべながら気になったものを手に取るのがたまらないのだ。出会いのようなもの、と言ってもいいかもしれない。

 そしてそれは、新品のCDショップでは出会えないCDもあるということでもある。廃盤になったCDは中古でしか入手できないことも珍しくない。

 といっても、お金がないから中古に頼っている面もあるのだけれど。


「おっちゃーん」

「どしたの」

「なんかこの前よりさ、減ってない? CD」


 最後に来たときはどうやって取るんだそれ、となるような位置にある棚までびっしりとCDが入っていたのに、今日はそれが心なしか隙間が目立つように見える。


「……それね、常連には言っておかなきゃって思ってたんですけども」


 それからしばらく迷うようにして、店長はゆっくりと口を開いた。


「店、畳もうと思って。田舎に帰って」


 その決心に、どれだけの思いが込められているのかは、私には推測できなかった。

 ただ、理由があることだけはわかった。


「……そっか。寂しくなるなぁ」


 私はそれだけ呟いて、CDを二枚手に取る。

 しばらく他の棚も漁って、気になったものを見繕った。


「おっちゃん、お会計お願い」

「なんで同じものが二枚も? あなた、そういう性質たちじゃなかったでしょう?」

「うん。だから、あげようと思って」

「誰に?」


 こうやって踏み込んだ話をするのも、個人経営だからなのだろう。私もこれが好きでこの店に来ていたのだ。


「おっちゃん」

「俺ぇ?」

「うん。ささやかな餞別ってやつ」

「……その分、まけといてあげますよ」


 とか言っておっちゃんは本当に一枚分をただにしてしまった。


 それ以外を受け取る。なんかセンチメンタルな気分になってしまうのは私がそういう人間だからなのだろう。


「ありがとね、おっちゃん」

「……今まで、ありがとうございました」


 そうして頭を下げたのが、私が最後に見た店長の姿だ。



 ☆★☆★☆



 それから二ヶ月もしないうちに、その店は閉められた。

 おっちゃんは、どこかで元気にやっているのか、それすらも私にはわからない。

 私ができるのは、同じ空の下にいることを信じてあのとき渡したCDを聴くことくらいだ。

 CDをコンポに入れて曲を選ぶ。

 井上陽水奥田民生のアルバム『ショッピング』から『ありがとう』。

 曲に身を委ね、この世界に一人揺蕩う。

 私の気持ちが伝わっていたのなら、嬉しいのだけれど。

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この世界に一人揺蕩う 鈴木怜 @Day_of_Pleasure

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