梅雨の来訪客

日乃本 出(ひのもと いずる)

梅雨の来訪客


 床の間の布団の中で勘太は憂鬱な気分になっていた。外が長く続いている梅雨でシトシトとしていたこともあるのだが、風邪をひいてしまっていたことが大きな要因である。

 病気の人間の心理というのは不思議なもので、なんで自分がこんな目にあわなければならないのだろう、とまるで世の不幸を一身に背負った気分になるものだ。例え、それがただの風邪だとしても、である。

 それに勘太は十一才。まさに遊ぶことが仕事というくらいの遊び盛りである。そのようなやんちゃな小僧っ子が遊ぶことを許されず、一日中寝ておかなければならない境遇に陥った心境は推して知るべきであろう。



「なぁ~んかおもしれえこと――ねえっかなぁ」


 誰にでもなく呟いてみるが、もちろん返事などあるはずもないし、あったとしてもかあちゃんの「黙って寝ときな!」という怒声ぐらいのものである。しかし、それもない。勘太のかあちゃんは先ほど晩飯の買い物に出たばかりなのだ。

 ちぇっ。と大きく舌打ちをし、勘太は頭から布団を被った。外音が遮断され、勘太だけの空間が形成される。十一才といえば遊び盛りでもあるが、想像力が豊かなときでもある。つまり、勘太はせめて想像の世界で遊ぼうと考えたのだ。

 勘太が頭のなかに、ばあちゃんが話してくれた昔話の風景を思い浮かべようとした、その時である。


「もし――もし――」


 確かに声が聞こえた。勘太は布団から勢い良く上体を起こして周囲を見渡したが、誰もいなかった。


「かあちゃん?」


 呼びかけてみるが、返事はない。それも当然だ。かあちゃんは一度買い物に出ると二~三時間は帰ってこない。

 気のせいかな? 勘太はそう思い、もう一度布団を被ろうとしたその時――。


「もし――もし――」


 今度はハッキリと聞こえた。それも横になった勘太の耳元でだ。声の聞こえた方に勘太が向き直ると、そこには――、


「お願いが、ごぜえやす」


 おひかえなっすてぇと言わんばかりの体勢で頭を垂れている、紋付袴姿のカエルがいた。大きさは勘太の拳一つ分くらいで、カエルとして見ればかなりでかい部類だ。

 夢だと思い、勘太は自分の頬を思いっ切りつねった。ただ痛いだけだった。


「自傷行為はおやめになすったほうがいいかと存じやす」


 しかも心配されてしまった。どうやら夢ではないようだった。


「お休みになられていらっしゃるところに突然の来訪、至極ご迷惑かと存じやすが、どうかお許し願いたく……」


 普段の勘太なら大声を上げるか、怯えて逃げているところだろう。だが、今の勘太からすれば歓迎すべき来訪客である。少なくとも、退屈はしない。それにこのカエルの恭しさはなんだか信頼できそうだと勘太には感じられた。


「おいらに、何か用なの?」

「へい、御前様にしかお頼みできねえことでごぜえやす」


 そうしてカエルは頭を上げた。袴姿のせいか、やけに凛々しく引き締まった表情をしているように見える。『馬子にも衣装』とはよくいったものである。いや、この際だと『カエルに袴』というべきか。


「この度、あっしが御前様にお頼みしたいことは、あっしのせがれたちのことでございやす。せがれといいやしても、まだあっしの嫁が産んだばかりの卵でござんすが――まあ、このせがれたちを産んだ場所が御前様のところの排水路の近くなんでやすよ。とはいっても、土手一つ分隔てたところに産んでやしたから、あまり気にしてはいなかった。ですがね、今回の梅雨は長うございやしょう、それで増水しちまって、今にも御前様のところの排水路とつながっちまいそうなんですよ」


「それが何か悪いことなのかい?」


 カエルは大袈裟に手を振り上げ、畳の上に叩きつけた。ぺちょっ、となんだか滑稽な音がした。


「おおありでごぜえやすよ。御前様のところの排水路ってことは、御前様のところの生活排水が出ているってことでございやしょう? 昨今の人間の生活排水は毒水のそれより始末が悪いもんですからね。せがれたちにそんなものをぶっかけられちまったら、嫁が自害でもしちまいやすよ」


 カエルの自害とはどういったものかと勘太には多少興味があったが、出来るだけ考えないようにした。確かにカエルの言う通り生活排水には洗剤などが混じっており、人体にすら危険が及ぶことが多い。そんなところに自分のせがれ達が流れ着くなど、親からすればたまったものではないだろう。


「お頼みもうしやす。どうか御前様の手で、せがれたちをお救いになってくださいやせぇ」

「ようし、わかった。おいらにまかしときな」


 勘太は布団から立ち上がり、カエルの先導のもと、シトシトと降りしきる外へと出て行った。カエルのくせに二足で歩いているところが勘太には気になったが、今は置いておくべきだろう。気にしたら負けである。

 勘太の家のすぐそばには小さな用水路がある。その用水路と勘太の家の排水路は小さな水門のようなもので隔たれており、普段はその水門は閉じられている。だが今はカエルの言う通り、ずっと降り続ける雨のせいで、水位が水門を超えかけようとしていた。

 とはいっても、勘太からすればそんなに水位は高いわけではない。せいぜい勘太のちょうど腰部分にあたるくらいだ。そして水門の用水路側にカエルの言っていたせがれたちが、水の流れにゆらゆらと揺れていた。


「で、どうすればいいんかな?」

「ですから、すくってくだせえ」


 なるほど、とりあえず掬いあげてどこかに避難させてくれ、とカエルは言っているらしい。


「よしきた! ちょっとまってな」


 勘太は急いでうちへと戻り、台所から、かあちゃんが味噌汁を作るときに使う、味噌こしと鍋を持ってきた。それを見たカエルが嬉しそうにゲコゲコといななく。

 かあちゃんに見つかったら半殺しどころではすまないので、勘太は急いで救助活動を開始した。味噌こしでせがれたちを掬いあげ、鍋へと入れていく。その様子をカエルは水かきに汗握るといった様子で見ていた。

 なんとか誰にも見咎められることなく、勘太は救助活動を終えることが出来た。急いでうちの中へと戻り、鍋から虫カゴの中にせがれたちを移した。そして証拠を隠滅するべく、救助活動に使用した器具達を丁寧に洗い、元の場所へと戻した。もちろん、洗剤は使っていない。

 虫カゴの前で、カエルは愛おしそうにペタペタと虫カゴに触れていた。何度か触れることで、虫カゴに水かき部分の水分が奪われ、ちょっと水かきが剥がれにくくなってるところが勘太の笑いを誘う。


「この雨が止んでさ。梅雨が終わったら、またさっきの場所に戻してやっからよ。それまでは、おいらがしっかり面倒みてやるから、心配しんぺえすんな」


 カエルは勘太のほうに勢い良く振り向いた。カエルの目には、何やら光るしずくが溜まっているように見えた。


「ありがとうごぜえやす……それしか言う事が出来ねえでごぜえやす。ほんに、ありがとうごぜえやす……」


 カエルはカエルらしく土下座し、何度も何度も頭を上下させた。


「いいってことさ。おかげでおいらも随分な暇つぶしが出来たからよ」


 カエルは感極まったと言わんばかりに両手を畳に叩きつけた。虫かごに水分を奪われていたせいか、ぺちっと少し乾いた音がした。


「このままじゃあ、あっしの気が治まりやせん。それにせがれたちを助けていただいた方に十分な礼を尽くさなかったとなりやすと、あっしの子々孫々まで後ろ指さされっちまいやす。つきやしては、あっしの家の宝を御前様に差し上げてえ」


 カエルの宝とは、また想像が難しいものである。そんな得体のしれないものを貰うというのは、勘太には少々はばかれる気がしたが、ここで断ってしまうとさっき気になったカエルの自害が目の前で行われかねない。


「ふ~ん。じゃあ、ありがたくもらっておくかな」


 勘太の言葉にカエルは嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねた。カエルと出会って初めてカエルらしい姿をカエルは披露した。


「それでは、あっしは宝をとってまいりやす。お疲れでございやしょう、どうか横になってお待ちになっておいでやせえ」


 そうしてカエルは一層高く飛び跳ねながら床の間から出て行った。一人残された勘太は布団を被り、先ほどの珍事について思いを馳せた。


 ――誰も、信じてくれやしねえな。


 信じてはもらえないだろうが、確かに体験はした。そしてその証拠に、勘太の枕元の前にはカエルがいた痕跡である水跡と、虫カゴに入っているカエルのせがれたちの姿がある。

 勘太には、言葉では言い表せぬ充足感のようなものがあった。そして、いつのまにか勘太の意識は少しずつ心地よいまどろみの中へと誘われていった――






「勘太っ! こりゃあ一体なんなんだい?!」


 かあちゃんの梅雨もふっとばすような豪快な声で勘太は目覚めた。


 ――やべえ。さてはかあちゃんに外に出たことがバレっちまったか。


 恐る恐るかあちゃんの方へと目を向けると、かあちゃんの顔が勘太の方に向いていないことに気づいた。かあちゃんの視線の先には、カエルのせがれたちが入った虫カゴがある。そしてその虫カゴの上には――、


「まさか、これって金じゃないだろうね? でも、まさか、ねぇ……」


 金色に光り輝く、小さなカエルの形を象ったものが置いてあった。きっと、あのカエルの宝物だと勘太は悟った。


「かあちゃん、それはね――おいらが人助け……いや、カエル助けっていやあいいかな? まあ、ともかく。困っているもんを助けたお礼だよ」


 外はまだシトシトと梅雨特有の雨が降り続けていた。この雨があがったとき、そして梅雨が明けたその時――あのカエルにまた会えるかもしれない。

 いつのまにか、勘太は寝ていることが憂鬱では無くなっていることに気づいた。待つことがこれほどまでに楽しいこともあるのだと、勘太はまた一つ、大人になったような気がした。

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