また会いましょう

葉月りり

第1話

 お給料がもう2ヶ月遅れている。


 地方都市としてはまあまあの規模の印刷会社の制作部で私は働いていた。以前は商店のチラシ、パンフレット、タウン誌を何件も。制作部を通らずに印刷だけの仕事も多くあった。それなのに今は仕事は減る一方。大分前から紙媒体の減少が業界では言われていたのに、上は何も対策を取らなかった。


 もう時間の問題らしいと噂が出た時に、経理部長は会社を丸ごと引き継いでくれると言う会社が現れたから早まって退職するのは損だよと言った。それに期待して少ない仕事を丁寧にやりながら皆会社に残っていた。


 その日、明日折り込みのチラシの版を印刷部へ回したら、とうとう仕事が何も無くなってしまった。定時までネットでも見てるしかないのかと皆で話していたら、経理部から内線電話があった。


「上から何か話があるそうです。とりあえず、定時まではいて下さい」


 会社は倒産なのか、継続なのか、遅れているお給料はどうなっちゃうんだろう。2ヶ月分だって、我が家にとっては貴重なお金だ。息子の学費だってまだまだかかる。


 勤続年数たった4年のおばさん社員がこんなに不安なのに、長年正社員として頑張ってきた人たちはどうなるんだろう。退職金は別に取ってあるのかな。疑問は湧いたけど、口に出すことは出来なかった。


 誰も喋らず、重苦しい雰囲気のまま定時になった。でも、誰も来ない。経理部に聞いてみても遅れているらしいとしか言わない。私と若い女性社員とで皆に熱いコーヒーをいれた。コーヒーを啜る音があちこちから聞こえてきたら、それがきっかけのようになって

会社への文句が色々でてきた。


「紙はもうダメだから、ネットへ進出すべきだって、オレ、言ったんだけど、そんなことはないの一言だったんだ」


「俺も今、最新の四色機入れても、回収出来るかわからないですよって反対したんだけど、営業の力を信じろとか言って聞いてくれなかったんだ」


「会長がさ、友達の市会議員のポスター、ただで引き受けてたの、皆んな知ってた?」


「3年前にやった創立20周年記念&新社長就任パーティー、ありゃなんだったんだ?」


「やっぱりさ、二代目はなんたらって言うのは本当だったんだな」


「なあ、うちの部長と校正チーフが早期退職したのって、分かってたからってことないか?」


「実家の事情とか言ってたけど、そうかもしれないな。それともリストラか」


「リストラなら最初に切られるのは私じゃないですか?」


私は思わず口を出した。しかし、


「給料の多い順ってことか」


皆がうなづいた。


ひとしきり文句が出揃うと、やっぱ倒産かなあと頭を抱える中年社員がいた。女性デザイナーも大きくため息をついた。上の人はまだ来ない。


 私は、倒産ってことになったら、ここにいる皆さんとお別れってことになるんだなあと、ぼんやり考えていた。


 ハローワークで見つけた会社、ダメ元で面接をしてもらったら、意外なことに採用されてしまった。初めはこんなおばさんにMacが使えるのかと、訝しく思われていたようだ。だけど、そのうち私の昔の知識も役立ててもらえることもあって、若い人達とも和気あいあいと仕事が出来るようになった。年齢に関係なく意見が言い合える、とても好きな職場だった。


 女性は、デザイナー1人とオペレータとして働く若い子と私だけだった。若いオペレータと私の年齢差は20以上もあったけど、なかなか気の合う3人だった。


「ねえ、倒産ってなったら、このテーブルも債権者に取られちゃうのかしら」


 それは女性3人でお金を出し合って買った折り畳みのテーブルで、お昼休みの時だけ出して、3人で輪になってお弁当を食べるためのテーブルだ。お弁当を食べながら、いろいろな話をして、お腹が痛くなるくらい笑って、時々お3時にスイーツを食べたりしていた。


「こんな3千円もしないのまで?」


「でも、これは私物よ。倒産とは関係ないから。でも、ここに置いておいたら、持っていかれちゃうか、捨てられるか」


「こんなものでも債権者に取られちゃうのなんかやだな。誰か持って帰りません?」


「あ、私貰っていい? 車で来てるから持って帰れる」


「じゃ、俺たちも色々おいてある私物、持って帰らなきゃいけないんじゃないか?」


皆ガサガサと私物を整理し出した。もう倒産だということになっているようだ。


 定時から1時間以上経った。もう一度経理部に電話しようかと言っていたら、知らない人が部屋に入って来た。


 その人は法律事務所のものだと名乗り、相手会社との話し合いがまとまらず、破産手続きが進んでいることを皆に知らせた。その後、書類の入った封筒を皆に配り、中の書類を書き込んで、法律事務所からの連絡を待つようにと言った。そして、明日から会社に入ることはできなくなるとも言った。


「社長からの挨拶も何も無しかい!」


「こんなんでもう明日から会社には来ないでくださいってか」


皆、憤懣やるかたないと言う様子で座り込んでいる。


「みんなこれでお別れってことですか?」


若い女性社員が立ち上がって言った。


「それじゃ、私、ちゃんと皆さんにお礼を言わないと。すごくたくさんお世話になって、印刷のこと色々教えてもらって…」


涙声になりそうな彼女を座らせて女性デザイナーは


「大丈夫、また集まりましょう。ね、卒業飲み会でもやりましょうよ」


とチーフに向かって言った。私達は思うところは色々だったけど、その日は私物を持って帰途についた。


 次に皆が顔を揃えたのは3週間後、労働基準監督署でだった。そこで一人一人、本人確認をされ、また書類にサインし、印鑑を押し…なんとか未払い賃金の8割は貰えそうだとなった時はホッとした。社員さんの退職金も8割ちゃんと補償される。ただただ良かったと思った。


その後、チーフのなじみだと言うレストランで卒業の会を開いた。社長には何も言ってもらえなかったけど、チーフの「皆バラバラになりますが頑張りましょう」と言う挨拶でなんとか制作部としての区切りを付けたような格好だ。


社員の中にはもう次の仕事が決まった人もいた。なんとデザイナー3人はウェブデザインの学校に入って新しいスキルを身につけるために頑張っていると言う。


「また会いましょう」


と言って皆と別れたが、仕事をしている時は親しくても職場が変われば大抵会うことがなくなる。仕事仲間は友達とは違う。寂しい考えだけど、今まではそうだった。けれど、皆が良い仕事に就けますようにと、心から祈りたいと思う。


でも、皆の先行きを祈っているだけではいけない。こんなおばさんが次の職に着くことはそんなに簡単なことではないだろう。とりあえず失業保険をもらいながら、新しい職場との出会いを求めて求人サイト&ハローワーク通いだ。出来れば今までやってきたことを生かしたいと思うけれど、拘ってはいられないかな。なんとか職につけますように自分のことも祈らなきゃ。



おわり

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また会いましょう 葉月りり @tennenkobo

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