死が二人を分かつまで

透峰 零

名前のない関係性

 蓮花リャンファが二人に会ったのは、まだ幼い時分である。

 一人で泣きじゃくる彼女に「一緒に来るか」と言ってくれたのは、大陸で一番美しくて、一番怖くなる女性ひとだった。

 血塗れのその人が恐ろしく、ますます泣くと女性の隣にいた青年が「そりゃ泣きますよ」とぼやいて膝をついた。

「主人がすみません。信じられないかもしれませんが、悪い人間ではありません」

 主人、と言われて蓮花は二人を見比べた。一緒にいるから夫婦なのだろうと思ったが、女性が「主人」と呼ばれたことに混乱したのだ。自分は男女を間違えたのだろうか、と不安になって目の前の人物に問いかける。

「もしかして、おねえさん?」

 言った途端、盛大に固まられた。無表情のまま、恐らくは困ったように――青年が女性を仰ぎ見る。

「私も大陸風に髪を短くした方が良いですかね?」

「止めておけ、お前の髪を切るのは勿体ない。おおかた、夫婦めおとと勘違いしたのだろう。可愛いじゃないか」

「ああ、なるほど」

 二人の会話についていけず、彼女はますます目を丸くした。

「違うの?」

「違いますね。まぁ、死が二人を分かつまでというのは似ていますが。私がこの人と夫婦になることは出来ません」


 大真面目に言った青年の言葉を、蓮花が理解できたのはそれから五年の歳月が流れ――荒れた大陸が統一されてからである。





***




 麗かな午後だった。日差しは柔らかく、硝子越しに春の気配を室内にも運び込む。

 書簡が山と積まれた室内には、二人の男女がいた。

 一人は二十過ぎの、凛とした顔立ちの黒髪の女。もう一人もやはり黒髪で、人間離れして整った顔をした男だった。

 ――と、二人して顔を上げる。しばらくして、黒塗りの扉が外から丁寧に叩かれた。

「蓮花か。入れ」

 開いた扉から顔を出したのは、赤毛を結い上げたそばかす顔の少女だ。丁寧に胸の前で手を組み、一礼すると告げる。

いち様。レドウィン様が到着されました。ご準備はよろしいですか?」

「ああ、もうそんな時間か。すぐ行く」

 軽く髪と衣を整え、最後に牡丹があしらわれた大刀を手にした女――壱は、己の傍にあった書類を男に手渡した。

千夜せんや。この前きた話の返事だ。お前の方から使者に渡しておいてくれ」

 言い置き、さっさと部屋を出ていく。颯爽と紅い衣を翻すさまは、一部の隙もなく美しい。

 思わず目で追っていた蓮花は、ほう、と溜息を溢してしまった。

 しかし、背後から聞こえてきたのは、彼女とは真逆の「はああああ」という僵尸キョンシ―のような呻き声だ。

 そして、この部屋でこんな声を上げる人物は一人しかいない。

「千夜様?」

 無表情のままで呻く男の手にあるのは、先ほど壱に託された紙だ。全部で五枚。綺麗に朱印が捺され、後は渡すだけの状態になっているそれが原因らしい。

「男女の仲とは難しいですね、蓮花。どうして世の恋人は別離を繰り返すのでしょう」

「それは千夜様がまた振られたことに対してですか? それとも壱様がまた振ったことに対して?」

「相変わらず耳が早いですね。けど私の場合は、別離以前の話です」

「そうですね、まず交際が成立しませんから」

 ばっさりと切り捨てた蓮花に、千夜はわざとらしくヨヨヨ、と顔を両手で覆う。ちなみに、やはり表情は変わっていない。

「何と容赦ない。会った当初はもっと私を気遣ってくれていたというのに」

「だって本当のことじゃないですか。今のところ全敗でしょ」

「一体なにがいけないんでしょうね。まぁ、恨まれているのは仕方ないと諦めますが。それまで普通に言葉を交わしていたというのに」


 ――いや、壱様がいるからでしょ


 心なしか遠い目をしている男に、蓮花は心の中でツッコミを入れる。

 壱と千夜は、この大陸の出身ではない。東にあったという彼女らの島国は、大国ブリランテに滅ぼされた。

 敗戦国の姫である壱はブリランテ王に娶られ――そして、婚儀の場で彼を殺したのだ。いや、彼だけではない。その場にいた騎士や従者。逆らう者らを鏖殺したという。

 ブリランテ王殺害を皮切りに、彼女は「報復」という大義名分を掲げてやってきた他の国をも次々と打ち負かしていった。蓮花のいた国もその一つだ。

 もちろん、卓越した武術の腕はあったろう。

 だが、それだけでこの広大な大陸を。千々にばらけていた国を纏め上げることは不可能だ。

 彼女には暴力だけでない力があった。

 攻めてくる敵は容赦なく叩き潰していたが、彼女は決して己から殺戮をすることはなかった。時には協力を仰ぎ、協定を結び、会談で解決するならばそれを良しとする。

 従わせた国の文化や思想を奪うことも、しなかった。

 そんなことをせずとも、彼女には人を惹きつけ、心の底から膝を折らせるだけの魅力があったのだ。


 東の蛮姫ばんき

 血狂いの強欲姫。

 女の皮を被った悪魔。


 様々な二つ名が彼女に与えられ、恐怖の代名詞と化した。

 だが。

 どれだけ醜く、残虐な心根をした女なのかと戦々恐々としていた諸侯らの前に現れたのは、まだ年端もいかぬ少女だったのだ。

 強く、美しく、聡明で気高い。

 彼女が民の心を掴み、ブリランテをはじめとする国の圧政に喘いでいた者らに認められるまでに時間はかからなかった。五年の間に「東の二刀姫」はこの大陸の女王となったのだ。


 その女の隣に常に在り――今後も在り続けるだろうと目されているのが、千夜である。

 彼の妻になるということはすなわち、大陸で一番強く美しい女と共に在らねばならぬということ。

 果たして、そんな圧に耐えたい女がいるだろうか。というか、耐えられる胆力を持つ女がいるのだろうか。

 あと、他にも理由を上げるとするならば

「顔が無駄によいクセに、千夜様の表情筋が氷で出来てるからでは?」

「酷い、惨い。別に好きで無表情鉄面皮をしているわけではないのに。外見差別反対です。泣きます」

「いや泣けないでしょ」

 無表情のまま「しくしく」と泣き声らしき効果音を上げる男を、蓮花は呆れたように見つめた。

 蓮花のように、元から美しさと無縁の者ならば「観賞用」と諦めもつくだろうが、彼に声を掛けてくるような権力者の娘となると、幼き頃より蝶よ花よと育てられてきたご令嬢ばかりのはずだ。

 美しさに少なからず自信を持つ彼女達に、あの顔面の横に並べというのは少し――いや、かなり酷というものだろう。


「私はまぁ、別に良いんですよ。憎まれ役は慣れてますし、今さら嘆きはしませんから」

「さっき思いっきり、泣くって宣言してませんでした?」

 蓮花の言葉を無視し、千夜は手にした書類をわなわなと震わせる。

「それよりも、ですよ。なぜ、壱様は縁談話をすぐに破局させるのでしょうか」


 ――いや、千夜あんたがいるからでしょ


 と、これまた蓮花は心の中だけでツッコむ。


 ブリランテに連れていかれる際、壱姫は傍仕えを一人だけ連れていくことを許された。

 それが千夜だ。

 壱の物心がつく前から彼女に仕え、剣術や作法の相手をしてきたというだけあり、頭の回転が早く武芸にも秀でている。

 さて、ではここで彼が嘆く壱の結婚相手の話である。かつて彼女は言った。

「せめて千夜よりは強い奴でないと話にならん。私の伴侶になるからには、それなりに骨のある男が良い。敵国に攻め込まれた時に、民を見捨てて逃げるような軟弱者は願い下げだ」

 もっともな話である。


「千夜様がもっと手加減して差し上げれば良いのでは?」

「それ、壱様にバレないとでも思ってるんですか。あと、単純に私より弱い男に壱様をやるとか、三途の川で亡きお父上と母君と重鎮の方々に袋叩きにされた上で奪衣婆に売られます。ああ、考えただけで胃が痛い。ってか、そもそも私は文官のはずなんですけど。宰相ってもっとこう、書物と戦うはずでしょ。なんで私は主の見合い相手と試合してるんですか」

「……全然痛そうじゃないですけど、一応聞いてあげます。胃薬いりますか?」

「いえ結構」

 しれっと答え、千夜は手にある「此度の縁談はお断りします」を婉曲にしまくった文言が綴られた書簡をてきぱきと纏めていく。


 もういっそ、二人が一緒になれば良いのでは?

 と、蓮花は思った。

 ちなみに、そういう夢を見ているのは蓮花だけではないようで、下町ではその手の恋愛小説が(非公式で)流行っていたりもする。

 何しろこの二人、話のネタとするには事欠かないのだ。


 幼い頃から共に育ったという幼馴染要素。

 高貴な姫と、村から捨てられた付人つきびとという身分違い要素。

 七歳差という年の差も一部の人間には受けるらしい。

 何より、遠い異国から二人で支え合って大陸制覇を成し遂げたという悲劇性と逆転劇。


 ――ではあるのだが。

 間近で見ている蓮花にはわかる。この二人の間に恋愛感情は一切ない。

 蓮花も上記のような書物を見たが、彼女ですら

「いやいやいや、逆ならまだしも千夜様が壱様押し倒すとか無理だから。次頁の見開きで顎かち割られるか、高次元の戦闘が始まるから」

 とか

「誰だこの表情筋豊かで機知に富んだ会話をするイケメンと、なよっちくてか弱い女は。うちの女王様は、立てば鬼百合座ればアザミ、歩く姿はトリカブトだぞ。城囲まれたくらいで泣くとか太陽が西から昇ってもあり得んから」

 とか思ってしまうのである。おかげでまったく話に集中できなかった。




 彼らが互いを信頼しあい、何よりも大事に思っているのは間違いないだろう。

 死に分かたれるまで共にあることも、疑いようがない。


 だが、そこに「恋愛」という甘さはないのだ。


 あるのは、互いに剣と命を預けるに値するという、確固たる信頼のみ。

 それでも良いのでは、と蓮花とて思ったことはある。正直、今でも時々思うことはある。

 一体何が悪いのだろうか、と。

 もしかしたら壱は、いずれ為政者の責務として誰かを選ばなければいけない時がくれば千夜を指名するかもしれない。

 そういう期待はある。


「でも、きっと千夜様が認めないんですよね」

「? 何の話です」

「いや別に」


 死が二人を分かつまで。

 あの日出会った二人が、いつか本当にそうならないかと蓮花は少し――ほんの少しだけ夢を見ている。


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