未来への道筋
零
第1話
「ふむ、」
その老人は、私の話を興味深そうに聞いていた。
老人というには若いが、おじさん、という言葉は彼に似合わない気がした。
品の良い羽織に着物、草履。
白く長いひげが妙に似合っている。
対照的に、きれいに髪の毛がない。
そんな彼に出会ったのは、春のはじめの山の中。
長い冬の眠りから覚めて、山では次々と新しい命が芽吹き始めている。
時折聞こえる動物たちの声も、どこか浮かれていて楽しそうに思える。
そんないかにも陽の気で満ち満ちた山で、私が彼に話したのは、陰の気に満ち満ちた話だ。
ひとしきり話し終えた後で、は、と、私は自嘲気味にため息を吐いた。
「笑える、」
ここ数年で、私は多くの挫折を味わい、裏切りにあい、生きる気力を失くしていた。
「どうせ、この先生きていたって、幸せになれっこないのに」
そんな人生に意味なんかない。
そんな世界で生きる価値なんてない。
そう思っていることも確かなのに、死を選べるほどの勇気もない。
どっちつかずのままで、ただ、息をしていることに、これ以上ないほどの苦しみを感じる。
「何故、そう思う」
「?」
私が間の抜けた顔で目を向けると、老人と目が合った。
深い深い、藍色の瞳が、くるりと光を映した。
「今が、辛いからか?」
老人の言葉に、私はこくりと頷いた。
涙が零れ落ちた。
もう枯れたと思ったのに、まだ泣ける。
「未来は単なる今の延長ではない。もっとも、」
そういって老人は杖の先で私の額を小突いた。
「そう、するかしないかは、お前さん次第だがね。お前さんは、何を望む?幸せな未来か、不幸せな未来か」
「そりゃ、」
幸せな未来に決まっている。
けれど、それを信じることが出来ない。
信じることができないのは、恐らく、いつだって幸せになりたくて努力してきたのに、叶わなかったからだ。
「わしは、お前さんのような者に数多く出会ってきた。深く傷つき、人を信じられなくなり、世界の価値を見失い、自分の命の意味を測りかね、絶望に打ちひしがれる」
自分だ、と、思った。
お前さんのような、と、彼が言ったその姿と、私が思う自分の姿は同じだ。
それは、彼が私の話に耳を傾けているからだと私は思った。
それだけでも、私は心に明かりがともるのを感じた。
「その人たちは、どうなったんです?」
「様々だな。けれど、わしにこうして出会い、言葉を交わす幸運に恵まれたものは、皆、同じ未来を手に入れておるよ」
どきり、とした。
「それは、」
声が震えた。
私は何を聞きたいのだろう。
彼の口から。
その先を言えずに口ごもっている私に、彼は穏やかに微笑んだ。
「お前さんが、今、望んだとおりの未来だ」
私は安堵のため息を吐いた。
そして、実感する。
私はまだ、本当の意味であきらめてはいないのだ。
どれほど、精神が絶望に侵食されても、私の魂は、幸せにつながるその道筋を知っている。
「行かな、くちゃ、」
私は立ち上がった。
そして、見下ろす形になった老人をもう一度見つめる。
目に焼き付けようとするように、じっと。
老人は破顔一笑して、頷いた。
それを合図に、私はぺこりと頭を下げて踵を返し、歩き出した。
「あ、」
まだ名前すら聞いていなかった。
そう思って振り向くと、そこに老人の姿はなかった。
しかし、気配はまだそこにある。
この世のものではなかったのかもしれない。
そう思うけれど、恐怖心は全くなかった。
私の心は、なぜか晴れ晴れとしていた。
現実は何も変わっていない。
私の状況は悪いままだ。
けれど。
「良くしていくことは、できる」
ぐっと、握ったこぶしに力を込めた。
命が脈動している。
私はまだ、生きている。
それこそが、証。
何故だか分からないけれど、私が本当に望む未来を手に入れたとき、また、彼に会えるような、そんな気がした。
未来への道筋 零 @reimitsuki
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