第18話
日付が変わり五月九日になる。俺は今近くの公園に一人で来ていた。
今日は俺にとってひと月に一度ある大切な日。初恋相手である
彼女が亡くなったのは去年の十一月。通り魔に刺されてしまう不幸な亡くなり方だった。
今日の夜空は曇っていて星が見えない。それでも見上げてるのはこうしていれば、今にもあの声が聞こえてくるのではと淡い期待をしてしまうから。
彼女の最後を誰よりも近くで、はっきり見てありえないことだと分かっているのにも関わらずに。
「あー、ちょっとだめだなこれ」
いつの間にか涙が零れ出ていた。今日は少し心が弱くなっている。
原因は分かっていて、天が夢に出てきたことだ。
「切り替えよ」
頬を軽く叩き家から持ってきた箱を開ける。その中にはチョコがかかっているドーナツが二つ入っていて一つを手に取り口に運んだ。
「あま」
天の一番好物だったチョコドーナツ。いつも俺と会うときは持ってきて一緒に食べていた。
「そういえば会った当初は食べなかったけど、あの量一人で食べてたのかな」
あの頃のことを思い出す。天は二日連続で四つものドーナツを持ってきていたけど、俺は全然食べていなかった。
多分一人で全部食べたのだろうが、よくもまぁ同じようなドーナツをあんなに食べれる。
俺も甘いものが好きだがそれでも二つで十分だ。
「にしてもあの時の俺、かっこつけて痛すぎだろ」
思い出した副作用に恥ずかしさが襲ってくる。
「掴んだなら全部食べろよ。何がこれだけ貰いますだよ。きついって」
恥ずかしさのあまり頭を抱えを身悶えする。
しばらくじたばたしているうちに、だんだんと冷静になってきた。
「でも天が変えてくれたんだっけ」
俺に変わるきっかけをくれたあの日。
「そう言えばあの時も今日みたいな星が見えない曇りだったな」
ここからは過去の話、天と出会って三日目の夜のこと。
「何してんだよ」
その言葉は誰でもない自分に向けて発した言葉。俺は今、昨日来ないと決めたはずの公園に再び足を運んでいた。
「ほんとに何してんだか」
ここへ来た理由は分かっている。昨日俺の去り際に彼女が言った、待ってるの言葉が頭から離れないのだ。
無視しても良かったが、何でか分からないがここで無視してしまえば何かを失ってしまう気がした。
「居なかったら帰ろう」
そう決め込んで外から公園を覗くと、彼女はベンチに座って月を眺めていた。
「綺麗」
無意識に口から出てしまうほど彼女の姿は美しかった。
俺と彼女との間には一枚の大きな壁があるのではと思ってしまうほど、現実離れしていて目を奪われる。
ただそうずっと目を奪われているわけにもいかない。
正直に言えば彼女が居た時のことを考えていなかった。彼女が来ていたとしても、帰ってもらうように少し時間を遅らせたのだから。
居なかったら帰る、逆に居たとしたら。
「そんなこと考えてもしょうがないか」
彼女は明日も、明後日も待ってると言っていた。そして今日俺が来ないかもしれないのに今でもずっと待っている。
本当は気づいていたんだ。言葉が忘れられない、なんて建前で本当はただただあの人に会いたかっただけなんだって。
俺は彼女に気づいてもらえるようにわざと足音を鳴らして近づく。
彼女は音に気づいてくれたのか、月を眺めていた視線を俺に向けてきて、嬉しそうな笑顔で手を振ってきた。
「……まじか」
こんな俺にそんな顔をしてくれるなんて本当に優しい人だ。だからこそやらねばならないことがあった。
「すみませんでした」
彼女の目の前に立ち謝罪の言葉を口にした。
優しさを踏みにじったことへの言葉。彼女は何故謝られたのか分かってないだろう。それでも、例え通じなくても前置きなんかせずに最初に伝えたかった。
「隣座って。今日もドーナツあるよ」
何か聞かれたら答えるつもりだったが、彼女は謝罪について何か聞くことはせず、隣を指さしてそう言ってきた。
俺が素直に従って隣に座ると、よろしいといった表情で頷き持っていた箱を開ける。
彼女の言葉で予想はついていたが、その中には相も変わらずチョコのかかったドーナツが入っていた。
「はい」
一つを手に取って俺の顔へ向けてくる
「ありがとうございます」
お礼を言い、向けてきたドーナツを受け取る為に手を出すと逆に彼女は手を引っ込めた。
「え?」
やっぱりあげないと、心変わりをしたのかと思ったがどうにも違って俺が手を下ろすとまた顔にドーナツを向けてくる。
訳が分からないものの、これで貰えると手を上げると彼女はまた手を引っ込めた。
だんだんと意地の張り合いみたいになって何回も繰り返すが、やがて俺の方が先に折れて口を開く。
「どういうことですか?」
「君こそ何で食べないの」
可愛く頬を膨らませて何故か俺が怒られた。
「俺が悪いんですか?」
「そうだよ。君が悪い」
「えぇー」
ただドーナツを受け取ろうとしただけなのに何が悪かったのか分からず困惑する。
そんな俺を見兼ねてか彼女が口を開く。
「いい? 女子が顔の前に食べ物を差し出してきたら、それは声に出してなくてもあーんってことなの。だから君は手で受け取っちゃダメ。口で受け取らないと」
どうりで毎回向けてくるドーナツが顔に近いと思ったのだ。
俺は受け取るつもりだったが彼女は食べさせるつもりだったのか。
「嫌ですよ。恥ずかしいですし」
顔を背け右手を差し出すことで自分で食べるとアピールをする。
「だめ」
「うわぁ」
俺の思いとは裏腹に、彼女はドーナツではなく空いていた左手で俺の右手を掴み、自分の方に引っ張った。
急に引っ張られたせいで、その場で耐えることが出来ずに寄りかかる形で彼女の方に倒れそうになる。
「ちょ、何してんですか」
幸いにも彼女の奥にあった手すりに左手を置けたため、支えることが出来て寄りかかることはなくなった。
しかし逆に問題も出来てしまって、覆い被さる体勢になってしまったことで彼女の綺麗な顔に近づいてしまう。
早く体勢を戻さなければならないのに、右手がまだ繋がられているせいで、体を支えている左手を離すことが出来ない。
ならばと下半身を動かして立とうと思うが、固まってしまい思うように動かない。
どうしようかと悩んでいると彼女が俺の目の前にドーナツを持ってきた。
「これで食べるしかないね」
小悪魔のような誘い方をしてくる。
「狙ってました?」
「たまたまだけどこの手は離すつもりなかった」
そう言って掴んでいた俺の右手を上げる。
「自分で食べさせてくれませんか?」
「だめ、昨日のこと忘れてないよね」
「ゔっ」
そこを突かれると弱い。
「今日はちゃんと食べるので」
「はい、口開けて。私も早く食べたいんだよ」
もう何を言ってもどうにもならなそうだ。
「ならせめて目を瞑ってくれませんか? 見られるのは恥ずかしいので」
「しょうがないな」
彼女は俺の言葉通り目を瞑ってくれたのだが、ここでまた問題が起きた。
そんなことはないと分かっているのに、顔が近いせいもあってキスを待っていると勘違いしそうになる。
こんな考えが出ることが恥ずかしい。
「まだ?」
「ふぁい。……。今食べます」
変なことを考えていたせいで、突然のことに奇声を発してしまった。
早く食べよう。恥ずかしさのあまりおかしくなりそうだ。
俺は彼女の顔を見ないように差し出されたドーナツを食べた。
「食べました」
俺の言葉を聞いた彼女は目を開け、欠けたドーナツを見ると嬉しそうな表情をした。
「はい、もう一口」
「勘弁してください」
くすくすと笑い、それが冗談であるとばかりに手を離してくれる。
初めてのあーんは恥ずかしさのあまり味が分からなかった。
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