第17話

「お兄ちゃん、お願い」

夜になり俺が携帯とにらめっこをしていると、ドライヤーを持ってきた蒼が目の前に座った。

「んー」

一旦携帯を近くに置き、蒼からドライヤーを受け取る。お風呂上がりで湿っている髪を乾かしていく。

もちろんこんなことをするのは今日が初めてではない。昔はしていなかったが両親が亡くなってからしばらくして、するようになった。

最初こそ覚束無い手つきだったが、今では慣れたもので乾かす手が止まることはない。

「ほら終わったよ」

蒼の髪が乾いたのを確認する。ゴーと鳴ってうるさかったリビングは、ドライヤーの電源を切ったことによって静かになる。

それを皮切りにじっと地べたに座っていた蒼が俺の隣に移動してくる。

「唯斗と蒼ちゃんって仲良いよね」

今の光景を見ていた瑠愛が後ろの椅子から声をかけてくる。

「普通だろ」

あまりに自然で気にもしていなかったが、瑠愛もお風呂に入って後は眠くなるのを待つだけというのに、今日はリビングにいる。

昨日はすぐに俺の部屋に行っていたのに昨日の今日で心変わりでもあったのだろうか。

「普通は妹の髪を乾かすなんてしないよ」

「そうか?」

「そうよ」

言われてみれば両親が生きてた時は、髪の件もそうだが今ほど一緒にいなかった気もする。

だとすれば普通よりかは分からないが、少なくとも昔よりは仲良くなったのかもしれない。

「あ、そうだ。瑠愛さんもお兄ちゃんに乾かしてもらうといいですよ?」

背もたれに肘をつけて後ろを向いている蒼が余計なことを口にした。

「俺が嫌だ」

「えー、なんでよ。私にはしてるじゃん」

「お前と一緒にするなよ」

ため息混じりに言う。

「蒼ちゃん、私からも遠慮するよ。唯斗にだって彼女がいるんだし」

今更だろとは言わなかった。結局許可したのは俺だし、何だかんだ空も追い出すことはしなかった。

「えーだったら瑠愛さん、自分で髪乾かさないの?」

「うん。ドライヤーの音が苦手でね。だから髪も自然に乾くように短くしてるんだ」

「そうなんだ」

蒼は納得しているようだが俺にはどこか本当のことには聞こえなかった。

それでもその話について触れることなく、俺はまた携帯とにらめっこする。

今見ていなかった数分の間に、また通知が一個増えている。

その通知を送ってきた相手こそ、俺がにらめっこするようになった原因の人物だ。

「大丈夫?」

俺の様子がおかしかったのか蒼が話しかけてくる。

「これ見てみて」

スマホの画面を見やすいように蒼に向ける。

「なにこれ? お兄ちゃん変なサイトにでも登録した?」

怪訝そうな顔でスマホを見ていた蒼が心配した声を出す。

「そんなことはないから安心しろ」

けれど蒼がそう思ったのも無理はない。最後に来たのが二時間前になっていて、そこから今に至るまでに十七件も来ている。

それも複数とかではなく凪紗という名前の一人でだ。

「じゃあなにしたの?」

蒼の中では俺が何かしたことが前提になっている。確かに身に覚えがあるが、ここまでになるとは思っていなかった。

「これが俺の担任って言ったら信じる?」

「信じない」

「だよな、でもこれ俺の担任」

記憶に新しく、半ば強制的に交換させられた連絡先。凪紗とは俺の担任である和泉凪紗である。

「嘘でしょ」

「俺も嘘がよかった」

信じられないといった顔をしている。俺だって信じたくない。

まさかここまでする人だとは思わなかった。

今なら連絡しなくなった卒業生の気持ちが分かる。これが毎日来ると思うとすでに無視したい。

「このまま放置出来たらいいのにね」

「学校行ったら嫌でも顔合わせるからな」

卒業生はもう会わないことができるから無視できるわけで、俺が無視なんてしたら次の日学校に行けなくなってしまう。

「どうかしたの?」

俺と蒼の会話が気になったのか後ろから声をかけてくる。

「これ」

ソファーを隔てて真後ろまで近づいてきたので、瑠愛にもスマホの画面を見せた。

「なにこれ、嫌がらせか何か」

蒼と似たような反応をする。

「俺らの担任の和泉だよ」

「え、あの所構わず煙草吸っていて、生徒から嫌われている目つきの怖いあの和泉?」

「そう、その和泉」

何も言っていないのに説明までしてくれた。

「連絡先なんて交換してたんだ」

「ほぼ無理やりな」

「ねぇ中見てみない?」

「そうしようよお兄ちゃん」

さっきまで心配そうにしていた二人は、今では珍しいもの見たさにわくわくしている。

俺もずっと通知を見て悩んでいるわけにもいかないのでそれに乗る。

「開けるぞ」

「うん」

「早く」

謎の緊張感が場を支配し、俺は和泉とのトーク画面を開いた。

「「「うわぁ」」」

そこには十七件中の最新の三つが写っていて内容を見た俺たち三人は同じ反応をする。

その三つには『無視しないで』、『返事して』、『心配してる』といったようなことが書かれていた。

「お、お兄ちゃん私やること思い出したから後は頑張ってね」

「私も向こうで携帯弄ってるから何かあったら呼んで」

二人して逃げようとするが、それぞれの手で二人の腕を掴み逃がしはしない。

「逃がさないよ、まじで」

「で、でも私たちにできることないって」

「そ、そうだよ唯斗」

「だからってこんな爆弾を一人で抱えるのは無理だ」

どうにかして逃げたい二人と何をしても逃がしたくない俺という構図が出来上がる。

こんなもの一人で読んでいたら何かが壊れてしまう。何をしてでもこいつらを留まらせないといけない。

仕方ないけど使うしかないか。この手は使いたくなかったがそうもいっていられない状況だ。

「瑠愛、今逃げたらお前が和泉の連絡先を欲しがってたって和泉に伝える」

「う、嘘だって言い張る」

「信じると思うか? このメッセージを見て」

「うっ」

このメッセージを見た奴にしか通用しない脅し。例え嘘だと言ってもしつこくされるのは予想がつく。

本当はこいつの連絡先で脅せればよかったんだが、俺は知らないからな。

「分かったからそれだけは勘弁して」

瑠愛が落ちたことにより瑠愛の腕を掴んでいた手を離す。

「蒼、お前も逃げたら……」

次の蒼にも同じような方法で脅そうとしたが途中で無意味なことに気づいた。

「私の連絡先なら教えてもいいよ」

瑠愛の場合は学校で顔を合わすため効果があるが、こいつの場合連絡先を和泉に教えたところで、それこそ卒業生みたいに無視すればいいだけのことだ。

それに向こうも誰だか知らない奴の連絡先で喜ぶとは思えない。

「……いや喜びそうだな」

そんなことを考えてる場合じゃない。

「ぶつぶつ呟いて、どうするの? やることあるから早く手を離して欲しいな」

何も言い返せないのをいいことに調子に乗っている。

こうなったら本気を出すしかない。正直脅しよりも使いたくない行為で、人に見せることすら躊躇ってしまう。

瑠愛には出ていって欲しいが俺が止めた手前、そうも言っていられない。瑠愛に見られてしまうのは諦めよう。

蒼の腕から手を離し、ふぅと一つ深呼吸を入れて動き始める。

俺がした行為とは蒼に向かって土下座をしたのだった。

「お願いします蒼様。何でも言うことを聞くのでここにいて下さい」

「唯斗……」

蔑みの声と視線を感じるが気にしない。

今は兄の尊厳なんかより橘唯斗の心を守るほうが大切だ。

「全くお兄ちゃんはしょうがないな。まぁ、そこまで言うなら私もいたあげるよ。言うこと何でも聞くの忘れないでね」

「サンキュー蒼、それでこそ俺の妹だ」

これで二人を留まらせることに成功して、爆弾を開けることが出来る。

「よし、早く終わらせるぞ」

「ちょっと待って」

そう言って画面をスクロールしようとしてた右手を蒼に掴まれる。

「どうした?」

「全部見る必要ないんじゃない」

「確かにな」

こういうのは全部見るべきだと、固定概念に囚われていた。わざわざ地雷だと分かっていながら踏みにいく必要はない。

「でも返信はどうする? 話題とか振ってきてたらどうしようもないぞ」

「そこはほら何となく返せば」

「何となくって俺にそんな技術はない」

ただでさえ友達とやり取りなんてしない人間なのだから。

「貸して」

どう返すか迷っていると後ろから瑠愛が右手を出して来たので、言う通りにスマホを渡した。

「これで多分大丈夫」

戻ってきたスマホを見てみるとそこには送信する前の文章が打たれていた。

そこには『心配させてすみません。俺あんまり携帯見ないので全然気づきませんでした。こんなんで良ければまた連絡ください。これからよろしくお願いします』と書かれていた。

「「おぉー」」

俺と蒼が感嘆の声を出す。

「これで送るか」

とは言ったものの、本音は連絡なんて欲しくないので、連絡くださいの一文だけ消しといた。

送信ボタンを押し一先ず厄介事は片付いた。

「瑠愛、助かったよサンキュー」

「瑠愛さん凄いです」

「そんなことないから」

あははと笑いながら頬を赤くして照れている。咄嗟にあの文を思いついたのは俺と蒼からすると凄いことだ。

もしかしたら瑠愛の言う通りあれぐらい普通のことなのかもしれないが、それを俺と蒼が判断することは出来ない。

けれど逆に普通じゃなかった場合どうしてすぐにあれだけの文が出てきたのか。

普通かどうか判断できない俺にそれを聞くことは出来なかった。

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