第16話
「それじゃあ送ってくるわ」
「蒼ちゃんまたね」
「また来てね空ちゃん」
二人の話し合いが終わると空は帰ると言った。
瑠愛からどこまで聞いているのか分からないが、俺からも言って終わりにしなければいけない。
だから送るという建前でついていく。空もそんな俺の気持ちをわかっているのか遠慮することはない。
今は一緒にいたい気持ちよりも謝りたい気持ちの方が大きい。
俺の家から駅までそう遠くはない。
こうして歩いている間も時間は過ぎていく。
話さなければいけないことも、聞きたいことも色々ある。ただ何から話せばいいのか自分の中で纏まっていない。
「唯斗くん、話したかったことって小鳥遊さんのこと?」
俺が悩んでいると空の方から話題を振ってくれる。
「そうです。あいつからどこまで聞きましたか?」
「昨日の放課後に私と別れてからのこととか、唯斗くんの家に泊まっていることも聞いたかな」
その二つを知っているのなら、ほとんどのことを知っていることになる。
だとすれば俺から説明することはない。俺から言うべきことは一つだけ。
「空先輩、ごめんなさい」
隣にいる空はどんな顔をしているのか。怖くて見ることが出来ない。
怒っている、あるいは軽蔑しているかもしれない。少なくともいつものような優しい顔はしていないだろう。
「謝っても許されないと分かってます。これが自己満足でしかないことも」
「勝手に決めないで」
「え?」
いつもの穏やかさとは違う、力強い声が隣から聞こえた。
初めて聞く声に怖さを忘れ、思わず振り向いてしまう。そこには怒るでもなく、ましてや軽蔑した顔なんかはしていなかった。
空は泣いていたのだ。
「自己満足じゃないよ。許してって言わなくても許すよ。だから別れるなんて言わないで」
「空先輩」
俺の考えは読まれていた。いつの間にか空が察せるほどにそういう雰囲気を出していたらしい。
泣いている空は顔を隠すでもなく俺の目を見て離さない。その目には、表情には力強い意思が宿っている。
そんな空の涙を拭って、気の利いた言葉でも言えたらどれほど良かったか。別れないと一言告げるだけでこの話は丸く収まった。
それでもしないのはその資格がないことに気づいているから。さっきの言葉を聞いてその思いは強くなった。
さっさと隣を空けよう。黒が白を染める前に。
「俺はあなたの隣に相応しくないです。最後まで優しくしてくれたあなたに、俺は最後まで優しくしていない」
「そんなことないよ」
「そんなこと、あるんですよ」
途中で否定してくれるが、空の欲しい言葉を知っていて言わない俺を優しいと言えるわけがない。
「それにあなたは別れることに悲しくて泣いてくれてる。でも俺は悲しくて泣くどころか笑うことが出来る」
あまり得意とはいえない作り笑いを空に向ける。
これで騙せるとは思ってない。けれど少しでも違うと理解してくれれば、これから言う言葉の理由付けにはなる。
「あなた何て呼ばないで、いつもみたいに空って呼んで」
「天海先輩」
俺は強くその名を呼ぶ。
「俺はあなたの隣に相応しくないです。だから別れ、ん」
突然口を塞がれるが、何が起きたか理解するのに時間はいらなかった。
空はキスをしてきたのだ。それもいつものような優しくではなく、少し雑に唇を押し付けるように。
腕は俺の頭を包み込み、寄りかかるように体を預けてくる。全てを使って離れたくないと言っているようだ。
俺はそんな気持ちを受け入れ、寄りかかる空を支えて抱きしめる。
元々嫌いだから別れるなんて言ったのではなく、好きで大切だからこそ伝えたかった言葉。
でも好きな人にここまでのことをされてはもう言えない。本音を言えば空と同じで別れたくないのだから。
俺の行動に満足したのか空が唇を離した。名残惜しさを感じるが今はそれ以上にしなければならないことがある。
「私の気持ち伝わった?」
先に口を開いた空からはもう涙を流していなかった。
「後悔しません?」
「もう1回しよっか?」
「お願いします」
「ばか」
笑いながら言う空は、いつもの俺が好きな空だった。
「好きです、空先輩」
今度は俺の番とばかりに顔を近づけると空は目を瞑る。
そのまま近づき、待っている空にキスをした。さっきと違って触れ合うような優しいキス。
ずっと一緒にいたいと思う反面、本当は今別れるべきだと分かっている。今回はよかったものの、この先深く残る傷をつける可能性があるぐらいなら、今浅く治る傷の方がいいと。
けれど、結局それは俺の身勝手な考えで、空にとっては今別れを告げても深く傷ついてしまうだろう。
だったらせめて空が最低限の傷で済むまではこの関係を維持しなければいけない。深く傷つかないように、いつまででも、例え永遠でも。
キスの終わりは唐突にやって来る。
「若いっていいね」
そんな言葉が耳に届き、共に慌てて口を離す。
いつの間にか二人だけの世界に入っていて、ここが路上だというのを忘れていた。
「やっちゃいましたね」
いつもキスをする時は二人きりの時だけに誰かに見られたことが恥ずかしい。
「帰ろっか」
空も俺と同じことを思ったのか頬を赤く染め、照れ笑いをしている。
いつの間にか止まっていた足を動かす。
「何か俺にして欲しいことありませんか?」
歩を進めれば照れくささはどこかへいき、いつも通りに戻る。
「して欲しいこと? 急にどうしたの?」
「先輩は許してくれたけど、最低なことを隠すという酷いことをしたので。せめて罪滅ぼしでもと」
「あんなことぐらい気にしなくてもいいのに」
空にとって瑠愛を泊めていたことは、あんなことで済むぐらい軽いことなのか。
信用されているようで俺は嬉しいけど。
「それに唯斗くんにも理由があったんでしょ。断ろうと思えば断れたもん」
多分脅されたことを知っている。そのうえで言っているのなら俺と同じだ。
「気づいてたんですね」
「彼女は成功したと今でも思ってそうだったよ。教えてあげないの?」
「いずれ教えます」
今だから言うが瑠愛がやったことは脅しにしては雑すぎる。強姦をネタに使ってたが物的証拠を作っていなかった。
どんなに瑠愛が叫んでも、俺が否定し続ければ何ごともなく終わる話であって、せいぜい少し噂になるぐらいだろう。
それにそもそも携帯を取らなかった時点で、この計画は破綻してる。人なんて呼ばれたらもってのほかだ。
「それよりも、理由があるにしろ隠してたんです。だからせめて少しぐらい罰がないと割に合わないですよ」
「んー、でもな、特にないんだよね」
「何もですか? 何でもいいですよ」
頑張って何か捻り出そうとする。すぐに思いついたのかこっちを向く。
「唯斗くん、私のこと空って呼んで」
「いつも呼んでますよ」
「違うの、呼び捨てで呼んで」
俺にして欲しいことは思っていたよりも単純で、簡単なものだった。
「空。これでいいですか?」
「うん、すごくいい」
呼び捨てにしただけでほとんど変わっていないのに空はすごく喜んでいる。
「でも呼び捨てで呼んで欲しいってどうしてですか?」
「唯斗くんにね、呼び捨てで呼ばれてドキッてなって、なんだか嬉しくなったの。だからまた呼ばれたいなってこと思い出したの」
呼び捨てで呼んだ記憶がないが、空がこんなにも喜んでいるのをみると、そんなことどうでもよくなる。
いつかの俺に感謝しないといけないな。
「着きましたよ」
「ほんとだね」
駅に辿り着き、空と別れの時間がやってきた。
「またね、唯斗くん」
「また明日」
手を振り改札の方へ向かっていく。俺も家に帰ろうと振り向いた時、まだ伝えていなかったことを思い出す。
「空」
名前を呼び、走って空の背を追い腕を掴む。
「どうしたの?」
「土曜か日曜、どっちでもいいんでどこか行きません? 」
「いいよ、空けとくね」
「よかったです。それじゃあ行き先はまた明日にでも」
「うん、今度こそまたね唯斗くん」
改札を抜けたことを確認して俺はその場にしゃがむ。
疲れたからではなく、悩みの種が終わって安心したからでもない。
このにやけている顔で歩くわけにはいかないからだ。
「可愛かったな」
空に対して可愛いと思うことは少ない。いつも可愛いより綺麗が上回ってしまうからだ。
それでも今日は、というより俺が空と呼んでからはずっと可愛いが上回っていた。
少しテンションが高くなって、はしゃいでいた感じが、いつもの綺麗な大人しい感じとは違うものがあり、そう思わずにはいられなかった。
ずっと我慢していただけあってすぐにこのにやけた顔が収まらない。それでもずっとしゃがんでいる訳にはいかないので、咳をしているかのように顔に手を当て立つ。
瑠愛という不安の種もなくなって、デートという楽しみが増えた。
「ドーナツでも買って帰るか」
昨日と今日で色々なことがあったがようやく一段落着き、これから落ちつけるだろう。
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