Alexander's dark bandー私だけのヒーローー

MACK

光の間にあるものは


 「これが今回るエチュードです」と、無感情かつ機械的にスタッフから渡された紙。五十に渡る項目と、それぞれの設定や台詞が一覧となっていて、十数ページにわたる膨大な量だ。これらを連続で一気に演技しなければならない。


 業界への登竜門となるオーディション。演出家で脚本家、舞台監督でもある業界ナンバーワン菅谷恵一すがやけいいちの次回作。一人に百人を求めるという菅谷すがや氏の審査は厳しいの一言で、女優に求めるのは幼女から老女、聖女から殺人鬼まで多岐にわたる。そんな彼の地獄のオーディションに参加するまでも茨の道なのだが、これで採用が決まれば以降は花道しかない。

 周囲の参加者は早々とページを繰り、ブツブツと呟きながら台詞の暗記をはじめており、私も慌てて資料に目を通す。


 すでに何度も演劇部の活動で経験していた役が多く、ほっとする。

 と、同時に、頭の中であいつの声と言葉が蘇る。


『同じ登場人物でも、演出によって解釈が違うんだ。それをくみ取るのを忘れちゃいけない』


* * *


「今の、織田さんそのまんまだったね」


 黒縁眼鏡の地味な同級生、そして同じ演劇部の吉岡正よしおかただしが言った。この指摘にはムッとしたけど、すごく真剣なまなざしだったから、咄嗟に反論できずにいた。


「吉岡先輩、どうしていつもそういう事言うんですか! 織田先輩、すごく素敵でしたよ。さすがの演技力です」

「もう若草物語のメグは、織田有栖おだありす以外はないという完成度だった」

「ありがとう山田さん、鈴木さん」


 後輩や他のメンバーがキラキラした目でフォローしつつ、吉岡をいさめてくれて、若干だが溜飲が下がる。


 吉岡はいつもそうだ。私が演技をすると、何らかの苦言を呈して来る。彼は俳優志望じゃなく演出家志望だから、他の部員と視点が若干違うのはわかるけれど。


 眼鏡を外して拭きあげるとかけ直し、それでも彼は言うのだ。


「同じ登場人物でも、演出によって解釈が違うんだ。それをくみ取るのを忘れちゃいけない。今のはなんとなく、自分の素でやれるという油断を感じたんだ僕は」

「まだ言うのか吉岡君」


 三年で部長の香川さんがスイっと私達の間に入って来る。


「織田君の演技は完璧だったよ。メグの葛藤も良く出ていたし、しっかり者だけど少し弱気になるところなんて最高だった」


 若草物語のメグはりやすい。生活環境も似ていて長女の縛りや責任感で共感できる部分も多く、すんなり役に入る事が出来るのだ。こういう自分に似てる登場人物は演じやすいとは思うけれど、別に油断なんて、……とは言い切れなくて、自分自身は何の反論もできない。


 先日の全国演劇コンクールでこの演劇部が最優秀賞を獲得。その論評では特に、主役を演じた私の評価が高かった。今では毎日のように芸能事務所から連絡が来て、スカウトの声もかかる。

 これまで演劇に興味がなかった人も声をかけてくれるし、褒めてくれたりも。サインしてください、なんていうのもあったっけ。

 部長も厳しい人だったのに、コンクール以降は演技に指摘や指示を出して来る事がなくなったのだ。


 そんな状態になっても眼鏡地味男の吉岡だけは、変わらず私の演技にケチをつける。


「やっかみですよ、織田先輩への」

 そっと後輩が耳打ちしてきた。

「マイナスな事ばかり言って、先輩の足を引っ張ろうとしてるんですね。誰かの足を引っ張っても自分が上に行けるわけでもないのに最低!」


 それでも後輩の言葉に頷く事はできなかった。明らかな嫉妬の暴言は他の人からも受けていたけど、そういうのとは何処か違うような気がして、困ったような顔で笑うしかなかった。後輩は「先輩は優しいから」と心配そうな顔をして、吉岡は苦い顔。それでも真っすぐ私を見ていた。


 だから。


「うん、気を付けるわ」


 アドバイスは受け取りましたし、しっかり納得しましたよ、なんて演技を全力でしてニコリと笑って見せると、吉岡はそれも見破ったように、長いため息をついて部室を出て行った。


* * *


 大事なオーディションを前にして、あんな風に私の心を乱す奴の顔や言葉を思い出すなんて――でもあの顔は――。

 こちらを見る心配そうな顔、苦言を呈する時の苦しそうな表情、私の会心の演技には満面の笑顔。あいつは演出家希望で俳優志望じゃない。だからその顔は全部、彼の素の感情そのままという事だ。


 そんなものがポンポン浮かんで集中できない。


 集中できないが……一つ一つの題目を集中して見られなかったせいか、全体像を把握する感じになって「おや?」という違和感を感じた。

 ひとつひとつの題目は、有名な小説や映画のメジャーなワンシーン、そして主人公クラスの登場人物なのだが、それに菅谷すがや氏の解釈が加わっている気がしたのだ。


 周囲では「あー、シャーリー・マクレーンってこのセリフの時どんな表情だっけ」「この映画見てないや、デビー・レイノルズなんて知らないよ~」という嘆きが聞こえる。


 違う。

 これは人真似をするオーディションじゃない。

 ましてや本人の解釈を欲している訳じゃない。


『同じ登場人物でも、演出によって解釈が違うんだ。それをくみ取るのを忘れちゃいけない』


 また彼の声が頭に木霊した。


 ――ああ、そうか。


 まわりがキラキラした美辞麗句を並べているから、彼がマイナスの言葉を発して見えるだけだったんだ。光と光の間の空間は、明るさがそのままでもその対比で暗く見えてしまうように。

 コンテストの結果に周りが態度を大きく変えても、彼だけは肩書や評価じゃなくその都度の私自身をしっかり見続けて必要な意見をしてくれていたのだ。

 そして今の私を助けてくれるのは、光り輝く誉め言葉ではなく、悪役になる覚悟でいつも通りの苦言を呈してくれた彼の言葉。

 本当の意味で私を助けてくれる救世主ヒーロー


 ぐっと手に力を入れて、資料を読み込んだ。



 帰り道、今までかけたことのない番号に電話する。部員みんなで番号を交換していたけど、かけるのは初めて。でも結果を真っ先に伝えたかった。少し悔しいけど、あいつの言う通りだったから。


 電話に出た彼の声に、色々な思いがこみあげて涙が溢れそうになって、一言だけでオーディションの結果を伝えたら、はじけるような明るい声が返って来る。


 その時電話の向こうでどんな表情をしているのかが容易に想像できて、私も結構あいつを見ていた事を認めざるを得なかった。


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