山羊の眼
江渡由太郎
山羊の眼
動画を再生した理由は、特にない。
ただ、仕事から帰って、コンビニ弁当を食べ終え、風呂に入る気力もなく、ベッドに仰向けになったまま淳(あつし)はスマホをいじっていただけだ。
おすすめ欄に、見覚えのない動画があった。
【※音量注意※ 最後まで見てください】
再生数は異常に少ない。
コメントはオフ。
サムネイルは、暗い部屋に置かれた何かの眼だった。
白目がやけに黄色く、瞳孔は横長。
――山羊の眼だ。
淳は本能的な直感では気味が悪いと思ったのに、指は止まらなかった。
再生ボタンを押した瞬間、画面が暗転する。
ザー……というノイズ。
次に映ったのは、どこかのリビングだった。
古い日本の住宅。
見覚えがある気がして、背中がむず痒くなる。
ソファ。
テレビ。
カーテンの柄。
自分の部屋だった。
「……は?」
思わず声が漏れた。
動画の中の部屋は、今まさに自分が横たわっているこの部屋と寸分違わない。
ただ、一点を除いて。
動画の画面奥、テレビの反射に、
こちらを見ている“何か”が映っていた。
人間の輪郭をしている。
だが、顔だけが異様だ。
眼。
横に裂けた、山羊の眼。
まばたきもしないまま、じっとこちらを見ている。
動画は無音だ。
なのに、耳鳴りがひどくなった。
再生時間は、まだ半分もいっていない。
止めようとした。
だが、画面が反応しない。
動画の中で、“それ”が一歩だけ前に出た。
テレビの反射越しに、こちらを見て笑った。
その瞬間、スマホが熱を帯びた。
視界が揺れ、部屋の空気が急に重くなる。
首の後ろに悪寒が走り、ただならぬ不気味な気配がある。
振り向いてはいけないと、本能が叫ぶ。
だが、動画の再生は止まらない。
画面の中の“それ”が口を開いた。
声は出ない。
だが、言葉は直接しみるように頭の内側に流れ込んでくる。
「見たね」
スマホの画面が、こちらを映した。
ベッドに横たわる自分。
蒼白な顔。
眼だけが異様に見開かれている。
そして――。
その背後に立つ、山羊の眼。
再生時間が、残り一秒になった。
「終わりだと思った?」
動画が終わった。
画面は、いつものホーム画面に戻る。
部屋は静か。
何も起きていない。
……はずだった。
首が痛い。
否――違う。
視線が首の後ろに“刺さっている”。
振り向かなくても分かる。
――いる。
見なくても、分かる。
目を閉じても、スマホを投げ捨てても、布団をかぶっても――。
山羊の眼は、淳の内側から見ている。
それからというもの、動画を再生するたびに、ほんの一瞬だけ音が遅れる。
鏡を見ると、自分の眼の奥に、横長の影が映る。
眠る直前、必ず同じ囁きが聞こえる。
「次は、どの動画を再生する?」
苦しみは終わらない。
再生されたからだ。
――あなたも……もう一度、スマホを手に取るだろう?
そのとき、サムネイルの眼が、瞬きしていないかだけは、確かめたほうがいい。
もっとも、確かめたところで、もう遅いのだが……。
――(完)――
山羊の眼 江渡由太郎 @hiroy
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