第8話 盗賊と少年

 これは或る盗賊と少年の話です。

 

 少年の名をガロと言いました。

 ガロはとても貧しい家に生まれた為、幼い時からお金を稼ぐために働きに出ていました。しかし、彼は大人ではないので大した仕事は出来ません。

 彼の仕事は水車小屋で収穫された麦を打って粉にする仕事でした。それは水車小屋で誰とも話をすることのないとても孤独な仕事でした。その為か、いつしか彼は誰かと話す事も無くなり、言葉を忘れてしまい、やがて本当に言葉を忘れただけでなく、やがて少年自体が持つ豊かな喜怒哀楽の感情すらも無くしてしまいました。

 

 そんな彼が幾つかの季節を巡ったある日のことです。

 

 その日は太陽が早くに空から隠れ、そしてどうしたことか辺りは暗くなり強い風がびょうびょうと吹き始めました。あまりにも強い風が吹くのでガロは顔も上げられないまま一人で風車の有る小屋に向かって歩いていると、やがてびょうびょうと鳴る風音が響く中で声が響いてきました。


 ——置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ


 ガロはその声に顔を上げます。

 頬には強い風が当たり、今にも顔を吹き飛ばさんばかりの勢いです。

 すると僅かに見開いた視線の先に誰かが居ます。

 しかし、ガロは尋ねません。何故なら言葉を忘れてしまったからです。


 ——置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ


 ガロは無表情のまま、ただ一点だけを見ています。彼の周りにはびょうびょうと吹く風音が響いています。

 すると、ガロの前に突然大きな影が舞い降りてきました。しかし彼は驚くことなくただじっと影を見ています。見れば影で顔ははっきりと見えませんでしたが背丈と声から自分と年変わらない少年の様でした。また腰には見事な金細工の意匠が施された短剣が吊るされているのが見えました。

 すると影の少年は言います。


「俺は盗賊だ。さぁ俺に出会ったが最後。ここに置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ」


 ガロは驚くことも無く、また言葉の意味が分からない為、唯、吹き荒む風の中で立ち尽くすだけです。その様子に盗賊の少年は不思議そうにしてガロを覗き込みました。


「何だお前?俺が怖くないのか?それとも何か夢でも見ている心地なのか?」


 盗賊は言うや、ガロの懐に手を素早くやると巾着を取り出しました。それはガロが一生懸命稼いだ金銭でした。盗賊は金銭を残らずとると後は巾着を投げ出して、何処かへ消えて行きました。

 ガロは金銭を失くしてしまい、唯一人吹き荒む風の中で投げ出された巾着袋を懐に仕舞うと何も言わず、仕事場である水車小屋へと強い風の中、ひとり歩いてゆきました。

 しかし、不思議な事は続くようです。

 翌日もまた太陽が雲に隠れてしまい、強い風が吹いていました。

 ガロはまた強い風の中、仕事場である水車小屋へと歩いてゆきます。

 するとまたびょうびょうと吹く風の中、声が聞こえるのです。


 ——置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ


 ガロは顔を上げます。

 するとまた視線の先に盗賊の少年が居ます。

 すると盗賊はガロに近寄るといいます。


「俺は盗賊だ。さぁ俺に出会ったが最後。ここに置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ」


 言うや盗賊はガロの懐に手を入れます。しかしながら、その手先に握る筈の物がありません。それに気づいた盗賊が言います。


「お前、身銭はどうした?」


 ガロは何も言わず唯、盗賊を見ています。

 すると盗賊はガロをいきなり羽交い絞めにして衣服を剥ぎ取ってしまいました。


「無いなら、コイツを措いてけ」


 なんと酷いことをするのでしょう。盗賊はガロから衣服を剥ぎとると、またどこかに消えてしまいました。そしてガロは一人薄着で強い風の中に晒されてしました。しかし、ガロはそれでも仕事場に健気に向かうのでした。


 不思議な事はどうも次々とトランプを捲る様にやって来るようです。

 翌日も強い風が吹く日になりました。

 ガロはそれでも仕事場に向かいます。実はガロの身体は風前の灯でした。何故なら盗賊に金銭を奪われ空腹が酷く、そして衣服を剥ぎ取られ身体は凍える程の冷たさで震えていたからです。それでも貧しいガロは働かなければなりません。強い風の中、ガロはふらつきながらも小さな杖を突きながら水車小屋へと向かってゆきます。

 するとどうでしょう、再び声がしました。


 ——置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ


 その声にガロは顔を上げます。上げると視線の先に盗賊の姿が見えました。

 盗賊は言います。


「俺は盗賊だ。さぁ俺に出会ったが最後。ここに置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ」


 言うや盗賊はガロの前に立ちました。

 そして盗賊はガロに言います。


「金銭も失い、衣服も無いお前から俺が何も盗めないと思うなよ。お前はまだ大事なものをもっている。それは何か?分かるか?お前はまだ「魂」というものを持っている。いや「誇り」と言った方が良いかもしれない。俺はお前からそれを盗む。いいか?良く聞け、「誇り」と言うものは人間の尊厳だ。しかしながらお前はそれすらも必要としていないようだ。厳しい現実に対してなんにも感情を現さない無表情こそ、もう、お前が人間ではないという証なのだ。そんな奴には「誇り」なんていうものは要らない。だから置いてけ、置いてけ、みんな置いてゆけ」


 言うや盗賊はガロの頭に手を伸ばしました。頭からガロの「魂」を、いや「誇り」を抜き取ろうとしたのでした。

 しかしその時でした、突如、ガロは手にした杖を振り上げて激しく盗賊の手を打ちのめしたのです。打ちのめしただけではなくガロは強い風の中大きな声で忘れていた言葉を思い出して言い放ったのです。


「僕は盗ませない、たとえ、金銭を奪われ身包みを剥がされたとしても、最後の『誇り』だけは盗ませない!!」

 するとどうでしょう。ガロが盗賊に向かって振り上げた杖は見る見る内に見事な剣に変わっていったのです。それだけではありません、ふらつくような風前の灯火だった彼の身体も心の奥底から湧き上がる力に突き動かされ、強い風が吹く中でも盗賊の前で頑強になったのです。


「去れ!!盗賊!!僕からもう盗むものは何もないぞ!!」


 ガロが声を張り上げました。

 盗賊はその力強さに打たれたように僅かに背を逸らすと、やがて大きな笑みを浮かべました。浮かべると今度は両手を大きく空に向かって広げます。するとびょうびょうと吹いていた風は止み、やがて空を覆う雲が流れて行き、太陽が顔を出しました。

 ガロは驚いて盗賊を見ます。

 驚くガロを見て盗賊は大きな手を元に戻しました。

 するとどうでしょう、影で隠れた顔はとても美しく黄金色の巻き髪が風に吹かれ、朱色のマントを肩にかけ見事な刺繡の施された服を纏って手には少年から盗んだ巾着と服を手にしています。やがて盗賊はガロに近寄ると跪いて盗んだものを差し出したのです。

 盗賊は言います。


「——少年よ、君は今全てを取り戻したのだ」


 ガロは盗賊の声を聞いて、盗まれたものを受け取ると盗賊の顔を見ました。盗賊の顔には美しい微笑が浮かんでいました。盗賊は言います。


「少年よ、人間の世は常に厳しい、それゆえに何かを失うこともあるだろう。君は少年なのに厳しい労働と孤独で言葉と豊かな感情を失った。それは余りにも少年の身で儚いことだ。私は君を宇宙から見て思った。君に試練を与えて、もし最後の試練に打ち勝てば失くした全てを与えようと」


 盗賊はガロの背に手を回すと抱かつき、そして耳元で囁きました。


「最後の試練で『誇り』を捨て去らなかった君に神の恩寵が長くあらんことを。私の事を人々は天の御使いと言う。名はラファエル。やがていずれの時に再び君の前にあらわれよう。さらば少年、神の祝福があらんことを」


 そう言葉を残すと盗賊、いや、御使いラファエルは姿をガロの前から忽然と消したのでした。



 古きウエールズ、ブルターニュ地方にはアーサー王伝説があります。いえ、それだけはありありません。私達が生きる世界には『誇り』と共に生きている伝説上の人々が沢山いることを現代に生きる私達は知っています。

 少年ガロとは一体誰の事だったか、そう思った時に私達は古き伝説の門を叩き、そこに紡がれている伝説や物語を知る事でしょう。

 人間が最後まで持ち続けなければならないもの、それを思う時、貧しい少年ガロが振り上げた杖の先に込められたものを考えるべきかもしれません。


 何故なら私達はやがて杖を突いて、最後の「誇り」ともいえる人生の時間を過ごさなければならないのですから。





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児童文学集 日南田 ウヲ @hinatauwo

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