私、絶滅危惧種なので

鬱金香

月野

「私、絶滅危惧種なので、なにかご飯頂いてもよろしいですか?」



全身に張り詰めた緊張がパツンと言う音をたてて切れたような感じがした。


目の前にいるのはクマだ。

胸にV字の白い斑紋が入っている、体長が2メートル近いクマだ。

遭遇した瞬間に全身の毛穴から脂汗が吹き出るような錯覚が起こり、全ての感覚が逃げろという危険アラームを発していた。

しかしその感覚に反していきなり目の前の巨大なクマは喋り出した。



「あの、人間さん、聞こえてます?」



既に脳の処理能力を過剰に超えてしまっていた俺は何も反応することができない。

そんな俺の状態はつゆ知らずクマは俺の方に向かってくる。

もうなにがなんだかわからない。

こんな状態どうすればいいんだよ!!!!



「もう、別れよ」



2週間前、5年付き合ってきた彼女にそう言われた。

何かあったわけではないが彼女には思うところがあったのかもしれない。そのことを知るすべはもうない。まぁ世間一般的に言えばマンネリだったのかもしれない。お互いこの人と結婚するんだなと思うことなく付き合ってきた気がする。


俺は傷心旅行と題して有給を使い四国へ来ていた。

香川県のうどんを食べたいなと思ったのが主な理由なのだが四国へ来るのは初めてだったのでいろいろ見て回ろうと思ったのだ。

その中で景色が綺麗でリフトも有り、手軽な山登りスポットとしてガイドブックに紹介されていた徳島県の剣山に来ていた。尾根を歩いて山頂に向かうことができる山で景色が素晴らしいのは約束されているのがわかり内心とてもワクワクしていた。


11月中旬の平日ということもあり観光客はほとんどいなかった。

リフト乗り場に来て俺は迷っていた。

たしかにリフトに乗ればすぐ山頂に着けるのかもしれないがなんか味気が無いなと。

東京都民で言えば高尾山みたいな感じなのだろう。

せっかくここまで来てるのだから下から自分の力で登ってみたいという欲を抑えきれず俺は神社の境内から繋がってる登山口へ足を進めた。


登山口から進むと森の中を歩いていくルートになる。しっかりと整備されており獣道のような感じではない山道を2,30分ほど歩いた。

そしてくの字に曲がった道を進むとそこには山道の真ん中に黒い物体が存在していた。


俺の中の全危険アラームが鳴り始める。

あれは危険だ、逃げろ、逃げろ。

そうアラームが大音量で頭の中で鳴り響くが体が動かない。後ろを向いていたそれはゆっくり俺の方を振り返って二本足で立ち始める。

もうだめかもしれないと覚悟を決めたその時、



「私、絶滅危惧種なのでご飯頂いてもよろしいですか?」




「もー!まったく!人間さん、美味しいご飯持ってるじゃないですか!早く出してくれればよかったのに!」



未だに理解が追いついていないが俺は今登山道を少し外れて倒木を椅子にしてクマと雑談している。

俺が山頂で食べようと思って持ってきたおにぎりを数個あげたらクマは満足そう食べていた。



「えっと、あなたはクマ?」



俺は恐る恐るクマに尋ねる。



「そうですよ!ツキノワグマです!人間さん達の間では絶滅危惧種なんて呼ばれてます。保護しなきゃいけないらしいですよ?私を敬ってください」



随分生意気流暢に日本語を使いこなすクマだとは思ったが見る感じきぐるみとかではなさそうだ。



「人間さん、お名前は?」



「山内と言います」



なぜ俺はずっとクマに敬語を使って話しているのだろうとも思ったがあまり気にしないようすることにした。



「山内さん!まだ食べ物隠してるでしょう、全部出してください!」



そう言うとクマは俺のバッグをくんくん嗅いできた。



結論から言うと持ってきたおにぎりとサンドイッチとポテチとせんべいを全部食われてしまった。少し俺も食べた。



「あー!美味しかった!山内さんごちそうさまです!」



飯を奢って貰った後輩さながらの快活さで両手を合わせながらクマが頭を下げる。

まぁ自分が彼の食事にならなかっただけでマシだったと思おう。

そして俺は彼に思っていた疑問を投げつける。



「なんであなたは喋れるんですか?」



「なんでと聞かれましても……

しゃべれるんでね、何故かはわからないですが。気がついたら喋れてました」



「ツキノワグマが絶滅危惧種だと言うのはどこで知ったんですか?」



「この前ご飯を頂いた、人間さん、東原さんって方に教えて頂きました!」



他にも何個か質問をしてみたが要約してみると何故喋れるようになったのかはわからない、時々人間が通る道に来て話しかけて食べ物を貰うらしい、様々な知識は会った人間に教えてもらっているらしい。



「名前はあるんですか?」



俺はふと思いこのクマに尋ねる。



「あー、ありますよ。月野です。漢字はお月様の月に野原の野で、月野です。安直過ぎてあんまり好きじゃあないんですがね。初めて会った人間さんが付けてくれました。三浦さんって方なんですが」



やっぱりこのクマは流暢に喋る。しかもやはりちょっと馴れ馴れしい。

これはサーカスに連れてったらいい金になるのではないだろうか。世界中から月野を見に人がやってくるぞこれは。

なんなら俺がサーカスを主催して世界中を飛び回って億万長者になってやろうか。



「あー、山内さんなんか悪いこと考えてますね。大方私を見世物にしてお金を稼ごうとか思ってますかね?」



まさかのお見通しだった。



「びっくりされてますけどそんなことは殆どの人間さんは考えるみたいですよ。毎回言われますもん。

ただ残念ですが私は人里に一定の距離近づくと喋れなくなるんですよね。」



俺の億万長者計画は一瞬で崩れ去っていった。

目の前に金のなる木が現れたと思ったのに非常に残念である。



「そういえば山内さんは何故剣山へ?」



「彼女と別れたんで傷心旅行って感じで来たんですよ」



2週間前に別れた彼女の話を踏まえて今の現状を月野に話した。



「山内さんはゆくゆくは結婚したいとかあるんですか?」



黙って話を聞いていた月野が口を開く。



「結婚したいけれど出来るかわからないですね。

好きな子に出会えるかもわからないですし」



「うーん、絶滅危惧種の私からしたら人間さん達の考えは我儘の極みですね。

同種のメスがそこらへんでいっぱいウロウロしてるんでしょう?繁殖し放題じゃないですか」



あんまりそんなふうな考え方はしたことがなかった。

たしかに周りに女性がいることが当たり前であってこういう子がいい、こういう外見がいいなど我儘だったかもしれない。

世界にほとんど同じ種の相手がいなければ選択の余地も無いというのに。



「私は絶滅危惧種ですからあんまり相手がいないんですよ。メスの匂いがしたと思っても、もうそこにはいなかったり、だいぶ昔の匂いだったりね。

だから私は初めて会ったメスとつがいになると思います。お互い選択の余地は無いですね。そう考えると人間さんはこの子がいいとかこの子は嫌だとか贅沢すぎるんです」



「たしかにそうかもしれませんね」



俺は月野の意見に同意した。



「だから私は人間さんが羨ましいですよ!そんな人間さんの山内さんはもっと自由で楽しくいてください」



まったく、このクマは生意気で流暢かつ、悟りを開いたクマだなと思いながら月野を見つめる。

月野はニコニコと大きい口を少し開きながら俺を見つめている。



「贅沢で我儘に生きてもいいですかね?」



「もちろん、山内さんがそれを望むなら」



その言葉を聞いてニコニコと少し口を開きながら月野を見つめ返した。





月野との不思議で非現実的な時間はあっという間に過ぎていった。

周りが少し暗くなってきた。



「俺はそろそろ帰ります」



「そうですね、いい時間かもしれません。そろそろお開きとしましょうか」 



月野が手で膝を叩きながら倒木の椅子から立ち上がる。

俺も倒木から立ち上がり月野の方を向く。



「山内さん、恋愛も他のことも山内さんらしくしていけばいいと私は思いますよ。私とは違ってあなたには無限の可能性がありますから」



全てを見透かされているような口調で月野が言うものだから俺はびっくりしてしまった。



「最近、仕事もうまくいってないのも気づいてましたか?」



「クマの嗅覚は犬の約7倍なんですよ、なんでもお見通しならぬ嗅ぎ通しです」




そう言うと月野は俺に背を向け山の方へ向かっていく。

そして少し離れたところで振り向くとこう言って走り去っていった。



「山内さん、また来てください。次はもっと食べ物持って来てくださいね、ちゃんと保護してください。私、絶滅危惧種なので」


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私、絶滅危惧種なので 鬱金香 @iruy-no

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