PINKー桜舞う季節にー
枡本 実樹
春 ― 別れと出会いの季節
春。別れの時。
待ち望んだ、この校舎との最後の日。
僕は今日、この中学校を卒業した。
学校に通ったのは、一年生の二学期途中までだった。
なんの思い入れもない校舎。
式典には参加しなかったので、書類と備品の受け取りにだけ来ている。
職員室で今年担任だったという名前だけ知っている先生に、卒業証書をもらって来た。
やっと終わった。
そう、思った。
入学してすぐ、僕は剣道部に入った。
親友との約束を守るために。
“ アキちゃん ” こと 大崎アキサト。僕の唯一の親友。
祖父同士が二人とも剣道の師範だったので、小学校に上がる前から一緒に道場に連れていかれ、稽古を共にした。
真夏の稽古も嫌だったけど、真冬の寒稽古は何年やっても慣れることなく、辛くて逃げ出したかった。
そんな時も、凛とした表情で
同じ小学校に入学した。
小さな小学校だったので2クラスしかなく、よく同じクラスになったし、違うクラスになってもアキちゃんは帰りに待っていてくれて、僕らはいつも一緒にいた。
いつかの帰り道、アキちゃんが言った。
「じいちゃんたち親友なんだって。でも、オレとサクの方がもっと仲良しだから大親友だよな。」
友達という言葉しか知らなかった僕が、初めて【 親友 】という言葉を知った日。
なんだか、胸がこそばゆいような・・面映ゆい気持ちになったのを憶えている。
アキちゃんは明るくて優しくてかっこよくて、クラスの人気者だった。
そんなアキちゃんが、僕のことを特別扱いしてくれて、僕は嬉しかった。
アキちゃんとはずっと一緒にいられると思っていた。
でも、小学六年生の冬に、アキちゃんのお母さんが再婚して、春に引っ越すことが決まったと教えてくれた。
「電車で6つ目の駅だからさ、いつだってすぐ会えるって。」
そう言って、アキちゃんは笑っていたけど。たぶん僕は上手く笑えていなかったと思う。
中学校は別々になる。
剣道部に入って、一緒に優勝とりに行こうぜ!なんて話してたのに。
淋しいよ。
卒業式の後、帰り道でアキちゃんが言った。
「学校が違っても剣道は続けような。オレいつかサクにかっこよく一本取れるように稽古頑張るからさ。」
「うん。続ける。約束する。」
また会える日まで、僕も頑張ろう。
あの日、そう思ったのを、まだ鮮明に憶えてる。
中学校はマンモス校だった。
だが、サッカーや野球と違い、武道は人気がないらしく、剣道部は部員全員で十数名という少なさ。
学年問わずの練習。同級生だけでなく上級生にも勝ち続けた。
それがいけなかったらしい。
部活での嫌がらせが始まった。
詳しく説明しなくても、誰にでも想像のつくような内容。
武士道について、ずっと祖父から学んできた僕は、その卑怯な手口に動じなかった。
そして、それもいけなかったらしい。
同じクラスにいた体格が大きいゲスいやつが、教室の中でも色々とやり始めたのだ。
モノがなくなる。上靴に画鋲が入れられる。
足をかけられる。階段から突き落とされそうになる。殴られる。蹴られる。
何度か仕返したいと思ったこともあったが、そんな卑怯なやつを相手にするのは、自分を
二学期が始まって一ヶ月経った頃だった。
嫌がらせが毎日続く中、ソイツが大声で言った。
「石田って女みたいな顔して、体も細いくせに、なんで剣道なんかやるんだよ。お前なんか女子テニス部にでも入ったらいいのにー。それか演劇部のお姫様役でもしたらー?」
ぐへぐへ笑うソイツの顔が気持ち悪くて、吐き気がした。
【 女みたいな顔 】僕が言われて一番嫌な言葉だった。
その日、僕は部活に行かずに家に帰った。
次の日は、朝から頭痛がして、学校を休んだ。
その次の日も、朝になると頭痛がした。
そんな日が、いつの間にか続くようになって、気付いたら一ヶ月、学校に行っていなかった。
このままじゃいけない。頭ではそう思いつつも、僕の身体は学校に行くのを全身で拒否していた。
ひとつだけツイていたことは、両親の考え方だった。
『学校に行きたくないなら、行かなくてもいい。いつか理由を訊かせてほしい。
今すぐじゃなくていい。話したくなった時に、話してほしい。
二つだけ約束。
朝食と夕食だけは、家族と同じ時間にとること。挨拶は必ずすること。』
「わかった。守る。」
そう答えて、なんだかホッとした。
夜、嫌な記憶が
でも、朝食はみんなと食べないといけなかったので、朝は今まで通りの時間に起きた。
いつもと変わらない朝食。
母は四人分のお弁当を作り、僕にも「お残し厳禁だからね!」と笑いながら渡し、みんな今までと変わらず「行ってきます。」と、仕事と学校に行った。
みんなを見送って、朝食の後片付けをして、掃除機だけはかけておいた。
その後は、自由時間。ではなかった。
姉に命じられた課題をこなさないといけない。
両親はそっと見守ってくれていたが、僕には幼い頃から絶対に逆らえない人がいる。
四歳離れた姉は、読書が趣味だった。
大量の本を僕の部屋に持ってきて、一週間以内にこの本全部、レビュー書いておいてね。と言ってきたのだ。
彼女の趣味はなんなのか解らないくらいに、ジャンルは様々だった。
歴史もの。恋愛もの。純文学。児童文学。詩。冒険もの。科学や古文が漫画になったものや、英語で書かれたファンタジー小説なんかもあった。
全く興味のわかないものも読まないといけない・・・気が遠くなるような思いで本を見つめたが、暇な時間を潰すのにはちょうどよかった。
そんな日が続いていくうちに、頭痛薬を飲まなくていい日が増えてきていた。
ある日の夕方。祖父からの電話。
「お土産を貰ったから、お茶を呑みにこんか?」
仕事から帰ったばかりの母に、夕食の約束のこともあるので訊ねる。
「たまにはおじいちゃん孝行してきなさいよ。」
そう言って、ニコニコしながら送り出された。
風が肌寒くて、久し振りに外を歩いたことに気付いた。
夕日って眩しいなぁ。長く伸びた前髪では遮れない光に、目を細める。
祖父の家に着いてインターホンを鳴らす。
「こんばんは。サクヤです。」
祖父が玄関の扉を開け、出迎えてくれる。
道場の時とは違う、優しい笑顔に緊張がほぐれた。
竹刀を握らなくなった日以来、祖父に会うのがなんだか怖かった。
剣道をやめたことを責められるんじゃないかと思っていた。
でも、祖父は当たり前のように優しい顔をしていた。
お座敷に入ると、お茶と和菓子が二人分用意されている。
座ろうと思ったその時、縁側の障子に人の気配を感じる。
―――ガタンッ。勢いよく障子を開け放つと。
「サク、まだ早すぎるよー。」
「なにしてんの?アキちゃん。」
「じいちゃんからの届け物を持ってきて、サクがもうすぐ着くっていうから、なんかイイ感じで出ていこうかな・・と思ってたんだけど。」
僕たちを見ていた祖父は、ハハハハハと豪快に笑い、今日は二人とも泊ってゆっくりしていきなさい。と部屋を出て行った。
「お茶でも・・」
訊ねようとした時、ガバッとアキちゃんが僕に抱きついてくる。
「サクー。会いたかったよー。」
アキちゃん。
元気だった?とか、大丈夫か?とか、そんなこと一言も訊かず。
ただただ、何度も『会いたかった。』と口にして、アキちゃんは抱きついたままだった。
いや、抱き締めてくれてたんだと思う。
すごくあったかくて。
僕はいつの間にか、泣いていた。
どんなに嫌がらせされても、殴られたり蹴られたりしても、一度も涙なんて流れなかったのに。
アキちゃんの左肩は、僕の涙でびしょびしょになっていた。
それでも、僕を抱き締めたまま、何も言わずに背中を撫でてくれた。
ひとしきり泣いて、縁側に座って話をした。
約束を守れなかったこと。
いまは竹刀を握れそうにもないこと。
謝る僕に、アキちゃんがぽつりとこう言った。
「やっぱ、サクはカッコイイな。」
情けなさしかない僕に、なにを言っているんだろう。
「オレさ、小さい頃から、サクのフォームとか間合いとか全部が美しくて、憧れだったんだよ。」
男らしくてかっこよくて、僕の憧れだったアキちゃん。そんなこと思ってたの?
「だから、稽古を重ねて、オレも追い付けるようになったら勝負してほしい。って思ってたんだけど。サクのその芯の強さと美しさは、ちょっとやそっとの稽古じゃ追い付けそうもないや。いまのオレじゃ、その卑怯者も素手で殴ってやりたいって思うくらい、冷静に考えれないくらい弱いし。」
約束なんて関係ない。離れてても、オレがずっと味方だから。そういってアキちゃんは傍にいてくれた。
それから、僕は家族に全てを話した。
両親は学校に連絡し、担任、顧問、校長、加害者の両親と話し合ってくれた。
転校も勧めてくれた。
でも、どこに行っても同じようなやつがいるような気がして、気が進まなかった。
そんな時、姉の友達が中学生の時に通っていたという、フリースクールの資料を持ってきてくれて、そこに通うことにした。
帰りに祖父の道場に通い、掃除を手伝ったり、稽古をつけてもらったりした。
アキちゃんとは、月一くらいで会うようになっていた。
同じ高校に通おうと提案してくれて、中三の夏からは一緒に受験勉強をして二人で頑張った。
合格発表の日は、二人で抱き合って喜んだ。
「サク、楽しい思い出いっぱいつくろーな。」
「うん。」
アキちゃんと一緒なら楽しくなるね。恥ずかしくて口には出せなかった。
やっと、新しい一歩が踏み出せる。
桜舞う。出会いの季節。
一年後、学園祭でまさかあんなことに巻き込まれるなんて。
この時の僕は、想像もしていなかった。
アキちゃん以外に、信頼できる友達。
その後もずっと続いていく【 本物の友達 】に出会えたのは、また新しい春のお話し。
PINKー桜舞う季節にー 枡本 実樹 @masumoto_miki
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