第32話

 ――追放されれば、『勇者』になれる。

 ひとりになれば英雄の力が授けられ、富と名誉と友達とその他諸々が手に入る。

 それが世の規則であっても、おれたちは複数人で群れていた。


「ちょっと待って! あたしら指名手配くらってない⁉」

「おれは絶対に違うぞ。なんてったって他人にはほぼ気づかないからな」

「悲しすぎっしょ! 泣けてきて逃げらんない! 涙で前見えんし!」


 鼓膜だけでなく、繋がった手までうるさい。

 視界の端では赤毛が騒がしく揺れて、気が散るどころか爆散する。

 我らが街の大通りを移動しているだけなのに、精神にかかる負荷は尋常でないし、集中が途切れて仕方ない。

 右ではノリが軽めの魔術師、後方からは凶器と殺意を見せびらかす冒険者の軍団、そして左手には――


「どーすんの、ターナ! たぶんワタシたちのせーだよ! 顔バレでしつこくおっかけられてる! どーしよ、やば!」

「ヤバじゃない! 黙って杖振る! やり過ぎない程度に、邪魔者を振り払う! 『風の精よ、我らの帰る場所を守り給え!』」


 背に烈風が圧し掛かる。腰を強引に曲げられ、両肩を圧迫する力が身体に負担をかけてくる。だが、それも余波だ。

 後ろの方では、重たい金属や武具の落下音が鳴り響いている。

 降り注ぐは、戦斧、投げ槍、大矢に両刃剣、あげくの果てには砲弾や巨石。いずれも鋭利さか重量を帯びた、ありとあらゆる飛び道具の雨あられだ。

 すべてターナの巻き起こす風が打ち落としてくれるとはいえ、腹部に響く騒音は心が冷たくなる。


「――魔術だ! 出来うる限りわたしが弾く――いや、不規則に動いて!」 

 

 銀髪から鳴るは、銀鈴の声。

 咄嗟の呼びかけと同時に、全身を悪寒が制圧する。気持ち振り返るだけで、武器の豪雨に混じる炎や雷の閃きが網膜に焼き付いた。

 槌に杖、氷柱に砂刃と降りやまない脅威を背景にして、おれたちは必死に駆ける。絶えず攻撃に晒される苛立ちに耐えかねたのは、血の気と好奇心盛んな魔術師だ。


「ほんと、いっつまでやってんのかな、あの人たちはさ!」

「これまでずっとやっていたんだから、今さらおれたちを追うくらいで飽きやしないだろ多分!」

「『勇者』を生み出さぬために行う孤立者の迫害が、わたしたちのようなはぐれ者を生んでいるとはな! 彼らもよほど苦しんでいると見える!」


 ターナの言葉以上の狂気を、真後ろの喧騒は抱え込んでいた。

 『勇者モドキ』を嫌った人々による孤独狩りが始まって、もう一週間は経つ。

 全部は、ひとりの者を見たという噂から始まった。

 孤立した者がいるのではとの伝聞が暴力を呼び、結成された討伐隊が壊滅して生存者はただ一名との話が飛び交い、その生き残りを潰すためにパーティが組まれた。


 有益なものは何ひとつ生み出さない連鎖の中で、『勇者』を目ざした裏切り者だけは無限に湧く。

 この騒動の大元たるおれたちが廃屋に野山に洞窟にと身を隠しても、街の狂気は一向に衰えることはなかった。

 むしろ現在のように、冒険者たちから手配をかけられ追い回される始末。


「おにーさんのスキ――じゃなくて『業術』とか、きょーじゅの魔術とか、色々使って隠してもらってるのにバレちゃうのなんでだろ⁉」

「やはり、わたしたちの人数が人数だからだろう! 孤独でない上に色々と混じっているから、友や教授のような隠蔽効果は得られない! あと、ユミナが堂々と歩きすぎた」

「あっ、ワタシのせい⁉ なら、やることはひとつかな!」


 並ぶ足がよっつ、遅れる。減速して立ち止まって、小さなつま先は進行方向の反対へ。

 童女たちが地面に跡を刻んで、奇跡に繋がる棒切れを取り出す。筆に近い大きさの小枝が空中に線を描き、


「『大地の精よ、揺り籠としての古き役目を思い起こせ!』」

「『向こうを遠くに、あっちを近くに! ぐちゃぐちゃに!』」


 人を殴打するための棍棒が地を深く傷つける。

 呪いが唱えられれば地は脈打ち、もうひとつ願いが響けば集団の配置はぐちゃぐちゃになる。

 地面はどくりとうねって起伏を成し、様々な切っ先に対する防壁と化した。追っ手たる冒険者たちは一部が弾き飛ばされ、また一方で衝突して混迷を深める。

 お手本にしたいほど見事な魔術行使。押し寄せる多勢に一歩も引かない、勇敢にして理想的な英雄の姿。

 でも、おれはその邪魔をせねばならない。


「感謝する! だけど、暗殺者をもうちょい信頼してもらわないとおれが困る!」

「ありがとね、だけどゆーみゃんはこっちのほうが面白いっしょ!」


 おれがターナの手を引いて、リーリアがユミナの指を引っ張る。

 友人が反転して、立ち止まることを許可しない。


「ちょ、なんで! ワタシ結構かっこよくなかった⁉ 魔術もいーかんじでめっちゃキメキメだったし!」

「目的を見失うな。相手を打ち負かすのは目標じゃない。おれたちが四人のままでいることが目標だろ」

「あーちゃんはかっこつけてるけど、要は『戦うより逃げよ』ってこと! 教え子だけに戦わせんの、あれだしね! てか、逃げた方がはやい!」

「……わたしとしたことが。随分と平静さを欠いていた。やはり、多くの人に追われ追い込まれる状況は、厳しいものがあるな……」


 会話を交差させながら、おれたちは横一列に走っていく。誰一人として遅れぬように心を砕きながら、時には飛来した刃を砕く。

 身体を動かすごとに、金属や木材の破砕音が増加した。いつの間にか、周囲の騒々しさに拍車がかかっている。


「やたっ、ワタシの魔法、みんな結構効いてるっぽい!」

「それだけじゃない。彼らがわたしたちの魔法で混乱してるのは確かだけど、他の要因のほうが大きい」

「え、なになに――え」


 好奇心に押されてユミナの首が軽く回り、髪がいたずらっぽく肩をくすぐる。ワクワクで輝いていた瞳は、振り返った先の現実を映して一気に曇る。

 なにがあったのか、大体予想はつく。

 それでも、おれは見なくちゃいけない。凄惨をひとりで見るよりは、ふたりで向き合う方がきっとマシだから。


「――っ」


 自分でも背後の異変を確認して、閉口しそうになった。魔法によって衝突や離散させられた荒くれ者たちの中で、矛先を隣へと向け始める兆候が見えている。

 いつものことだ。

 陽が落ちて昇るのと同じように、みんなが猜疑心に唆されて隣人に殺意と武器を向けるのなんて、いつものこと。

 ずっしりと重量を増した気分に引きずられ、閉じそうになる口。ユミナのことを視界に収めれば、自然と沸き上がってくる感情で声が出る。


「ユミナ、近くを見てほしい。隠形に集中すると近場の警戒が疎かになるから、少しだけ頼めるか?」

「もっちろん! 一人でも来ればメッタメタのぼっこぼこにするよ!」


 威勢のいい返答には頼もしさしかないが、勢いの余りすぎた言葉選びでもあった。

 物騒すぎる意気込みにおれやリーリアから苦笑が漏れて、ターナひとりだけが不機嫌な唸りを発していた。

 音を立てて振り回される金属杖を、冷ややかな碧眼が観察している。


「そういうのは、好ましくない。暴力で相手を歓待していれば、わたしたちは彼らが噂するような『勇者』になってしまうだろう」


 ――孤立を試みる者は『勇者』を目指しており、その在り方は他者の蹂躙や財産の収奪を厭わぬ悪魔である。

 この町を散歩すれば、鳥の鳴き声と一緒に耳へ飛び込んでくる情報だ。学び舎に通う子供から練達した老人まで、誰しもが呪いさながらに唱えている。


「でもさ、それじゃ戦えないじゃん。ワタシ、黙ってボコられる趣味はないんだけど」

「戦わないとは、言ってない。先ほど教授に指摘された通り、無駄な戦闘はなるべく回避していくが――杖を構えねばならない時はあるだろう」

「なら、ワタシを止める理由なくない?」


 迷い込んできた弓矢をしれっと得物で打ち払いながら、小首をこてんと傾げる。軽めの言動と合わせられた物騒な動作に、大きくてまん丸なはずの碧い瞳が細められていく。


「わたしが言いたいのは、そういうことではない」


 空気が次々に裂ける音。二の矢三の矢が飛んでくるところを、戦闘狂は棒切れ一本で跳ね除けようと構えていた。


「『空の許容よ、ここに!』」


 降り注ぐ矢弾の勢いを、渦巻いた大気が殺してしまう。速度を殺がれた飛翔体は漏れひとつなく、鈍く輝く鈍器に叩き落される。


「あー、わーった。ターナはさ、ふたりで戦えって言いたいんでしょ!」

「即答できるようになったならば、いちいち手綱を付ける必要もなさそうだな!」


 今にも飛び出さんばかりの調子で声を張り上げ、二人は迫りくる攻撃を跳ね除ける。戦闘の激しさが増していくにつれ、かき鳴らされる音は野蛮の色が強くなった。

 壊す音色が行き渡るたび、それは更なる危険の呼び水となった。

 きちんと『勇者』を狩ろうとする常識人も、伝説を信じ込んで成り上がろうと試みる夢見人も、混乱に乗じて一儲けたくらむ小悪党も――みんなが騒ぎに呼び寄せられるのだから。


「あーちゃん、左の道もヤバかも! 結構ダルめに封鎖されてる!」

「おにーさん、後ろの勢い結構きつい! やっちゃっていい⁉」

「右から、多数の足音! おそらく数パーティほどの移動だが、どうする⁉」


 錯綜する悪い知らせに加えて、よくないお知らせがもうひとつ。

 前方からも、まばらに戦士たちの気配があった。皆が思い思いの方向に集中力を割いてしている間に、いちばん大事な真正面が無警戒になっていた。

 前後左右を、人に囲まれた状況。

 隠れ忍ぶための場所は既に存在せず、自力で作り出すほかない。


 心を決めた頃には、この身は既に陰へと潜り込んでいた。

 『暗殺者』の技術に専心する。

 出来るだけ暗い場所に踏み込んで、足音は無くなるように。

 自分の形が無くなるよう祈る。息をひそめて、口を閉じて、胸と腹部に力を入れて。

 自分は何もせず、自分に何もさせない。

 透明なナニカになって、ひとりきりでただ刃を構え――。


「――させるわけないっしょ!」


 ぎゅうっとされて、あたたかい。

 手を強く握られて、誰かといることが意識される。


「さっきの話を聞いていなかったのは、そちらのようだな。わたしがひとりで戦わせる気がないのは――友よ、貴方も含めてだ」


 声のする方を向けば、碧色のまあるい目がこちらをじいと見据えている。


「おもしろそーなこと、ひとりでやるのはナシだって。それに、おにーさんに貸し作り過ぎたらワタシ返せなくなっちゃうし!」


 踏み出したこの足の着地点を、横から伸びてきた金属の杖が占領して阻む。暗殺者が隠していた行き先を、見事に一本の棒が通せんぼした。 


「こっち見なって」


 繋いだ手を引っ張られて、おれとリーリアの距離がなくなる。


「あたしがいる限り、あんたを『勇者』にはさせない。この口はそー言ったんだけど、もしかして忘れた感じ?」


 意地悪に尋ねて、魔術師はニヤリと微笑んだ。


「忘れるかよ。そっちが忘却しても、おれの記憶には一生残るぞ」

「えー、やば。こわ。怖いから、あたしひとり逃げちゃおっかな。最後に言い残したこととかある?」


 敵の群れに対し、リーリアは杖を掲げながら一歩先へ進んだ。 追って、短刀を抜きつつおれも踏み込む。


「おれがいる限り、リーリア・リリンを『勇者』にはさせない。ひとりになることは許さない。この身がたくさんの『友達』に囲まれるまで、絶対に」

「それじゃあ、あたしたち一生このままじゃん! やば!」


 少女は笑って、おれの脇腹を肘で小突いた。

 カチャリ。鎖のない手枷と手枷がぶつかり合って、賑やかしの音を鳴らす。


 おれの隣には、どうやらほんとうに人がいるらしい。

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追放されたら『勇者』になる世界と影の薄すぎる暗殺者 はこ @ybox

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