第31話
「さあ、どうしてだろうな?」
確実なものではないが、おれの中にも根拠と仮説はある。だがそれは彼女を捕まえてから、すぐ近くで伝えるべきことだ。もしくは――
「おにーさん、急いで! 援護もする! 移動も」
考えるのは後だ。今は照らされた場所に近づいて、とにかく彼女の手を掴むことこそが最優先。
捕まえようと手を伸ばして、空ぶって、ぶつかって、振り払われての繰り返し。
手枷は大まかな位置を教えてくれるものの、それ以上の詳細は望めなかった。おれの悪戦苦闘を観察して、呟きが漏れ聞こえてくる。
「けっこう正確じゃない……不完全……情報が足りていない、完全じゃない……」
教授の考えが進む。それでいい。あとは、おれが役割を果たすだけだ。
いつものように、消えるのみ。
「『ふたりになるため、ひとりになる。いままで通り、影の中に――』」
回避されぬよう、影をもって自分の予備動作を隠しとおす。
「そんなので隠れても、無意味っしょ! だって、冒険者ギルドの端っこで身を顰めてたあんたを見つけたの――いったい誰だと思ってんの!」
光の方にもう一度手を伸ばすが、空を切る。
リーリア・リリンは、この世で彼女だけは、隠れ潜もうとしたおれのことを見つけ出してしまう。
「潜伏と看破、同時並行での魔術行使……⁉ 今の教授にとって負担が大きすぎる……ユミナ!」
「術式の停止、紋様の破壊、どっちにしてもとにかく止めるってこと⁉ でも、見えないんだけど⁉」
「手枷の示す方向に魔力投射! 他者の魔力は邪魔になるはず!」
魔術が飛び交う中での追跡劇、吹き荒れる奇跡の真っただ中で、童女たちは迅速に言葉を交わし、作戦を立てて実行に移す。
色形の違う杖が振り上げられるも、掲げられる方向は同一。ひたすら一直線に、生命を支える無形の力が、光輝という形で放たれた。
援護射撃を避けられないために前に出て、相手の移動を制限する。必死に追いすがってから数秒で、おれごとリーリアは魔力流にのまれた。
彼女のまやかしは、奔流に洗い落とされる。目立つ赤髪や魔術師の外套、相棒たる木の枝やボロボロの長靴まで、すべての状態が見てとれた。
他者の魔力に当てられて、この身体もしっかり鈍い。着衣のまま水中に半日沈められたのと同程度に、動きが重たい。
この悪条件は相手も一緒だ。その上あちらは、得意の魔法が使えない。しかし暗殺者の『業術』は、その職能たる隠形は使える。
踏み込んで、今度こそと手を伸ばし――リーリアはまたしてもおれを、躱した。
きちんと双眸で視認した上で、避けた。
「――っ、どうしてっ⁉」
驚きの声は、おれのものではない。ターナでもユミナでもなく、吃驚しているのはリーリア・リリンその人だ。
「魔術を使っていないのに、使えてないのに、どうして、なんで、あたしはあんたのことが、『勇者』のことが見えて――」
捕縛を避けたにも関わらず、世界の終わりを悟ったかのような表情。
真理に思い至った際の、智者の顔。
「孤独になること、あんたが『勇者』になれること、種の違うモンスターたち――」
口をゆるく開けたままにして、才媛の思考は回り続ける。
「なら、暗殺者をみんなが見れなかったのは、あたしだけがあんたのことを見れたのは、あんたが手枷であたしを見つけられるのは――」
自らの洞察から逃げるように、彼女はひた走る。途中で体勢を崩し、片手を地面について身体を支え、その姿が手負いの獣に近づくこともいとわずに。
リーリアが人としての矜持を捨ててまで飛び込んだ先は、おれたちが行きついた先は、一棟の建物。外壁はうっすらと焦げ、窓枠の周りに切りつけられた跡が残る、二階建ての古ぼけた建築物。
おれがターナやユミナと初めて争い、出会った場所だ。
開け放たれたままの入り口をくぐって、薄暗い室内へと逃走者は飛び込み、その赤い流れは下方へと沈んでいった。
行き先は地下だ。扉が開いて、蝶番を痛めつける響きがあった。建物深部に隠された寮へと、魔術師にしか解けない封がなされた部屋へと入って、急いで出入り口を封鎖したのだろう。
暗殺者のおれにはどうしようもない施錠だった。
「ターナ、解除術式お願い!」
「もうできてる! ユミナは魔力流していい。壊して!」
優秀な魔術師の卵たちには、簡単な課題なのだが。
閉ざされたものが開かれる。
今朝ぶりの拠点へと踏み込んで、帰還を済ませる。思えば、どこかに帰ってくるなんてこと、始めてだ。込み上がってくる高揚をそのまま、おれは友人に投げかけた。
「ただいま、リーリア・リリン。答えはわかったか?」
「わからないはず、ないっしょ。あたしはアホでも、愚昧じゃない」
魔術師はにやりと笑んで、それを怒りや驚き、嬉しさに狼狽と一緒くたにした。
頬の筋肉には扱いきれないほど、重みと複雑さを増した彼女の気持ち。抱えきれない心の余剰は、
「あーちゃんは、みんなと違う。そもそも、人としての種類が、血が、祖先が、大元が違っている」
口舌により、まとめて叩きつけられるのが必定だった。
「周囲とは違う種の人間だから孤独で、ひとりで、『勇者』で――誰からだって認められない。虐められる。抑圧される」
異人種が混ざれば、当然のこと。ダンジョンでホブゴブリンを痛めつけたホブゴブリンと同じことを、人間も行う。そういう性質でありながら、異種を無視してしまう――。
「肌の色も、髪の艶も、瞳の輝きも、使う言葉も発する音の細部もぜんぶ違うから、ひとりぼっちで終わるんでしょ? 種が違うおかげで、孤独なおかげで、陰に潜める」
ひとつが表に出れば、ふたつみっつと続くのも当然。
「おにーさんはひとりじゃないよ。きょーじゅっていう仲間がいるっしょ?」
「あたしが? どーしてそう思うの?」
「彼の使う、わたしたちとは異なる流れを汲む言葉――『業術』や『練階』――を素早く理解していたこと、そしてあの手枷が反応していること」
逃げるなとばかりに、ターナは聞く者の耳に事実を突き立てる。
「そもそも、彼を見つけられる教授と、見つけられない皆の違いはなにか? わたしが思い当たるのは、血筋、人としての種類。その程度でした」
よっついつつと連続するのは、知を共有したいと望む彼女たちの本質故か。
「――いい考え。あたしの思考と似てる。でも、足りなめっしょ」
彼女が嬉しさを表出させるのと並行して、表情の端々にある憎らしさが強調されていく。
「あたしの血が、そして父があーちゃんに似通っていたから、あたしは暗殺者を認識できた。でも完全な仲間じゃない。『勇者』になれないこの血の不完全っぷりを考えると、あたしは中途半端な混ざり者」
懐かしく寂しい、微笑みだった。
「だからあーちゃんも、その腕輪で自分の情報を用いても――不完全な形でしか、あたしのことを探知できない」
右手の人差し指を伸ばして、リーリアはお手製の手枷を指し示す。爪の先端を視線で辿れば、青みがかったおれの身体がある。
当然だ。装着者自身の情報を手掛かりに、リーリアを見つけ出せと命じたのだから。この身が晒し上げられるのもおかしくはない。
むしろ、この仕様に感謝すべきだった。
リーリアの推測が照明の形で可視化される意味は大きい。視覚的な衝撃は見る者を怯ませて、そのまま突くべき隙になる。
「ちょっと待って! おにーさんときょーじゅ以外の方向に、光が伸びていかないってことは……」
「いや、手枷の術式に効果範囲があると見れば――」
教え子たちの安直な間違い、もしくは遠回りな気遣いに対して、指導者は訂正せざるを得ない。
「可能性を探らないのはナシっしょ、ターにゃん。ありえそうな仮説は全部立てなきゃダメダメだって」
口にすれば自らを傷つけてしまうのに、魔術師は考えを止められない。
「あーちゃんやあたししか、いない可能性。それがあるっしょ? ある種類の血をひく人間が、世界にあたしたちしか残ってなかったら――その手枷の反応は納得しかない」
彼女の父は、既に亡くなったと聞いた。
そしておれも物心ついたときにはひとりで、親類縁者どころか親兄弟すらも知らないから――否定するのは難しい。
この世界に対する、そしてこの世で暮らす人に対する疎外感が、荒唐無稽なその仮説に信憑性を宿らせる。
悲しい、ことだった。自分と同じ種類の人間が、仲間がほとんど残っていないのではないかという考えは、身体を鈍らせる。でも、おれは薄々勘づいていたからマシだ。
受け入れがたいことだけど、彼女より機敏に動ける。
それに――
「まだ、残っているやつがいる」
何度だって同じ速度で、彼女の下へと走り込む。
「しつこいっての! あたしが『勇者』になるのは、変わらないことで、変えられないことっしょ! あれだけ壊して、あんなにも殺して、迷惑かけて、今さらっ!」
「関係ない。おれはきみの手をとる。ただそれだけだ」
「っ、簡単に言いすぎっしょ! ぜんぶ、ぜんぶ――」
何人も近づけないように、彼女の手にある木の棒が左右に振られる。同時に、超常をもたらす模様が室内を埋め尽くす。
「わたしが隔壁をつくるっ、ユミナは逃げ道を!」
「りょーかいっ! 思い出とか、まぁいっか!」
ターナが枝先で空に紋様を描く一方で、ユミナは床を殴打してその代わりとする。
他者の生命力が、濃密に噴き出してゆくのを感じた。
前方には、異物に満ち溢れた危険地帯。死地を進むなと身体は言うけれど、心は何も聞いていない。
「――『弾け飛んで! 膨らんで爆ぜて、あたしを、見えなくして!』」
「『地中は、我らの揺り籠なれば!』」
「『優しく、遠くに追いやって!』」
三者三様の、魔術行使。
彼女へと続く道筋に立ちふさがる爆炎と、おれの道を形作ってくれる土壁と、炎を押し退けようとする空気塊。
突風と土塊は壁のあちこちを突き破って、地下空間に逃げ道をこじ開ける。
「今になって杖を手放して、仲良く手を繋ぐなんて、どうやって……っ!」
罪悪感を手放さずに抱え込むリーリアの姿は、さっきまでのユミナに似ていた。さすが教師と教え子で、よく似ている。
「夢を追いかけて、そのために傷つけて、生徒もあんたにも悲しい顔させて、ムリっしょ……っ!」
「無理だな。おれがきみの立場ならば、どうすることも出来ずに立ち尽くす」
「ならっ!」
火種が一瞬で花開く。開花の余波は土壁と風圧が受け止めて、それでもまだおれに飛び掛かってきた。吹き荒れる勢いを躱す。強行突破一辺倒ではなく時には逆風を受け流して、ただ目標へと接近。
「ひとりにしてよ、あたしを!」
魔術の大輪が開花する。
罪人を五人は磔にできそうな大きさの魔法陣と、噴火じみた高音が地下で咲く。
それがもたらすのは、人間を上から圧壊させる力だった。暴風や衝撃といった形容を超えて、全てのものを縮めて潰してしまうとする法則に近い。
避けきれない。摂理と化した脅威には身体で衝突して、抗うのみだ。
『勇者』の力を余すところなく注ぎこんで、身体を前へと進める。
彼女の手を取れ。戦うまでもなく、それだけでいいと、五体に命じる。
「――きみの罪悪感なんて、壊してやる。おれがいる限り、『勇者』になれると、ぼっちになれると思うな!」
彼女の影を踏んだ。あと少し。手を伸ばして、指を広げれば、届く位置。
だけど、そんな簡単にはいかないと知っている。おれは彼女の他人ではないし、友達になろうとする人のことは、多少理解している。
「舐めすぎっしょ!」
リーリアは手にもつ棒切れで横なぎにして、新しく紋様を展開。
一見すると、隙だった。
近接戦闘を強いられた魔術師にとっては致命的な、強欲極まりない魔術行使。
しかし彼女は、ユミナ・ユクリナの師だ。魔術を発動しながら、効率的に暴力も振るう童女の師匠だ。
「ほんと、舐めすぎ!」
振り抜かれる木の枝。模様を描くのと同時作業で行われる、無骨な殴打。
出会ったときのことを思い出す。彼女はあのとき、杖で光弾を弾いていた。
「『勇者』のことを知らないな、リーリア」
その一撃をおれは、避けない。回避せずに彼女の指先に触れる。
パシリと、この頭を植物が打ち付け――
「ひとつのことにしか注がれないんだ、その力は」
ちょっと痛かった。でも、いたずら程度。
「それならっ、殴りだけに集中すれば!」
まだ、『勇者』の力は消え切らない。未だに、おれは彼女の手をぎゅっと掴めてはいない。それは恥ずかしいからではなくて、単に時間が足りないのだ。
だから、口先で時を稼ぐ。
「おれを――同族を殺して独りになるのか? リーリア・リリン」
鋭利な現実で彼女の心を串刺しにして、少女の身体を止める。
彼女の手をとる。強く握って、指先であたたかな手の甲まで触れた。
戦う必要はない。時間のかかることでもない。ただ友人に触れる、それだけでいい。
彼女の魔力も、おれの活力も失われていく。『勇者』の力が、伝説に謳われた恩恵がいとも簡単に失われていく。
接した手と手から、震えが伝わる。
「――そんなこと、できるわけないっしょ……あたしは、あたしは……なんのために……」
またしても、おれの頭がこつりと小枝に叩かれた。今度は、もう痛くもない。
力を失ったリーリアは、そのままこちらに体重を預けてくる。
自分で立とうと、自分で背負うとするけれど、どうしてもこらえきれず頽れる。
「ねぇ、あたしの手を取らないでよ……こんなやつ、許さないでよ……そんなことされたら、鈍くなるじゃん……」
とぎれとぎれの中途半端な八つ当たり。その答えは、少し丁寧さが欠けてもいい。
「勘違いするな。別に、許してるわけじゃない。むしろ、おれはきみを許してない」
ならどうしてと、透明な涙で満ちた赤い瞳が問う。
どう返すべきか。
心根を声で伝えるのは気恥ずかしくて、こないだまでぼっちだった身には難しい。
だから今は、この気持ちに一番近しい言の葉を借りよう。
「――許さないから、この手を離さない。おれは
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